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更年期真っ只中にあえてチャレンジ!漫画家・おぐらなおみさんが「学び」を求めた理由

2024.12.29

人気漫画家として活動しながら、現在は女子美術大学短期大学部の2年生として学ぶ、おぐらなおみさん。二人の子どもを育て、主婦と両立する漫画家生活を送ってきたおぐらさんが、「学ぶこと」を決意したのは、更年期の不調がひどくなり、精神的にも追い詰められた時のことでした。そんな状況で、なぜ学ぶことを決意し、どのような過程を経て女子美術短大に入学したのでしょうか。現在、漫画家、主婦、学生のトリプル生活で多忙な日々を楽しむおぐらさんに、挑戦を決めた当時のことを振り返っていただきます。

おぐらなおみ
漫画家、イラストレーター。育児物から始まった漫画家生活。子育て、夫婦、更年期など等身大の事象を描いて活躍中。著書に「働きママン」シリーズ(最新作は、コミックエッセイ『働きママン まさかの更年期編 ~ホットフラッシュをやりすごせ』)、「私の穴がうまらない」など。

更年期を迎え、追い詰められる「このまま終わってしまうのはいや!」という気持ち

――「学ぶ」ことを決意したきっかけは?

40代後半になった更年期の症状がものすごくひどかったんですね。それまで二人の子育てをしながら漫画を描き、子育てがようやく終わりかけ、さて、これからは漫画を自由にかける!と思ったとたん、更年期障害がやってきまして。体調が悪く、仕事で机の前にすわっていると、汗はふきだし、ドキドキするしで、長く座っていられない。集中力もなくなり、仕事にも支障は出るし、いらいらしてお皿は割ってしまったり。

家族にも不調のつらさをわかってもらえない気がして、さらに精神的にも追い詰められた気分になり、「こんなことでは、ここで私の人生終わってしまう。そんなのいや!」と思ったんです。今考えると、長女が自立して家を出た寂しさも精神状態に影響があったかもしれません。その時、何か新しいことをやってみようと。自分は漫画家でありながら、絵を正式に習ったことも修行したこともなかったので、一度きちんと学びたいと前から思っていたことを実行にうつした感じです。でもまさか、当初は短大受験することに自分がなるとは思ってもみませんでした。

――修行したことがないということですが、どのようにして、漫画家になったのですか?

子どもの頃から絵を描くのは好きでしたが、自分が漫画家になるとは思っておらず、社会人になってから印刷会社で働き、結婚して専業主婦になったんですね。子供が生まれてから、漫画エッセイみたいな感じでブログを書いていたんです。

するとそれを見てくれた育児雑誌の編集者が連絡をくれ、少しずつ4コマとかの仕事をいただくようになり、ほどなく、ある教育系の媒体の編集者から連載の仕事の声をかけていただいたんです。30代前半、上の子が7歳、下の子が1歳の時でした。なんでも、その媒体は、1歳児の冊子は1歳児の育児中の漫画家が担当する、という決まりだそうで。条件にあう漫画家を探すのがとても大変らしく、私に連絡いただいた時も、「やっと見つけた」的な感じでした(笑)。1歳児がいる情報を育児雑誌で書いていたのを見てくれていたんですね。

うれしかったけど、7歳と1歳の子どもの育児中に、初めての連載漫画を描くのは、かなり大変でした。漫画家になれたことは、夫も喜んでくれましたが、それでも彼は勤めがあるので手伝えるわけはなく。私はワンオペで二人の育児と主婦をしながら、子どもが昼寝したら、「それ!」と、すきま時間を見つけながら描いていましたね。育児ものだったので、日々のあれこれ、きのうの悩みを今日描くみたいな感じで(笑)。今思うと、よくやったなと思います。当時は必死で、育児をしながら仕事の仕方も覚えていって、「私、こういうこともできるんだ」と、自分を再発見した気分でした。

それで、ずっと子育てと家事と仕事をしていたので、子育てが終わったら思い切り漫画が描けるんじゃないか、と思っていたんですね。ところが、ようやく子どもの手が離れたところで、更年期の不調に襲われたわけです。

――漫画家としてヒット作もたくさんあるのに、危機感があったのは意外です

性格的なものなのか、私はずっと焦りみたいなものがあったんですね。いつもこれでいいと思ったことはなくて。子どもの成長や漫画を描いていることに充実感がなかったわけではないんですが、もっともっと何かやりたい、何かやらないと自分は終わってしまうという危機感が常にあった。だから、更年期の不調で、思うように仕事もできなくなった時、これでもし休んでしまったら、自分はおしまいになる。そんな気持ちにとらわれていました。体調が悪くても、家にこもっていると、よけい気がふさぐような気もして、気分や環境も変えたかったこともありましたね。

外に出て、何かに挑戦することで気分を転換。違うと気付けば迷わず軌道修正を

――最初はイラストを学ぶ、画塾にいかれたんですよね。

はい。都内のイラストの画塾に、週一回夜に通学しました。そこの卒業生はイラストレーターになる方がすごく多いので、志望者が通ってきているのですが、みんなアマチュアでも、すごくうまいんですよ。私はびっくりするぐらいイラストが描けなくて、一番下手だと思いました。

週に1回課題が出て、発表会のように、先生が講評するんですが、みんなおしゃれでセンスのいい絵を描いてきて、私はプロなのに、すごく劣っているのが見てわかる。ものすごくショックでした。先生からも「漫画家さんに教えることはあまりない」といわれ、当初は突き放された気がしましたが、今ならわかる。早々に場違いなところに来てしまったと思い、こんなことをしている場合ではない、もっとデッサンや構図など、基礎から学びたいと専門学校か大学かに行きたいと漠然と考えました。画塾に行き始めたのが、4月でしたが、8月にはもう女子美術短大の社会人枠を受けようと考えるようになっていました。

――画塾から短大の、社会人枠へ。準備は何をしましたか?

とりあえず大学に行くと4年間になる。あの時は4年通学する決心がつかなかったのと、女子美術短大の社会人枠は、入試が小論文と面接だけだったので、美術を専門に学んできていない自分でも受けられると考えました。場所も自分は通いやすかったですね。専門学校も考えましたが、女子美のカリキュラムは、美術を全般的に基礎から学べる感じだったので、受けてみたいと。そう思ったのが8月でしたが、その年度の入試も無駄にしたくなくて、急でしたが、11月の試験を受けることにしました。翌年に受験を伸ばすと、その時は体力や気力に自信がなくなるかもと、少し追い詰められた気分があったんです。

入試にデッサンはないものの、受験を視野に入れた人が受講できる、大学が主催するデッサン教室があったので、受験前でしたが8月の時点から月に2回、画塾に加えデッサンも通い、そこで小論文はどうしたらいいでしょうか?とか、先生方に聞いて、結局、小論文は参考書を見て勉強しました。面接もネットで過去の情報を調べながら自分なりに考え、11月の試験に臨みました。

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