目次
「悪法もまた法なり」は、古代から継承されてきたことわざの一つである。正しい理解の方はできているだろうか?
本記事では、悪法もまた法なりの意味・由来や、活用方法を解説していく。類義語も伝えるので、ぜひチェックしてみてほしい。
「悪法もまた法なり」とは?
「悪法もまた法なり」とは、悪しき法でも、従うべきということを意味することわざだ。以下では、正しい意味と由来を解説していく。
■意味
「悪法もまた法なり」を辞書で引くと、意味は以下の通り。
たとえ悪い法律であっても、法は法であるから、廃止されない限りは、守らなければならない。 引用:デジタル大辞泉(小学館) |
上記の通り、「悪い法律でも、法改正で廃止にならない限り法律として守らなければいけない」という意味を表している。
また「ならない」という語尾から、強いインパクトも伝わってくるに違いない。
■由来
この言葉の由来は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの裁判に関連していると言われる。エピソードはこうだ。
ソクラテスは、アテネの民主政下で不敬罪と青年を堕落させた罪で告発され、死刑を宣告された。ソクラテス自身は無実を訴えましたが、彼は最終的にその判決に従い、毒杯を飲んで死を受け入れた。そこでソクラテスは自分が不当な裁判にかけられたことを理解していたものの、「悪法であっても、それは法律であり、それに従うべきだ」という態度を貫いたという。
これが「悪法もまた法なり」という考え方の象徴とされている。
このことわざには、法律の遵守を重んじる一方で、悪法に対しても従うべきかどうかという道徳的な議論も含まれており、現代においても倫理や法制度に関する議論で引用されるケースもある。
「悪法もまた法なり」の使い方
以下が「悪法もまた法なり」の例文だ。具体的な使用例を見て、この言葉の意味と使い方を詳しく理解しよう。
■「悪法もまた法なり」を許容した時の例文
しぶしぶ納得がいかないことも受け入れる際、「悪法もまた法なり」は以下のように使用できる。
・部長が決めたことだから従おう。「悪法もまた法なり」と言うじゃないか。
・新しい税金が導入されたけど、「悪法もまた法なり」だ。仕方なく払うしかない。
これらの例文は、納得がいかない決定やルールに対しても、従う必要がある状況を示しており、「悪法もまた法なり」の意味を分かりやすく表現している。
「悪法もまた法なり」の類義語
悪い法律でも聞き入れるという「悪法もまた法なり」には、似通う言葉が複数ある。以下では、2つの類義語を紹介しよう。
■無理が通れば道理が引っ込む
「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざは、「理不尽なことや筋の通らないことがまかり通ると、正しいことや論理的なことが通らなくなる」という意味を持つ。
不当な力や権力が強行されると、本来の道理や正義が引っ込んでしまうという状況を表現している。
■不承不承
「不承不承(ふしょうぶしょう)」は、「仕方なく了承する、受け入れる」ことを意味する四字熟語だ。「ふしょうふしょう」ではなく、「ふしょうぶしょう」で濁点が付くので、人前で間違えて言わないよう注意したいところだ。
なお「悪法もまた法なり」とでは、しょうがなく許容するという点において共通する。使い方は「判決を下された側も、表情から不承不承であったことがわかる」という表現ができる。