現役選手から一目散にクラブトップとなる細貝に託されるもの
現場以外のキャリアを目指そうとしているのは、細貝と水野。細貝は2025年からザスパクサツ群馬の社長代行兼GMという重責を担うことになる。4月の定時株主総会で社長就任予定ということで、クラブ経営・強化の両方のトップとして、地元のクラブ再建を進めていくことになる。
「僕は指導者をやるつもりはない。むしろマネージメントの方に興味があります」と本人も10月に語っていたが、引退直後の社長就任というのは戸惑いもあるだろう。セレッソ大阪の森島寛晃社長、湘南ベルマーレの坂本紘司社長など、過去にも元選手の社長就任はあったが、彼らはクラブで強化や営業など別業務を経験してからの抜擢だった。だが、細貝の場合はいきなりトップということで重圧も少なくないはずだ。
「僕はこれまでドイツ、トルコ、タイの6クラブでプレーして、いろんな環境や文化を見てきました。それぞれの地で培ったことが自分の役に立つ時が来ると思っています」とも語っていて、類稀な国際経験が来季再びJ3を戦うことになる群馬の再浮上につながれば理想的だ。
さしあたって来年は、会長職を担う赤堀洋現社長が事業戦略や管理部門、JリーグやJFAとの連携を主に担当。細貝が社長としてトップチーム強化やアカデミー全般のフットボール戦略、営業やイベントを含めたホームタウン活動を推進していくことになるというが、最初はチャレンジ&エラーの連続になるだろう。
それでも、本人は前橋育英高校から浦和レッズというビッグクラブの扉を叩いた時、浦和から異国・ドイツに赴いた時に自ら適応し、自信の立場を勝ち得ていった経験値がある。そのチャレンジ精神があれば、地元企業や自治体、サポーターのところを回って、支持を取り付けることは問題なくできるはず。強化に関しても、すぐにうまくいくとは限らないが、強いチームを見てきた分、J2復帰への最短距離を描けるに違いない。
失敗に関しても、彼は2014年ブラジルW杯落選という大きな挫折を味わっている。
「あの時はドイツで試合に出ていたので、代表の現実から逃げていた部分があった」と本人は反省していたが、逃げずにぶつかることしか成功への道は開けないということを痛いほど分かっている。選手時代の経験を生かし、努力を重ねていけば、きっと優れたトップ経営者になれる。まずはその手腕を見守りたいものである。
細貝も参戦し、日本が優勝した2011年アジアカップ(筆者撮影)
オシムチルドレン・水野晃樹は現役から強化担当へ。いわての再建に奔走
一方の水野は来季からジャパン・フットボール・リーグ(JFL=4部相当)に降格するいわてグルージャ盛岡の新GM兼強化部長に就任。新たな人生を歩むことになった。
「JFLに降格した悔しさを今度は違う立場からチームを立て直し、支えたいと思います。プレーヤーの時と同じように情熱を注ぎながら昇格へ向けサポートしていきたい。1年で昇格しましょう」と彼はクラブを通してコメントしたが、今季までピッチに立っていた男がいきなり強化部長というのはやはり難易度が高い。これまでいわてにいた強化スタッフ、あるいは他クラブの強化担当と情報交換をしながら、ベストな選手補強・チーム強化を模索していくことになりそうだ。
かつて鹿島アントラーズに20冠もたらした名GMである鈴木満氏(現フットボールアドバイザー)のように、優れた強化トップがいるクラブは強い。それは2010年代後半から2020年代初頭にかけて黄金期を築いた川崎フロンターレにも言えること。昨今は水野より少し上の40代の強化スタッフが中心となってチーム編成をしている例が目立つ。来年40歳になる水野もジェフユナイテッド千葉時代に名将、イビチャ・オシム監督の下でプレー。ブレないマインドを持った男だ。決して妥協することなく高みを目指していくはずだ。
いわてのような地方クラブは資金力が乏しいため、理想と現実の間で苦悩することもあるかもしれないが、少ない予算で強いチームを作れるのが一番いい。水野がそういう名GMになってくれることを願いたい。
興梠慎三は最終的にミシャ監督のような指揮官を目指すも、まずは営業に興味
そして営業面に興味を示しているのが興梠慎三だ。彼は最終的には「ミシャ(=コンサドーレ札幌のペトロヴィッチ監督)のような攻撃的サッカーで見る者を魅了する監督になりたい」と話しているが、現場一筋だけではサッカー界を理解しきれないと考えている様子。そこでクラブスタッフとしてスポンサー営業やホームタウン活動などを経験し、全体像を把握するところからスタートしたいという意向を持っているようだ。
天才肌の点取屋である彼がこういった発想を持つのは意外なように映るが、興梠の実家は「宮崎高千穂の味 ローストチキン コオロギ」。宮崎市内で経営していたが、興梠がプレーする浦和市内、そして東京都内にも出店し、今は兄も経営に参画している。こういった商売を支えてきた分、他の選手よりも営業に興味を抱くチャンスが多かったのだろう。
浦和レッズで選手生活のラストを楽しんでいる興梠慎三(筆者撮影)
彼らの世代は現役時代からビジネスを始めている選手も多く、「もっとマネーの面からサッカー界を深く知りたい」と考えるケースが増えている。それは引退後のセカンドキャリアを考えてもポジティブなこと。そういう意味でも、今年限りで退く多くの面々が現場以外のことにトライしてくれれば理想的だ。
新たな一歩を踏み出す前に、まだ最後の現役生活を過ごしている選手もいる。J1優勝争いを演じている広島のサンフレッチェ青山はシャーレを掲げられるかどうかの瀬戸際だし、ジュビロ磐田の山田はチームのJ1残留のために全力を尽くさなければならない。浦和レッズの興梠と宇賀神、鳥栖の藤田も最後の出番が巡ってくるはず。そういう面々の素晴らしいプレーを多くの人々の脳裏に焼き付け、華々しいラストを飾り、次なる人生の弾みをつけてほしいものである。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。