「日本人大っ嫌い」は日本への愛が根底にあった
──玉置さんは大阪大学大学院でのサルの研究者としての道を辞してP&Gへ入社、その後ファーストリテイリング、アクサ生命保険を経て現職へと至るわけですが、転機みたいなものはありましたか?
「実は僕、小学校の時に外交官になりたかったんですよ。日本を背負って外国で頑張ってるおじさんたち、そんな存在になりたかったんです。その後紆余曲折あって研究者になろうと思って、それもなれなかった。でもP&Gへ入ったことで、外交官になりたかった小学校の時の夢は叶えているんですよね。日本を代表してグローバルの会議で仕事をして、海外に赴任して、たくさんの外国人の部下がいました。しかもグローバルな舞台で英語で仕事ができるビジネスパーソンにならないといけないと思って、神戸のオフィスで働いていた頃から日本語を使わず、全部英語で会話しました。敢えて『日本人大っ嫌い』に設定していたんですよ。
一緒に働いていた日本人スタッフには結構厳しいマネジャーだったと思います。でもその“嫌い”の根底には、日本を愛していたことがあったんです。P&Gみたいなグローバル企業ってアメリカ人だけが出世するわけじゃなくて、国籍は関係ない。だからグローバルの会議に出ても『私は英語が話せないので』みたいなことを言う日本人が嫌いでした。中国人なんてそんなこと言わない。中国語訛りの英語でガーッとやるわけですよ。だからもっと日本人に頑張ってほしいなと思っていたし、自分も頑張ってきた。屈折した感じがあるかもしれないですけど、それは幼少期からの『日本のためになんとかしたい』という気持ちがずっとあったからなんです」
──P&Gを辞めて日本へ帰国後、日本の企業であるファーストリテイリングへ入られました。
「40代後半ですかね、P&Gで出世して、日系企業よりもすごくたくさん給料をもらっていました。だけど、自分だけいい思いをしているのではないか、このままだと寝覚めが悪いなと思ったんです。日本は景気が悪くなって、どんどん下落していくのが見えているわけです。当時はジャパン・パッシングと言われていました。しかも僕の仕事は日本の社員のポジションを中国やシンガポールに移して、リソースの再配置をすること。だけどその過程の中で、僕のことを採用してくれたり、若い時に面倒見てくれた先輩たちにご退場いただかないといけないこともあったりして……自分はすごくいい待遇でいい仕事をさせてもらっている。でもこれでいいのかな、と。僕は日本で生まれて、小学校から高校まで公立校に通って、国立の大阪大学の時には奨学金をもらって大学院まで勉強させていただいた。ずっと日本にお世話になっていたのに、ふと見たら自分は何にも返してない。だからいつか返さなきゃいけないんだよな、という思いがあったんです。それ以来、日本目線をすごく持っていますね」
日本の製造業に元気になってほしい
──日本への思いがあったのに、パナソニックグループからの誘いを一度は断ろうと思ったそうですね?
「今の取締役会長の津賀一宏が社長だったときに『ぜひ会いたい』というので、大阪の門真にある本社へ行ったんですよ。通されたのが古~い応接室でね、Vシネマで見るみたいな大きなクリスタルの灰皿が置いてあって(笑)。お会いした役員は皆さん真面目でね。でもこれだけ人材がいるのにIT変革を外の人に頼むということは、中の人は誰もやりたがらない仕事なんだろうなと思ったんです。
帰りの新幹線でどんな人がポストに相応しいのか考えたんです。それで日本語が上手な外国人がITのトップになって変えるのがいいんじゃないかな、と思ったときに『松下幸之助が作った日本の会社の人に頭を下げられているのに、その仕事は外国人でいいのか? しかも僕は日本のために仕事をするんじゃなかったっけ?』と思い直して『引き受けます』となったんです。やっぱり僕は日本の、特に日本の製造業に元気になってほしいんですよ。そのためにパナソニックグループは元気にならなきゃいけない、という思いでやっています」
──「DIME」の主な読者は30~40代のビジネスパーソンです。玉置さんはその年代、どんな働き方をなさっていましたか?
「30~40代は自分がこの社会に何で貢献していくのかを確立する時期だと思うんです。営業でもいいし、誰かに何かを教えることでもいい、人と人をつなぐことでもいい。しかも会社ではなく、“自分の職”としてしっかり確立させていくことが大事ですね。僕は30代後半からCIOをやっていこうと決めたので、どこへ行っても、そして今も仕事の内容は変わっていません。自分がどういう軸で社会に貢献していくのかを見極める時期を大切にしてほしいですね。それから日本経済は過去30年間成長していないので、何をしてもそんなに怒られないと思うんですよ。だから型にはまらず、自分の殻を破って、好きなこと言った方がいいんじゃないかな。画一的にならず、もっとぶっ飛んでいいと思いますよ!」
自ら出演している「たまたまラジオ」
玉置社長自ら卓を操作し、新人からベテラン社員まで幅広く話を聞く「たまたまラジオ」。楠見グループCEOも出演、スピッツの曲を熱唱したとか。
取材・文/成田全(ナリタタモツ) 撮影/干川修