2024年5月23日、経済財政諮問会議で「高齢者の健康寿命が延びており、高齢者の定義を現在の65歳から5歳延ばし70歳としてはどうか」という提言がされた。国策にも関わるこの会議で、「70歳から高齢者」が取り上げられたということは、今後、定年の延長や年金受給額の引き上げなども検討されることが考えられている。
大手企業が参画する日本経済団体連合会が、最新版の『2023年人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果』を見ると、役職定年を「導入している」企業は41.4%、「導入していない」が47%、「導入していたが廃止した」が11.5%で、役職定年が廃止の方向で世の中が動いていることがわかった。また、導入している企業の19.3%が「見直し・廃止予定」だという。
長く働く時代が本格的に到来し「どうすれば幸せに働けるか」について、多くの人が考えている。そのヒントとなるのが、文具やオフィス家具大手のコクヨと京都大学の共同研究だ。
「幸せに働く」ことが社会課題になっている今、注目したいのが2024年1月に発表されたコクヨと京都大学の2年にわたる共同研究をまとめた『同調から個をひらく社会へ―文化比較から紐解く日本の働く幸せ―』という冊子だ。
この研究を行ったのは、京都大学の内田由紀子教授の研究チームと働き方や未来社会についての調査・統計を行うコクヨ社内の研究所「ヨコク研究所」だ。この冊子の刊行を記念し、ウェルビーイング研究の第一人者であり、京都大学教授の内田由紀子さんと、コクヨ株式会社代表執行役社長・黒田英邦さん、ヨコク研究所のメンバーで冊子の編集も担当した田中康寛さんが登壇するシンポジウムが行われた。ここでは、3人の対話から生まれた「幸せに長く働く」ためのエッセンスを紹介していく。
経団連の「2023年人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果」53P
アメリカは「昇進」が幸せ、日本の「働く幸せ」とは?
内田由紀子教授は社会心理学、文化心理学の観点から幸せを研究している。『ウェルビーイング学会』『一般社団法人京都こころ研究所』などの理事を務め、政府関連事業や教育政策にも深く関わっている。
コクヨは、2021年に「長期ビジョンCCC2030」を策定。自律協働社会の実現に向けた経営戦略へと舵を切り、業績を伸ばし続けている。ここでの自律協働社会とは、既存の社会システムに依存せず、一人ひとりが自由であることが前提だ。その上で、己を律し、表現をしながら他者と協力し協働できる社会を意味する。
内田教授と、コクヨをつなぐキーワードが「ウェルビーイング」。その本質はどこにあるのだろうか。
黒田英邦さん(以下・黒田):働くことが忍耐であるというのは、欧米の価値基準である、成果や能力が過度に求められていることもあると感じていました。働くことが幸せに結びつかないと、いつか限界が来てしまうことに気づいたのです。そこで、私たちは、「日本特有の幸せ働く幸せ」とは何かを、改めて考えたいと思い、内田教授との共同研究を始めました。
内田由紀子教授(以下・内田):私は20年近く、ウェルビーイングをテーマに、国際比較に取り組んでいます。今回、アメリカ、イギリス、台湾、日本を比較しています。そこでわかったことは、日本人は「他者との関係性に働く幸せを見出しやすい」ことです。
田中康寛さん(以下・田中):アメリカやイギリスは、昇進や自分が活躍して充実することを幸せと感じやすい傾向がありますが、日本人は昇進などで幸せを感じる人は少数派。それよりも、顧客からの感謝、家族との関係性に幸せを感じやすい。これは同じ東アジア圏の台湾でも同様です。
内田:人間関係の捉え方も、文化により違いがあります。各国で「社内の中で親密な仲間の人数」について質問したところ、日本人は2〜3人で、英米の半分程度です。
また、私の過去の研究で「ソシオグラム」という人間関係の図を描いてもらった結果、アメリカ人は、自分を中心に放射線状に多くの人を書き込み、友人が多いほどいいとされていますが、日本人は少数でも居心地の良い人間関係を重視する傾向が見て取れたのです。
黒田:日本はつながりを重視し、調和を重んじる。幸福の捉え方が英米とは異なることもわかりました。
内田:「日本人の幸福度が先進国で最下位」などと言われますが、それはアメリカや西欧社会を基準としているからだからだと思うのです。私はアメリカの幸福感を「獲得的」と表現しています。彼らは幼い頃から自分の価値を周囲にアピールする訓練がされています。一方、日本では日本は協調性や調和を教えます。
黒田:英米の競争に勝利し、周りより目立つことを重視する価値観は日本人には馴染まないことがわかりました。
オープンスペースを設けて、社員間交流を活発に
――日本人は、社員同士の居心地がいい人間関係が結ばれていることに幸福を感じやすい。コクヨは以前から社員の交流を促す取り組みを行ってきた。その一つが、オフィスレイアウトにフリースペースを設けることだ。
黒田:交流も「場」がなければ成立しません。そこで、私たちはオフィスのレイアウトを雑談しやすいように変えました。
加えて、2021年のリニューアルを機に品川オフィスの低層階にあるカフェやワークスペースを一般の方もご利用いただけるよう開放しました。ここには、近くにお住まいの方、学生さん、近隣の会社の方々が自由に使ってくださっている。お子さんたちが遊べる場所もあります。この出入り自由なスペースは、開放的な雰囲気で、社員も使いやすい。
違う事業部同士が仕事をしている姿も見られます。このスペースがあることで、社員の考え方や製品がどう変わっていくのか、今、実験をしています。
田中:品川オフィスは、多くの方から「風通しがいい場所だ」と言われます。ところで内田教授、「風通しがいい」とはどのような状態をいうのでしょうか。
内田:規範や縛りがなく、フラットに付き合え、オープンに自分の意見を言えて、相手の意見も受けられる状態だと思います。日本は上下関係や立場に対する意識が障壁となり、「風通しがいい」とは言えない状況が多いかもしれません。親密でもなく、他人行儀でもなく、穏やかな信頼関係があり、持ちつ持たれつができる「ゆるいつながり」が幸せに結びついていることはある程度わかっています。
そこで参考になるのは、『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』(岡檀著・講談社・2013年)という本です。これは、当時、日本一自殺率が低い徳島県旧海部町(現海陽町)を調査した結果をまとめています。この町の人々は、昔から多様性を重視し、問題を皆で解決し、信頼感を育てるという文化の中で生きています。ウェルビーイングのヒントにあふれていると感じました。
――「ゆるいつながり」を社員間に醸成するには、共通の目的を設定することが大切だという。立場は違っても、目的が一つということは、寛容と信頼につながっていく。その関係性があれば、「幸せに長く働く」ことは可能なのだ。