2024年4月、キリンから17年ぶりの新ブランド『キリンビール 晴れ風』が誕生した。発売からわずか1か月で、同社の過去15年間のビール類新商品の中で最大売上を達成。その後、3か月間で累計出荷数1億本を突破した。ビールが苦手な若年層をターゲットにした同商品は、なぜこれほどまでのヒット商品となったのか。
今回は、キリンビール株式会社 マーケティング本部 向井優夏さんに開発の経緯から、そこにあった苦労、ヒットの要因についてお話を聞いた。
*本稿はVoicyで配信中の音声コンテンツ「DIMEヒット商品総研」から一部の内容を要約、抜粋したものです。全内容はVoicyから聴くことができます。
キリンビールでは17年ぶりとなる「スタンダードビール」の新ブランド誕生
酒税法の改正に伴い、2026年10月からビール市場に大きな変化が訪れる。同社では「ラガー」と「一番搾り」をスタンダードビールと位置付けており、新ブランド「晴れ風」は同カテゴリの商品として登場した。今回、『キリンビール 晴れ風』をスタンダードビールとして発売した理由について、向井さんは次のように話す。
「弊社にはラガーや一番搾りというブランドがあり、お客様からもご愛顧いただいていますが、一番搾りでさえ、実は発売から30年ほど経っています。その間、お客様の嗜好や価値観は大きく変わっていること、酒税法の改正を控え市場的にもチャンスだったことから、これまでのブランドとは違う価値を持った『これからの時代に求められるビール』を作りたいと、開発を始めました」(向井さん)
これまでのスタンダードビールのブランドと、新ブランド『キリンビール 晴れ風』との違いについて、向井さんはこう続ける。
「大きなところでは『ブランドの世界観』です。とはいえ、お客様が一番大事にしているのは『味』だと思います。味わいは、三者三様の良さがありますし、それぞれ違いを出しています。『キリンビール 晴れ風』を開発する前に、お客様がビールに対して感じている課題や、普段自宅で飲まない理由についてヒアリングを実施したんです。『ビールの苦味や重さが苦手』という若年の方がいることに加え、50代のボリュームゾーンからも『ハイボールやさっぱりしたチューハイが中心でビールが少し重たい』といった声があることがわかりました。それらの声を踏まえ、ビールとしての飲みごたえと満足感がありながらも、飲みやすさを両立した商品の開発が始まりました。アルコール度数も味わいに影響を与える要素の一つで、5%というスタンダードな度数でありながら、いかに飲みやすく重さがでないようにするかは、中味を設計していく中でも大きなポイントでしたね」(向井さん)
「飲みやすい」と「飲みごたえ」、相反する味わいを実現する難しさ
新たなブランドを作っていく過程には、正解のない難しさがあったと向井さんは振り返る。
「初めてのブランドなので誰も正解がわからない、本当に売れるかどうかもわからない状況でした。意思決定をしていく中で、チームからも『本当にこれでいいのか』『不安です』といった声もあったんです。中味もパッケージも広告もすべて『もっと良くできないか』と悩みながら、『発売までにできることは全部やろう』という気概で進めていきました。どんどんと良いものにしていく過程で、さまざまな試行錯誤がありましたね」(向井さん)
そうした壁を乗り越える上で、「とことんお客様目線であること」を大切にしたという。
「基本的なことですが『私たちも一般生活者である』という視点は、チームみんなで意識した部分の一つです。ビールの缶、電車に貼られている広告。何も考えず生きてみた時に、気になる存在になっているか、興味が持てるか。データだけで見るのではなく、原寸サイズで打ち出して、現物で見る。広告も現場の近くを歩いてみて魅力的なものになっているのか、場所はここで良いのかなどを実際に確認しました」(向井さん)
缶の色にターコイズブルーを採用する際には、大きな決断だったと向井さんは振り返る。
「パッケージの開発も苦労した点の一つです。今では、ありそうでなかったターコイズブルーの色をみなさん覚えてくださって『この色が好きで気になって買いました』と、ありがたいお声をいただきますが、色味が少し青に寄ったり緑に寄ったりするだけで、かなり印象は変わってしまうんです。また、青色は『食欲減退色』とも取れてしまうため、『よく使いましたね』というお声もいただきます。検証をしながらも最後の方向性を決めるところは、とても勇気のいることでした」(向井さん)
苦味を抑えつつも飲みごたえのある味わいに仕上げていく過程にも、「相反する難しさ」があった。
「ビールが苦手なお客様の課題としてあった『ビールは苦い』という経験に対し、味覚のところは解決しつつ、飲みごたえのあるビールにする。一見、相反するこの二つを、とても高いレベルで両立させるところが非常に難しい部分でした。1年の開発期間の中で、何度も醸造を繰り返し、かなりの数の中から味を絞り込んでいきましたね」(向井さん)