カポーティとニューヨーク
ニューヨークはカポーティにとって、彼の創造力を刺激する多くの要素が満ち溢れた場所として、その後の文学的キャリアにおいて重要な役割を果たしました。
カポーティはニューヨークでの生活を始めてからすぐに、そのダイナミックな文化シーンの一員となり、瞬く間に多くの文芸雑誌や書籍などを通して彼の名前は知られるようになります。
【カポーティ主催のブラック・アンド・ホワイト・ボール】
1966年、ニューヨークのプラザホテルでトルーマン・カポーティが主催する舞踏会「ブラック・アンド・ホワイト・ボール」が開催されました。このイベントは、映画「マイ・フェア・レディ」の華やかな黒と白の衣装にインスパイアされ、540名もの選ばれたゲストがモノクロの衣装とマスクで集いました。
この舞踏会のコンセプトは、カポーティがかつてから「有名になったら、裕福な友人たちのために盛大なパーティを開く」と公言していたものであり、まさに彼のキャリアの頂点とも言える社交イベントでした。
主賓として招かれたのは「ワシントン・ポスト」紙の発行人キャサリン・グラハムやアンディ・ウォーホル、グロリア・ヴァンダービルト、フランク・シナトラなど、その時代を象徴するカルチャーアイコンが集い、彼らはカポーティと共に、ニューヨークの社交界やカルチャーシーンの豪華な顔ぶれを決定的にしたのです。
また「ブラック・アンド・ホワイト・ボール」は、単なるパーティ以上のものでした。このイベントは、カポーティの文学的影響力と社交界での地位を象徴するものであり、彼が築いた友情の深さとその後の彼の人生における複雑な関係の前兆ともなりました。
特に晩年は、この華やかな舞踏会の記憶とは対照的な結末を迎えています。
おわりに 晩年と未完作品「叶えられた祈り」
1975年11月号の「エスクァイア」に部分的に公開されたトルーマン・カポーティの小説「叶えられた祈り」は、その赤裸々な内容でニューヨーク社交界を震撼させました。
この小説によって描かれた親密な友人たちの秘密やスキャンダルが明るみに出たことで、カポーティはかつての支持者たちから総スカンを食らい、多くのセレブとの友情が断絶に至ったのです。
カポーティはその後、アルコールと薬物に溺れる生活を送り、自身が「これまでで最高の作品になる」と豪語していた「叶えられた祈り」を完成させることなく、1984年に59歳でこの世を去りました。彼の死後、遺された作品の断片を巡る謎は深まる一方で、完全版の存在は未だに確認されていません。
この未完の小説は、カポーティの文学的遺産の中でも特に複雑な位置を占めています。
「叶えられた祈り」がもたらした社交界との断絶は、彼の晩年を一層孤独なものにしましたが、今日でも彼の作品は多くの読者に読まれ続けています。
カポーティの生涯と未完の遺作は、彼の輝かしい才能と同時に、彼が抱えた内面の葛藤を象徴しているともいわれ、そのすべてが彼の文学的足跡をより一層鮮明にしているのかもしれません。
文/スズキリンタロウ