「CITIZEN」の名が冠された初めての時計「16型手巻き懐中時計」が誕生して今年で100年。それを記念して、新たなタイムピースとなる“「CITIZEN」ブランド時計 100周年記念懐中時計”の発売がこの秋冬に予定されている。その開発ストーリーを、シチズン時計商品企画部の宮原太郎さん(写真右)、ME開発部の土屋建治さん(写真左)のお二人にインタビュー。まずは、時計の針を100年前に巻き戻して……。
シチズン時計商品企画部の宮原太郎さん(右)、ME開発部の土屋建治さん(左)。
求められるのは100年前と同じ強い意志
@DIME:シチズンの創業は1918 年ですが、第一号の時計となった懐中時計の誕生が1924年。6年もの歳月が経っています。
土屋さん:1918年にシチズン時計の前身である尚工舎時計研究所を創業者・山﨑亀吉 が設立したのは、「国産の時計を作りたい」という思いからでした。それも柱時計のようなクロック(clock)ではなく、最初からウォッチ(watch)での勝負でした。山﨑亀吉は貴金属商であり装身具の製造もおこなっていたことからウオッチ製造をはじめから志したと思われます。
精密機械として部品に求められる精度はかなり高く、優秀な工作機械にこだわり、さらに作り手も、器用な職人を集めればできるというものではないため、まずは時計学校を興して、理論を実践できる人材を育てました。そして6年後にやっと第一号の時計を売り出すことができたのです。
1924年に世に送り出されたシチズンのオリジンとなる初代懐中時計
宮原さん:この考え方はシチズンの時計作りのDNAとして生きているな、と感じることがあります。例えば、部品精度を確保することで製品の高い品質を確保する、という思想です。実際に今も、時計を作る装置の多くを自ら開発しています。シチズンという会社の特徴のひとつです。
@DIME:なぜ第一号が腕時計でなく懐中時計だったのでしょう。
土屋さん:創業した頃は腕時計は存在していたものの、過渡期でもありました。時計(Watch)といえば海外でも懐中時計が主流で、腕時計は第一次世界大戦で兵士たちの間で普及されたと言われています。当時にあっては、スイスやアメリカで行われていた懐中時計の製造技術を日本に根付かせようとしたところは、妥当な判断だったと私は思っています。
@DIME:そこから100年が経ち、シチズンが再び懐中時計を作るとなったときのお二人の感想は? そして、開発の始まりは?
宮原さん:企画担当を任命された当初、現代にあえてクラシックともいえる手巻きの懐中時計を出す意味とはなにか、あらためて考え、そしてそれを世に出すからには今の時代のシチズンを感じてもらいたいと思いました。何より、100年前と同じ強い意志を持って進めていかないと、という気持ちになりました。
100年後に見ても素敵なものにしたいというのも意識していました。そして100年前に作り上げられた懐中時計を単に復刻するのではなく、オリジンにリスペクトを込めながら今のシチズンだからできる一歩進んだ表現を盛り込んでいこう。さらに、長く使えるものにしよう、と。
そこから、社内のデザイナー、ムーブメント開発、外装開発のメンバーで集まり、目指す懐中時計のイメージを固めていきました。
土屋さん:私が籍を置く部門は、機械式ムーブメントの開発を行っています。個人的に時計の歴史に興味があり、懐中時計の奥深さを感じていたからこそ、ムーブメントにせよ外装にせよ、魅力的な懐中時計を開発することの大変さは容易に想像できました。だからこそ、中途半端なものは作れない、懐中時計愛好家にも納得していただけるようムーブメントもよりよいものにしなければ、と思いました。
@DIME:確かに、懐中時計には愛好家がいらっしゃいますよね。
土屋さん:昔から愛好家の方々が懐中時計に感じる魅力は普遍なのかと思っています。昔も今も懐中時計を使ったり鑑賞したりする時に感じられる「良さ」というのは一定の様式美を伴うものだからではないかとも私は考えています。
@DIME:様式美とは?
土屋さん:そうですね、例えば、文字板の径がこれくらいだったら小秒針はこの位置にあるよね、とか。あるいは、持ったときの掌(たなごころ)への納まり具合とか。また、懐中時計に限らず、機械式ムーブメントというのは、たとえ外から見えなくても、美しい仕上げや部品の形状の作り込みにまでこだわる。そしてそれをとりあつかう仕草までも含めた美意識、これが懐中時計の世界なんです。