相次ぐケガに泣かされた選手生活に29歳でピリオドを打ち、リクルートに入社
ともに年代別代表で共闘した遠藤航(リバプール)が日本代表ボランチとして2022年カタールワールドカップ(W杯)でドイツ・スペインを撃破していた頃、西野さんは故郷の大阪・茨木市に戻り、次なる人生に踏み出そうとしていたのだ。
もともとサッカー以外のことにも興味があったという彼はプロ入り時点で早稲田大学eスクールに入学。7年がかりで人間科学部を卒業し、「子供の習い事と運動能力の相関関係の研究」という論文まで書いていた。そういった理論派だけに、セカンドキャリアを歩むに当たって、これまでの選手生活を1つ1つ振り返り、深掘りして、自分の言葉で語れるように細かく準備を進めていった。さらに人生初の履歴書を書き、人生初の就職活動に着手。知人の勧めもあってエントリーしたリクルートに見事合格し、2023年3月から中途入社する形になったのだ。
「リクルートでは『タウンワーク』などの求人広告の営業を担当しました。普通の一般企業の場合、1年くらい勉強や研修を経て現場に行くというのが通例ですが、リクルートは1~2カ月後には会社回りを担当させてくれた。自分にとってはすごく有難い環境でした。
そこで初めて多種多様な職種や人手不足の実態を目の当たりにしました。『人を雇いたいけど、このくらいの条件しか出せない』と悩む雇用主に向き合って、じっくり話すこともありました。プロサッカー選手時代には全く知らなかったことを学ぶ、いい時間になりましたね」と彼はしみじみ語る。
西野さんにとってのアドバンテージは、ガンバやジェフといった名門クラブのみならず、讃岐という地方クラブに在籍した経験があったこと。パナソニックや古河電工のような大企業がバックについているビッグクラブとは違い、運営規模が小さく、スポンサーや観客集めに苦労している小クラブに身を置いたことで、経営面やマーケティングといった側面からサッカー界を見る目が養われたのだ。だからこそ、求人広告営業の世界に飛び込んでも相手方と対等に話ができたし、人の話を聞く器を持てた。それは非常に大きかったのだ。
選挙期間は積極的に市民と話をするようにしたという(本人提供)
「政治の世界に飛び込み、地元・茨木市に恩返しをしたい」と出馬を決断
社会人1年生として実務経験を養う中で、彼は次第に大きな夢を描くようになっていった。
「実はリクルートで働き始める前から、『いずれは政治の世界に挑戦したい』という考えを持っていました。『地元のために働きたい』という意向は早いうちから妻にも伝えていた。リクルートは若いうちの起業や転身を後押する土壌があったので、夢を追いかける意味でもすごくいい環境でした。
そのことを少しずつ周囲に発信しつつあった昨年末、知人を通して『今年4月の茨木市議補欠選挙に出馬しないか』という話が舞い込んできました。『やらない後悔よりやる後悔をすべき』というのが僕のポリシー。思い切ってチャレンジしようと決心し、今年2月末でリクルートを退社しました」と西野さん短期間で激変した人生を述懐する。
3月から選挙活動に着手することになったが、どうすればいいか全く分からない。先輩議員に相談し、アドバイスを受けながら、HPやチラシを作成。「スポーツを活かした元気なまちづくり」を前面に押し出し、自身の政策を広く伝えるべく本格的に動き出した。
「朝の通勤時間帯にJR茨木駅前に出向き、声掛けをするところからスタートしました。各地域での公聴会や討論会にも出たりしましたけど、無所属で自民党推薦という立場だったので、やはり逆風もありました。厳しい声をいただくことも少なくなかったですね」と彼は言う。
Jリーガー時代は基本的に応援される立場だったが、政治の世界に身を投じるとストレートな拒否反応を示されることもある。「お前の話は聞きたくない」などという辛辣な言葉をかけられれば、辛さを覚えるのも当然。西野さんは現実の難しさを痛感したはずだ。
「それでも10人中10人が批判的というわけでなく、自分の考えを理解し、賛同してくれる有権者もいて、温かい声もいただきました。活動していく中で心強さを感じたし、本当に有難かったです」と本人は心から感謝した。
地道な活動の結果、4月7日の投票日には19885票を得て見事に当選。西野さんは新人議員としての人生を歩むことになった。
Jリーガー時代の経験を生かし、選挙演説も堂々とこなした(本人提供)
「やらない後悔よりやる後悔」というポリシーで、全世代の幸せを追求
「茨木市は人口28万。教育にも力を入れている町ということで、子育て世代からも人気があり、幸いにして人口が増えています。ただ、スポーツに関しては、環境が整っていると言い切れないところがありますね。スポーツを通じた子供たちの健全な成長を考えても、近未来の施設整備が重要だなと考えています」
つねに子供に目を向けるところは、4歳と2歳の子供を持つ30歳の父親らしいところ。その傍らで、西野さんは年齢層の高い人々にも目を向けている。
「僕は祖父母、両親、自分たち夫婦、子供の4世代で近くに住んでいるので、前世代が幸せになれるような環境を目指したいんです。高齢者が元気で暮らせるようなスポーツイベントなどもやりたいですし、健康寿命を伸ばすための取り組みも進めたい。僕の故郷である茨木の人々にとって身近で話しやすい存在になれるように、できるところから1つ1つ進めていけたら理想的ですね」と彼は目を輝かせる。
西野さんの千葉時代のチームメート・吉田眞紀人さんが千葉県木更津市の市議に転身した例もあるように、地域密着意識を選手時代から養ってきたJリーガーが政治の世界から地元や関わった町の活性化に貢献するケースは徐々に増えている。それはセカンドキャリアの模範例なのかもしれない。
30歳の市議というのは、茨木市では最年少だという。その若さで西野さんが生まれ育った町をどう変えていくのか。斬新なアクションを期待したいものである。(本文中一部敬称略)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。