※扶桑社、A5判、144ページ、2420円(税込)、ISBN:9784594093136
電通の現役アートディレクター10人が“パワポ”(パワーポイント)のテンプレートデザインを手がけた書籍「美しすぎるパワポ」(扶桑社)が話題です。世の中に数多くあるパワポ本と一線を画す同書は、どのようなコンセプトから生まれたのか。そこにはアートディレクターのどのような知見と技が詰まっているのか。
記事では、同書を企画した電通のコピーライター・川崎紗奈さんとテンプレートデザインを手がけた電通のアートディレクター・井上信也さんにインタビュー。見えてきたのは、単にテンプレートの美しさにとどまらず、使う人の働き方や思考までも美しくする可能性を秘めたデザインの力でした。
川崎紗奈(かわさき さな)さん
電通 第1CRプランニング局 コピーライター/UXリサーチャー。コピーライターとしてコンセプトメーキングからアウトプットまで、国内外の企業のクリエイティブ制作に従事。主な受賞歴に、朝日広告賞/審査員賞、ACC賞ゴールド、釜山国際広告祭YOUNG STARS /BRONZE、日本観光ポスターコンクール/インバウンド賞など
井上信也(いのうえ しんや)さん
電通 第1CRプランニング局 アートディレクター。ビジュアルアイデアを起点としたアートディレクションを軸に、グラフィック広告、CM、VI(ビジュアル・アイデンティティ)やキャラクターデザインなど、企業や商品が長く愛されるためのブランド視点でのアートディレクションを心がけている。主な受賞歴に、朝日広告賞、読売広告大賞、ADFEST、広告電通賞など
資料の体裁を整えるのに時間がかかりすぎていないか?
──最初に、「美しすぎるパワポ」発刊の経緯について教えてください。
川崎:きっかけは、扶桑社と電通の関わりの中から生まれたプロジェクトです。あえて名前を付けるなら「売れる本をつくろうプロジェクト」とでも言いましょうか。私が所属する第1CRプランニング局内でアイデアを募って、いいものがあれば実際に出版までもっていこうというもので、多くのアイデアが寄せられました。その中から最終的に選ばれたのが、後に「美しすぎるパワポ」として書籍化されるアイデアでした。
余談ですが、当時、全くアイデアが思い浮かばず、とうとうそのまま締め切り日を迎えてしまったんです。しかも、その日は仕事が忙しくて……。いつもより遅く帰宅したとき、ふと思ったんです。「アイデアを考える時間がなさすぎる。資料の体裁を整えるのに時間がかかりすぎていないか?もし、あらかじめデザインされたパワポのテンプレートがあって、それを埋めるだけでいいなら……。例えば、電通のアートディレクターがデザインしたテンプレートがあったら……」。その瞬間、アイデアがひらめいて、一気に企画書を書き上げて応募しました。
後から知ったのですが、雑誌「週刊SPA!」(扶桑社)が以前行ったパワポに関する読者アンケートでも「文字を詰め込みすぎてしまう」「洗練された感じにならない」といった悩みが多く寄せられていたそうです。私の個人的なボヤキから生まれた企画ではありますが、同じような悩みを持っている人は世の中にたくさんいるのだなと思いました。
実際に書籍化する前に、テストマーケティング的にプロトタイプとして作った4種類のテンプレートを雑誌「SPA!」の特集記事上で公開しました。予想以上に読者の反響があったことが書籍化を後押ししてくれ、今年の8月に刊行となりました。
電通ならではのスキルが生かされた本に
──「美しすぎるパワポ」のコンセプトについて教えてください。
川崎:とにかく簡単で、買ったその日から使えるようにしたい、というのが一番大事にしたところです。私も一消費者としてパワポのデザイン本をよく買ったりするのですが、そのほとんどがレイアウトのコツなどを解説している教科書的なもので、本を読みながら自分で実際に手を動かしてテクニックを習得しなければ何も始まらない。それはわかっていても、時間をかけて1冊丸ごと読み込んで、手を動かして……というのはなかなかできなかったりしますよね。私なんか、買っただけで満足してしまうことも結構多いですから(笑)。
「美しすぎるパワポ」は、教科書的にテクニックを解説する本とは一線を画しています。この本は、10人のアートディレクターがそのスキルを駆使して細部までデザインしたパワポのテンプレートを紹介するもので、本を購入した人は無料でテンプレートをダウンロードすることができます。ダウンロードしたら、あとは書き込み式のドリルのようにテキストボックスを埋めていくだけ。美しいパワポを簡単に手に入れることができます。
──電通のアートディレクターを起用することは、最初から決めていたのですか。
