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「果報は寝て待て」ということわざの意味を、間違えて覚えている方もいるのではないでしょうか?努力せずにただ寝ているだけでは、「果報」が訪れる可能性は低いでしょう。今回は「果報は寝て待て」の意味や使い方、類似表現をご紹介します。
「果報は寝て待て」の意味
「果報は寝て待て」は「かほうはねてまて」と読み、幸運の訪れは、人間の個々の力の及ぶものではないから焦らずに待て、という意味のことわざです。
努力をした結果をハラハラしながら待つ人に対する、メッセージといえるでしょう。「やるだけのことはやったのだから、肩の力を抜いて、結果を待つだけでいいんだよ」というねぎらいを伝えます。
参考:デジタル大辞泉
■「果報」とは報いとして受ける結果のこと
果報は寝て待ての「果報」とは、報いとして受ける結果を意味する仏教用語です。
運が強くしあわせな人のことを「果報者」というように、一般的には運のよいことを指します。果報は寝て待てということわざに用いられる果報も、幸運のニュアンスが強いといえるでしょう。
しかし、本来の果報には、よい結果である「善果」も悪い結果である「悪果」も存在します。
■ただ寝ているだけでは果報はこない
果報は寝て待てということわざの意味を、「幸運はのんびりと待っている間に勝手にきてくれる」と捉えている方も少なくありません。しかし、何の努力もしないで、ただ寝ている人のところに幸運が訪れるということわざではありません。
あくまでも、努力をしていることが前提です。努力をしたうえで、結果を待っている人に対して、「これまで十分に努力をしてきたのだから、肩の力を抜いて結果を待っていればいい」という意味であることを理解しましょう。
「果報は寝て待て」の使い方と例文
果報は寝て待ては、仕事はもちろん、試験や恋愛の告白などの結果を待っている場面で使えます。例文をご紹介しますので、実際に使う際の参考にしてください。
・明日の商談に向けて、やれることはすべてやってきた。あとは、果報は寝て待てだ
・チーム一丸となって、プロジェクトを成功させるべく頑張ってきたじゃないか。果報は寝て待ての精神で、あとはよい結果を待つのみだ
・明日は資格試験の合格発表の日だ。いろいろなことを我慢して勉強に集中してきたのだから、あとは果報は寝て待ての気持ちで待とう
・自分の気持ちは精一杯伝えた。果報は寝て待てで、よい結果を祈るのみだ
「果報は寝て待て」の類似表現
果報は寝て待ての類似表現には、「人事を尽くして天命を待つ」「待てば海路の日和あり」「神のみぞ知る」などがあります。それぞれの意味や例文をみていきましょう。
■人事を尽くして天命を待つ
「人事を尽くして天命を待つ」は「じんじをつくしててんめいをまつ」と読み、最善を尽くし、結果は天に委ねるという意味のことわざです。
人事には「人の力でできること」、天命には「天が人間に与えた使命」という意味があり、ビジネスシーンで使われることが多いといえるでしょう。
果報は寝て待てと同じような意味で使いますが、「結果は寝ながらのんびり待つ」を意味する果報は寝て待てとは違い、「全力で努力したから悔いはない」というように、自分を鼓舞するニュアンスが含まれます。
【例文】
・思いつく限りのことはやった。あとは人事を尽くして天命を待つだけだ
・この1か月、プロジェクトの準備に全力を尽くした。人事を尽くして天命を待つ気持ちで、後悔はない
参考:デジタル大辞泉
■待てば海路の日和あり
「待てば海路の日和あり」は「まてばかいろのひよりあり」と読み、待っていれば、やがていい機会が巡ってくるという意味のことわざです。
「海路」とは海上を船が通る航路のことで、今は天候が不順で海が荒れていても、そのうち航海日和の日がやってくることを示し、焦らずに待つことの大切さを説いています。
もともとは、中国古来の伝説をもとにしたことわざである「待てば甘露(かんろ)の日和あり」が変化したといわれています。「甘露」とは、天が降らせる甘い露のことです。
【例文】
・撤退の話も出ていたが、待てば海路の日和ありで、最近は業績も上向いてきた
・待てば海路の日和ありという言葉を信じて、自分を励ましてきたら、最近は仕事がうまく回り始めた
参考:デジタル大辞泉
■神のみぞ知る
「神のみぞ知る」とは、ことの顛末や人の運命は神だけが把握しており、人間には知るよしもないという、果報は寝て待てと同じような意味で用いられる表現です。
ただし、「自分が努力をした結果」や「焦らず待ったほうがよい」というニュアンスは薄れます。
【例文】
・結果は神のみぞ知る、あとは計画通りに粛々と進めよう
・どう頑張っても、うまくいくかどうかは神のみぞ知る