英語は通じる?
支払いとインターネットという2つのハードルを超えて、厦門滞在はかなり楽になったが、言葉の壁も少なからずあった。過去に中国には何度も行っているが、英語がほとんど通じないのは2020年代になっても一緒。ホテルや高級ショッピングモールではイングリッシュスピーカー、稀に日本語が話せるスタッフもいたが、大半は中国語のみなのだ。
今の時代は翻訳アプリや翻訳機があるから、そこに日本語入力して見せることで対応できたが、100円ショップで買った中国語会話本から該当する文章を探して見せていた頃と感覚的にはあまり変わらなかった。「中国では中国語が話せて当たり前」という考え方なのだろうが、日本人にとっては「近くて遠い国」という印象になりがち。隣国であるだけに、そこは残念な気がした。
それでも、厦門は訪れる価値が十分ある魅力的な町だった。厦門島の中心部から主要部に地下鉄が走っているので、スムーズに移動できるし、複数の島や寺、建物、温泉などの観光地もある。
筆者も取材の合間を縫って、世界遺産のコロンス島が見える厦門島南西部の港まで行ってみたが、景色がよければかなり美しい景観なのは間違いないだろう。ちょうど船着き場で乗船券を買っている日本人サポーターに出くわしたが、2時間もあればコロンス島内を一周できるというから、そのコンパクトさは大いに魅力だ。
そこから近い中山路歩行街という西洋風の建物が並ぶメインストリートを歩いてみたが、お土産屋や飲食店が所狭しと立ち並び、なかなか壮観だった。
夜はライトアップされ、ひと際美しいというが、夕方から練習・試合のあるサッカー記者はそういう時間帯には観光には出られない。いつか機会があれば、その時間帯のこの場所を見てみたいものである。
19日の中国対日本代表戦の裏側は…
迎えた19日の試合当日。会場である厦門白鷺体育場(スタジアム)は厳しい規制下に置かれた。20時のキックオフの5時間前に当たる15時から周辺道路を自由に行き来できなくなるということで、我々は14時過ぎには到着したが、それでも柵のところで押し問答になったほど。地下鉄の最寄駅「国際博覧センター」駅からは徒歩で約30分もかかる。晴れている日はいいが、悪天候の日は海沿いのロケーションということもあり、かなり行き来は厳しくなるだろう。
スタジアムに着いて、中に入る際、ビックリしたのは最新鋭のセキュリティシステムが導入されていること。事前に受け取っていたIDカードを入口でかざすと、自分の名前が出てきて顔認証される仕組みだ。これは東京・国立競技場にもないし、世界のスタジアムでも見たことがない。モバイル決済の普及もそうだが、最新鋭システムが瞬く間に浸透するのが中国という国の凄さでもあるようだ。
ただ、残念ながら、マナーという点はまだ改善の余地があるようだ。試合開始前の国歌斉唱時の日本に対するブーイング、ピッチ幅を3メートル狭くするという対応、試合中に乱入者、そして記者室の場所取りしていたところに置かれた山のようなゴミ…など、もう少し何とかならないのかと感じる場面はいくつかあった。
20年前の2004年アジアカップで3週間、中国に滞在した頃に比べれば、明らかによくはなっているし、特に厦門は整然としている印象があった。だからこそ、スポーツの現場も国際基準を目指してほしい。
筆者が中国を訪れたのは、2015年以来、9年ぶりだった。行った場所も武漢と厦門で異なっていたが、サッカーもそれ以外も含め、中国のさまざまな変化が見て取れた。11月30日からのビザ免除でそれを実体験する日本人が増えるはず。ぜひともぞれぞれの目で現状を体感してほしいものである。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。