川崎:そうですね。始まりが扶桑社と電通とのプロジェクトだったので、電通ならではのスキルが生かされた本じゃないと意味がないと思いました。電通の強みは何といっても「人」ですから。電通のアートディレクターが持つスキルを、「本」という一つの装置を使って社会に還元するのがよいのではないかと考え、井上さんをはじめ、電通のアートディレクター10人に声を掛けました。
──井上さんは、今回の仕事を打診されたときにどう思いましたか。
井上:企画内容を聞いて、とても共感しました。僕自身、打ち合わせやプレゼンテーションなどでパワポを使うことが多いのですが、どうしても文字間や行間などの調整が必要になる場面があって、そこにかける時間がもったいないなと感じていました。プレゼンテーション資料より、提案する広告のビジュアルデザインの方に時間をかけたいですから。だから、この本はきっと需要があるだろうなという予感がありました。
──「美しすぎるパワポ」において、井上さんはどのようなテンプレートを担当したのですか。
井上:僕が担当したのは、「文章が増えすぎても、読みやすさが確保できる」テンプレートです。想定しているのは、例えば、自治体の説明会に使われる資料などで、1枚のスライドの中にどうしても多くの文字を入れる必要があるといったケースです。
※「文章が増えすぎてもOK。ずっと読みやすさ続く、頼れる〝整理〞パワポ」(アートディレクター:井上信也)
川崎:文字量が多い場合、スライドの中に情報を詰め込もうとして文字を羅列しがちです。でも、そうするとポイントが伝わらず、読みにくい印象を与えてしまいます。井上さんがデザインしてくれたテンプレートでは、目線の流れを意識したうえで、情報の重要度に応じて文字のサイズに差をつけたり、適度に余白を設けたりしているため、同じ文字量でも全く違った印象になりますし、読む側のストレスも軽減できます。
井上:デザインと聞くと装飾的なことをイメージする人も多いかもしれませんが、むしろ大事なのは情報に主従をつけることです。文字量が多ければ多いほど、主従をはっきりつけないとカオスになってしまいますから。だから、見出しは極端に大きく、リード見出しは中くらい、本文はかなり小さな文字にしています。なおかつ、文字の圧力をあまり感じないような工夫をして、見た目にもスマートなテンプレートを目指しました。
※同じ文字量でも、デザイン次第でここまで変わる
──使う側からすると、時短だけでなく、テンプレートを埋めることで情報の主従が頭の中で自然と整理されるかもしれないですね。
井上:それはあるかもしれませんね。
川崎:この本の読者が、「美しいパワポ」だけでなく、「美しい働き方」まで手に入れてくれたなら、うれしいですね。
10個のテーマと10人のアートディレクター
──他にはどのようなテンプレートが用意されているのですか。
川崎:「美しすぎるパワポ」には、全部で10種類のテンプレートが用意されています。それぞれのテンプレートにはパワポユーザーの悩みや用途に沿ったテーマが設けられています。そして、10個のテーマに対して、得意な作風を考慮して10人のアートディレクターを起用しました。つまり、一つのテンプレートには、一つのテーマがあり、1人のアートディレクターがデザインを担当しています。読者は、日常業務の中でどのようなプレゼンテーションを行いたいか、相手にどのような印象を残したいかによって、10枚のテンプレートの中から好きなものを選べるというわけです。
そのいくつかを説明しましょう。
まずは、「堂々と力強く、自信にあふれたプレゼンに」というテーマでデザインされたテンプレートです。デザイン的には、締まった色づかいで、言いたいことが堂々と大きく入っていて、ソリッドな印象になります。大きく太い文字のパワポ資料は、一歩間違えれば野暮ったくなりがちですが、だからこそ、そう見せないアートディレクターの技術が凝縮されています。
※「堂々と力強く、自信にあふれたプレゼンに!〝つよつよ〞パワポ 」(アートディレクター:一森加奈子)
それとは対極にあるのが、「そっと寄り添うように、穏やかな印象を残す」テンプレートです。モチーフの角もすべて丸みを帯びるようにデザイン処理されています。主張を強く押し出すよりも、初対面の相手にも警戒されずに、まずは安心して話を聞いてもらえるような、柔らかさと穏やかさをまとっています。
※「そっと寄り添うように。穏やかな印象を残す、〝やさしい〞パワポ 」(アートディレクター:多田明日香)
続いては、「明るく、組み合わせて楽しいポップな」テンプレート。普通はすべてのスライドに同一の背景パターンを用いることが多いと思いますが、このテンプレートは、背景の配色やパターンをすべて変えています。スライドの流れの中でさまざまな背景を組み合わせても、全体としてのまとまりが損なわれないように計算されているため、ポップで楽しい印象になります。
