連載/古墳王子の早口コラム
こんにちは、小学生の頃から古墳の魅力に目覚め、訪ねた古墳は3000基以上の高校生、古墳王子です。
このコラムでは皆さんにディープでマニアックな古墳の魅力が伝わるよう、僕が感じた感動や発見をオタク特有の早口でお伝えしていきます。
さて今回は満を持して開催中の東京国立博物館特別展「はにわ」です! 誠に恐縮ながら古墳王子ということでご招待を賜り、開幕すぐの土日2日間を朝から夜まで侍従と共に完全密着!第1と第2に分かれた展示会場とグッズ会場の盛況ぶりから見どころや抜かりなく楽しむためのマル秘テクをご紹介していきたいと思います。
古墳築造と埴輪製作のプロ集団でもある日本最古のスーパーゼネコン「土師氏」とは?
古墳王子の早口コラム こんにちは、小学生の頃から古墳の魅力に目覚め、訪ねた古墳は3000基以上の高校生、古墳王子です。 このコラムでは皆さんにディープでマニアッ...
見どころ【1】 実は踊ってない!?完全復活した『埴輪 踊る人々』
え?解体なんてダメでしょ!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ご安心ください。解体したのは昭和初期の修復時に作られた石膏部分です。
実は埴輪って土の中から約1500年ぶりに掘り起こされて見つかった素焼きの器物。当然バラバラに割れていたり傷がついたりするものもあります。
そこで石膏でつなぎ合わせ当時の姿を再現しているのですが、やはり90年も経つと石膏部の劣化や剥離が目立つようになってきたため今回の解体&修復に至ったのです。
数年間展示室から姿を消していた『埴輪 踊る人々』。実はぼく、今回が初めてのご対面!教科書で何度も見ていましたが、やはり実物は最高ですね。しかも横や後ろ姿も観察し放題なので、今までどうしても見ることできなかった腰の鎌を発見できたし、最新の修復技術の成果を拝見できて大満足です!
ちなみに名前は『踊る人々』となっていますが、近年の研究では馬形埴輪のそばで発見される事例が多いことから、馬を曳く人をモチーフにしているものと考えられています。
見どころ【2】 やっぱり可愛い!誉田御廟山古墳の水鳥形埴輪
世界遺産に認定された百舌鳥・古市古墳群に属し、全国第2位の大きさを誇る誉田御廟山古墳から出土した水鳥形埴輪も全方位から観察できる展示です。
もうね、可愛いのよ。それに尽きる。すぐ近くに全国第1位の大きさの大仙古墳から出土した水鳥形埴輪の生首(失礼!)も展示されているので、ぜひ頭部の顔を見比べて違いを楽しんでほしいです。
ちなみに水鳥形埴輪は死者の魂をあの世へ運ぶ、もしくは天に召される魂を呼び戻す役割として作られたのではないかと考えられています。だから間違っても「おまる」とか呼ばないでね……!!
見どころ【3】 隠れた鹿を探せ!今城塚古墳の盾形埴輪
見事な造形の武人埴輪と巫女形埴輪カップル、そして日本最大級の家形埴輪の横で完全に目立たない存在と化してしまった今城塚古墳の盾形埴輪。
観覧中の皆さんからスルーされることも多くちょっと可哀想なので、このコラムを読んで『はにわ展』に行ってみようと思ってくださった方はぜひ盾形埴輪に刻まれた鹿の線刻(イラスト)を見つけてほしいです。表と裏に1匹ずつ、よーく目を凝らしてお探しください!
見どころ【4】 まさかの合体ロボ?!『埴輪 あごひげの男子』
千葉や茨城で出土例が多い、とんがり帽子と顎髭が特徴的な人物埴輪。思わず背比べをしたくなるような大きなサイズ感と、ズボンに描かれた水玉模様の鮮やかな染色が当時最先端のファッションの流行を表現しているみたいで、古墳時代に生きた埴輪職人の几帳面さが垣間見えます。
そして驚きなのはこの埴輪、なんと複数の個体の破片を集めてつなぎ合わせた合体ロボだってこと!想像してみてください。時代の荒波と戦ってバラバラに砕かれてしまった埴輪戦隊メンバーたちの破片が、見えざる力の手によって一つに結合し、巨大化ロボ埴輪となって今ここに見参するイメージを。私たちはその瞬間に立ち会っているのだ……!!
見どころ【5】 屋根だけやん!な経ノ塚古墳の家形埴輪
ズラリと並ぶ円筒埴輪の面々や日本最大級の船形埴輪に挟まれて何だか可哀想。屋根だけしかないちょっと貧相な(失礼!)家形埴輪だと思ったら大間違い!実はこちら、屋根を地面まで葺き下ろした竪穴建物なんです。
古墳時代当時は関西が文化の中心で、この家形埴輪は日本最北の出土例。誠に失礼ながら、東北の埴輪職人さんが家形埴輪に憧れて作ってみたけど建物と竪穴住居がごっちゃになってしまったんだろうか(ごめんね)。
他にも豪華な家形埴輪が並んでいるなか、ぼくがあえてちょっと地味な経ノ塚古墳の家形埴輪を選んだ理由。それは去年、実際に出土地である宮城県名取市の経ノ塚古墳を訪ねたから。
この古墳は海の近く、太平洋の海岸砂丘上に築かれていたのですが土取り工事などによりどんどん墳丘が削られて、もはや現況をとどめていません。しかも東日本大震災の津波の被害に遭ったりと苦労を重ねた古墳だったので強く印象に残っていたのです。
そんな波瀾万丈の人生(墳生?)を送る経ノ塚古墳ですが考古学界では大変知名度が高く、明治45年の調査で見つかった長持型組合石棺・鹿角製刀装身具・鎧形埴輪は家形埴輪同様に日本最北の出土例であり、国の重要文化財に指定されたものもあります。