小学館IDをお持ちの方はこちらから
ログイン
初めてご利用の方
小学館IDにご登録いただくと限定イベントへの参加や読者プレゼントにお申し込み頂くことができます。また、定期にメールマガジンでお気に入りジャンルの最新情報をお届け致します。
新規登録
人気のタグ
おすすめのサイト
企業ニュース

「眼光紙背に徹す」とはどういう意味?覚えておきたい言葉の由来と使い方

2024.04.16

「眼光紙背に徹す(がんこうしはいにてっす)」は、眼の光が紙の裏まで見通し、言葉の本質を理解するための読解力を持つことを指す。

本記事では、意味と由来、使い方や類義語までを解説していく。誤認しやすい例も見たうえ、実生活でも使える例文を知りたいなら要チェックだ。

「眼光紙背に徹す」とは

「眼光紙背に徹す」とは、物事の真意を表面のみならず深く見極めたい時に用いられることわざだ。あらためて意味と由来を確認しておこう。

■意味

「眼光紙背に徹す」を辞書で引くと、以下の意味となる。

あたかも眼光が書物の紙の裏側まで見通すかのごとく、書かれた言葉の真意を深く理解するような深い読解力があること。

引用:Weblio辞書/実用日本語表現辞典

「眼光紙背に徹す」とは、研ぎ澄ました眼光により、表面のみならず裏側・内部までを見極め、かつ最適な解釈をするという意味だ。書物で例えられているが、用法は文書・言葉に限らず、見たままの姿と内面を同時に理解し、咀嚼したということになる。

つまり、見極めようとする姿勢+理解する姿勢といった2つの意味が重なったともいえるだろう。

■由来・語源

「眼光紙背に徹す」の由来は、江戸時代の末期に遡るといわれている。儒学者・塩谷宕陰(しおのやとういん)の『安井仲平の東遊するを送る序』の一節にあるとされ、彼が安井仲平(やすいちゅうへい)の才能について「書を読むに眼は紙背に透る」と激賞したことにある。

上記は、「読書する時に、書かれている紙の裏まで見通す」という意味であり、「透る」が「徹す」という表現に変わっていった。従って、由来と語源は江戸時代の儒学者・塩谷宕陰だと考えられる。

「眼光紙背に徹す」の使い方

本質を見極めたい時に「眼光紙背に徹す」ということわざは、複数のシーンで適用できる。以下では、さまざまなシーンにおける使い方を例文と共に確認してみよう。

■ビジネスシーンにおける例文

ビジネスシーンに使える例文は以下の通り。

・君は業務のコツを、部長から見て盗むと良い。部長は本質を見極める力に長けていて、まさに眼光紙背に徹する方だよ。

職場において、先輩社員が理想の上司を挙げ、見習うことの重要性を説いている。部長は見極める力に秀でており、眼光紙背に徹してきたのが背景にあるということだ。見て盗むようにじっくりと分析し、自分にフィットする部分をドッキングさせると功を奏すと先輩社員が伝えている。

■恋愛における例文

恋愛に使える例文は以下の通り。

・彼女は天真爛漫だけど、思考が読めなくなることもある。眼光紙背に徹して分析してみるのはどうだろう。

恋愛相談を受けた際に、眼光紙背に徹すのことわざを活用して返した例だ。冷静沈着になり、深く分析すると、彼女が陽気以外の闇を抱えた側面も見えると解釈できる。また、眼光紙背を使用したことで、知性溢れる印象がブレンドされているのがわかるだろう。

■誤った使い方に注意

「眼光紙背に徹す」が誤用されやすい場面は主に漢字変換だ。

一例では「かんこ紙背に徹する」「頑固紙背に徹する」などと間違える人もいる。いずれも誤りなので、間違った使用は避けたい。

さらに紙背(しはい)を支配と間違えないよう注意したいところ。「鋭い眼光から特徴を見据え、物事を支配する」といった、意味の混同も起きやすいのだ。あくまでも見極めることに特化したことわざであり、相手方に干渉を与えるものではない。

「眼光紙背に徹す」の類義語

「眼光紙背に徹す」のことわざには、似た意味の言葉がたくさんある。最適な選択ができるよう、以下では3つの類義語を確認してみよう。

■熟読玩味

「熟読玩味」(じゅくどくがんみ)は、類語として筆頭候補に挙げられる。詩文を読み、意味を十分に味わうことを指す。詩文とは、文書・書物とも同義。またじっくりと読み、堪能するという意味にも取れるために、表面的ではなく中身を見る「眼光紙背」に通ずるところがあるだろう。

■熟思黙想

「熟思黙想」(じゅくしもくそう)も、類語として近いニュアンスを持つ。熟思は十分に考え、思考を張り巡らせることを指す。

残す黙想は、黙り心を安らかにして思いにふけることを意味する。重ねると、熟思黙想して答えを出すとなるが、眼光紙背に徹すも似通う点は十分にあるだろう。

ただ見据えるという点で、その後のアクションをともなわない、つまり動と静でいうと静の部分が共通しているからだ。

■慧眼無双

「慧眼無双」(けいがんむそう)とは物事の本質を見抜く眼力のこと。

「慧眼」の単体で用いられることも多い。「慧眼」だけで、物事を見抜く眼力の意味が既に成立するためだ。

「無双」は肩を並べるものがいないという意味なので、「慧眼」の秀でた様子を補足している。本質を見抜くいう点で、「眼光紙背に徹す」と極めて似ていることがわかりやすい。

多角的な分析を要する時に使える「眼光紙背に徹す」

「眼光紙背に徹す」は、眼光が紙の裏側まで見通すかのように、真意を理解する高い読解力を持つことだ。

見極める・分析という点で汎用性が高く、多岐にわたるシーンで用いやすい。また紙背を「しはい」と読む面白さもあり、見聞きした側も日本のことわざに関心を持つのではないだろうか。ぜひ積極的に使ってみよう。

文/shiro

@DIMEのSNSアカウントをフォローしよう!

DIME最新号

最新号
2024年4月16日(火) 発売

DIME最新号は「名探偵コナン」特集!進化を続ける人気作品の魅力、制作の舞台裏まで徹底取材!

人気のタグ

おすすめのサイト

ページトップへ

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。詳しくは[ABJマーク]または[電子出版制作・流通協議会]で検索してください。