※「突き抜ける明るさで。組み合わせるほど楽しい〝ポップ〞なパワポ 」(アートディレクター:石崎莉子)
他にも、「右脳から攻めて、世界観をつくりあげる」テンプレートや、プリンターで印刷したときにインクを節約できるように「少ないインクで色鮮やかな資料を作れるエシカルなパワポ」など、特色のあるテンプレートが用意されています。
──単に「美しく見せる」ということを超えて、戦略的に相手にどのような印象を残すか、どのような世界観をつくるか、あるいはインクの節約に見られるようにエシカル消費の領域にまで踏み込んでいるところが新しいですね。
広告デザインとの違いは「どこで筆を置くか」
──「美しすぎるパワポ」では、10人のアートディレクターが、それぞれ自分の担当するテンプレートをデザインしています。アートディレクターどうしで横の会話はあったのですか。
川崎:基本は「あなたはこういう作風だから、このテーマでどうですか?」と10人それぞれに打診して、合意が取れたら、あとは自分の作業に集中してもらいました。ですが、本を制作するのはとても時間がかかるので、フェーズを区切って全員が集まり、お互いの進み具合を共有する「お披露目会」の機会を設けました。私としても、そのタイミングで10人分のテンプレートを俯瞰(ふかん)して把握できるので、例えば、横並びで見たときにグレー系のテンプレートが多かったら、色味がかぶらないように調整をお願いしたりもしました。
※「言葉をとことん削ぎ落とす。洗練された佇まいが効く〝余白〞のパワポ 」(アートディレクター:加藤寛之)
※「空気をまとって右脳から攻める。物語のように魅せる〝世界観〞パワポ」 (アートディレクター:くぼたえみ)
──井上さんは、今回テンプレートのデザインをしてみて、広告のデザインとの違いを感じましたか。テンプレートデザイン特有の難しさはありましたか。
井上:与えられたテーマや目的に沿ってデザインをするという意味では、テンプレートのデザインも広告のデザインも同じです。一方で、フィニッシュの仕方は両者で大きく違うなと感じました。広告のデザインでは、広告コピーがすでに決定していて、それを文字組みして、最後はミリ単位で文字間や行間を調整していくような詰めの作業を行います。
一方、テンプレートのデザインでは、最終的にユーザーが文字を入力してスライドが完成します。おのずとアートディレクターは、ダミーの文章を使ってデザインすることになる。ところが、ダミーの文章を使ってデザインを詰めれば詰めるほど、逆に汎用性がなくなってしまうようなところがあります。ダミーの文章では美しくデザインされていても、ダミーの文章と異なる文字量をユーザーが入力した途端、バランスが崩れて美しさが損なわれてしまうことだって起こりうる。だから、「どこで筆を置くか」ではないですが、さまざまなケースを想定して、ある地点で止める必要がありました。
加えて、パワポというソフトが必ずしもデザインファーストには作られていないため、アドビのイラストレーターなどに比べると文字の調整に厳密性がなかったりします。試行錯誤の連続で作業は大変でしたが、それでもいろいろ探ってみると「パワポでこんなこともできるんだ」という発見もあったりして、普段の作業では得られない収穫もありました。
──テンプレートデザインをする中で、井上さんがこだわった点があれば教えてください。
井上:先ほども触れましたが、文字量を決めるのはユーザー側なので、こちらではコントロールできない部分です。だからこそ、「こちらでコントロールできる部分は、すべて厳密に指定しておく」ことにこだわりました。
わかりやすいのは、レイアウトです。見出しや本文をスライドのどこに配置するかは、あらかじめこちらでコントロールすることができます。検証の末、例えばこちらのテンプレート(下図参照)ではスライドの左上に大きく見出し、対して右下にボリュームのある本文を置き、その分余白を右上に設けてバランスを取りました。ユーザーが推奨文字数の範囲内で入力する限りは、スライドの“重心”が崩れずに中央付近に保たれるようになっています。
※見出しや本文の配置と推奨文字数により、スライドの“重心”が中央付近に保たれる
川崎:今、井上さんが触れてくれた推奨文字数は、各テンプレートのテキストボックスにガイドとして表示されるようになっています。例えば、この見出しは1行で、こっちの見出しは3行まで、ここの本文は500文字まで書いて大丈夫、といった具合です。使う側はテンプレートをダウンロードしたら、テキストボックスに表示されている推奨文字数を守って入力するだけでいい。使う側にとってなるべく簡単であるようにと工夫した機能の一つで、使ったらきっと感動してもらえると思います。
井上:パワポのもともとの機能をうまく生かしていますよね。カーソルを合わせない状態だとガイドが表示されて、カーソルを合わせると消えるという。