サッカー元日本代表・中村憲剛さんの著書『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』(小学館クリエティブ)が話題だ。18年間、厳しいプロサッカーの世界でピッチに立ち続けた背景には、心を強く「し続けた」ことがある。1回目では現役時代のエピソードを中心に、ビジネスパーソンや学生の読者の方が実践しやすい「心の強化法」を紹介した。ここでは、自分以外の誰かと、心を共鳴させて、自分の力をさらに増幅させる方法を伺った。
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挫折をするなら、早いほうがいい
1回目では、学生時代からプロデビュー以降の「どん底からはいあがり続けた」エピソードについて紹介した。中村さんは、周囲と圧倒的な実力差があっても、焦らず腐らず、自分の立ち位置を明確にし、できることを続けてきた。
「何よりもサッカーが好きで試合に出たい。そのことしか考えていませんでした。また、自分の経験を、成功・失敗という二元論で判断しなかったことも大きいです。もし失敗をしても、挽回できるチャンスはたくさんありますし、練習を重ねていればそのチャンスをモノにすることができる。前進し続けて、場数を踏めば、その勝負どきも見えてくるんです」
トップ営業マンは重ねている場数が圧倒的に多いことが多い。勉強ができる人も、解いている問題の数が違う。お笑い芸人も舞台の場数を踏めば、笑いの“間”がわかってくる。
「サッカーは、0.001秒の判断が勝敗を左右する競技です。選手はボールが来る前から、直感的にどう動くかを判断します。1m……いや、数センチの距離が試合を決めるともいっていい。ボールはピッチ内を常に動いており、チーム全員がそれを全力で追う。心を一つにしなければ得点はできません。それぞれのポジションに高い能力を持つ選手を配置しても、“今ボールは僕と関係ないところにいる”と思う選手がいると勝てないんです」
神は細部に宿る、というが、サッカーの試合こそ僅差が勝敗を決める。高いレベルのパフォーマンスの背景には、基礎技術の研鑽と、選手の心に宿る自信が欠かせない。
「基礎技術も自信も日々磨き続けるもの。新人と10年以上のキャリアがある選手では圧倒的な差があります。僕は指導者として、順風満帆なままプロ入りした選手たちが、壁にぶつかっている姿をよく見ています。
大人になって初めて挫折を味わうと“なんとしてでもはいあがろう”という気持ちに持っていくまで、時間がかかることもあります。僕は彼らの気持ちがよくわかる。だから“サッカーの天才少年と呼ばれてプロとしてピッチに立てる人はほんの一握りだ。挫折や無力感を、これからどう自分の力にしていくかが大切だ”と伝えます。
僕は大学サッカーでもプロデビュー後も“一番ビリ”からのスタートでした。そこから基礎技術を磨き、心を維持し続けたから、今がある。打ちのめされている選手には“今苦しんでいることは実を結ぶぞ”と伝えます。僕は経験が伴っていますから、そのことを伝えると若手選手たちの目の色が変わります」
今、社会に出て、どん底に叩き落とされている人もいるはずだ。はいあがる気力が湧かない人はどうすればいいのだろうか。
「自分の仕事の先に、誰かの喜ぶ姿があるかどうかを考えてみるといいと思いますよ。人は自分のためだけには頑張れません。あなたにとって大切な人や、育ててくれる人がどう思うかを考えると、物事の見方が変わるはず。人のつながりを広げていった先に、社会があるんです。また、仕事とは離れた地域のつながりに意識を向けることも大切。川崎フロンターレは、地域貢献活動に力を入れてきました」
心が強くなると、自分が自分のファンになる
川崎フロンターレの地域貢献活動は多岐にわたる。多摩川を清掃する『多摩川“エコ”ラシコ』、子ども食堂の運営支援、クリスマスに小児科病棟に赴きプレゼントを渡す『ブルーサンタ活動』、震災復興支援など無数にある。その活動も数年で終わらせずに、何年も続けているのだ。
そんな活動が評価され、川崎フロンターレは、22年に日本財団HEROsが社会のために貢献したアスリートを讃える『HEROs AWARD スポーツ団体部門』を受賞。今は多くのチームが川崎フロンターレに倣い、地域貢献活動をしている。
「僕が03年にチームに入ってから、シーズン前に商店街であいさつをするなど、ピッチ外での活動に積極的に参加していました。するとそのうちに、“憲剛君のことを新人時代から応援しているのよ”と声をかけていただき、“試合に勝って地域の方々に喜んで欲しい”という気持ちが湧き上がりました。これは、選手たちの力になるのです。自分が誰に応援されているのか、身をもって体験すると、意識も変わってきます。そういうことの積み重ねが、17年のリーグ優勝に繋がったのです。あの時に、僕の中で本当の自信が芽生えました。それまで、自分のプレーに一喜一憂していましたし、試合の勝ち負けにも気持ちが持って行かれていた。
しかし、優勝を経験してからは、チームメイトへの接し方、行動、発言が変わり、プレーまでも変わっていきました」
今、仕事や勉強が伸び悩んでいる人は、“誰のために、なんのため”にということを考えてみるといい。そこでの気づきが、いい変化をもたらす。そして、自分の中に眠れる力が引き出されることを感じるはずだ。
「いい人生を生きるには、瞬間を重ねることなんです。チーム全体のことを話しましたが、結局は自分自身に行き着くのです。自分がしっかりと自分自身を保たなければ、何も始まらない。遠い目標設定も大切ですが、今日の練習のウォーミングアップをやり切る、練習が終わった後に自己分析して記録をつける、そういう細かなことを積み重ねの先に目標が見えてきて、心も強くなっていく。はいあがる過程で、やがて自分が自分のファンになっていくのです」
リーダーの立場に立つ人は、サボったりモチベーションが下がったりする人に声をかけることも仕事のうちだという。
「全員が同じベクトルを向くことは簡単ではありません。だからリーダーになった人は、部下をよく見て声掛けすることが大切です。活躍の機会がない人にこそ、声かけをする。これには、現役時代の監督が、ベンチにいる選手に声掛けとレスポンスを頻繁にしていたことから学びました。個人の成長とチームの一体感の維持には、コミュニケーションは不可欠です」
ときにコミュニケーションは摩擦を生む。誤解が生まれることだってある。それでも、中村さんは会話を重ねたほうがいいという。3回目では、その理由と家族についてのほか、より人間・中村憲剛に近づいた内容を紹介していく。
(プロフィール)
1980年10月31日、東京都生まれ。中央大学卒業後、03年に川崎フロンターレに加入。16年に史上最年長でJリーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞。17年のJリーグ優勝をはじめ、5つのタイトル獲得に貢献。日本代表としては2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ、国際Aマッチ68試合に出場。現在はサッカー指導者、解説者として、サッカー界の発展に尽力している。
『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』
中村憲剛著・木村謙介監修 小学館クリエティブ 1650円
「心って、一体なんだろう?」という簡単には答えが見つからない究極の問いを、著者と川崎フロンターレのチームドクターでもある医師・木村謙介さんが考察。「信頼を得る」「コミュニケーション」「人生の質を高める」などテーマ別に、心を健やかに強く保つための具体的なエピソードと共に考えていく。
取材・文/前川亜紀 撮影/五十嵐美弥