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「船頭多くして船山に上る」とは、指示する者が多すぎてあり得ない方向に進んでしまうことを意味することわざである。ビジネスシーンにも使いどころが多いため、ぜひ正しい意味を理解しておいてほしい。
本記事では、「船頭多くして船山に上る」について解説する。類義語や似た意味の四文字熟語も併せて覚えておこう。
「船頭多くして船山に上る」とは
「船頭多くして船山に上る」とは、指揮官やリーダーが多すぎることによるトラブルを表すことわざである。まず、意味と由来を確認していこう。
■意味
「船頭多くして船山に上る」を辞書で引くと、以下の意味となる。
指図する人間が多いために統一がとれず、見当違いの方向に物事が進んでしまうたとえ。 |
直接的に意味を汲むと、船頭が多すぎて、船が山に上ってしまうとなる。水辺を行くはずである船が山を進むというのは、本来ならばあり得ないことである。そのように指揮官・リーダー(=船頭)が多すぎてまとまらず、思いもよらない方向へと進んでしまうことを例えたことわざが、「船頭多くして船山に上る」なのだ。
ちなみに、稀に難しいと思われることでも、皆で力を合わせれば乗り越えられると解釈されることがあるが、これは意味の取り違いである。「船頭多くして船進まず」「船頭多くして船沈む」も似ているようで間違った言い回しのため、誤用しないよう気をつけよう。
■由来
「船頭多くして船山に上る」の由来や語源は、明らかになっていない。ただし、古代中国の故事成語である「木匠多、蓋歪房(大工が多すぎると、歪みのある家が建つ)」が元になっていると言われている。
日本の著書では、小説家の夏目鏡子が綴った「漱石の思ひ出」に登場するほか、イギリスには「Too many cooks apoil the broth.(料理人が多すぎるとスープがまずくなる)」という言葉もあり、いずれの生活の知恵を示すことわざであるとわかるだろう。
「船頭多くして船山に上る」の使い方
「船頭多くして船山に上る」のことわざは、指揮官が複数人いるために統率が取れず失敗してしまう場面や、周囲が困惑してしまうといった場面で使われる。
以下では、ビジネス・日常生活での使い方として例文を確認していこう。
■ビジネスシーンにおける例文
ビジネスシーンで使う時の例文は、以下の通り。
・部署が異なるリーダーが集まると、まさに「船頭多くして船山に上る」になりがちだ。
・先輩たちは自己流を身につけているので、質問する相手によって回答が違う。「船頭多くして船山に上る」といった状態で、やや困惑している。
複数の部署にまたがって大勢が属する会社や職場では、規模が大きいほど指揮官やリーダーの数も増えがちだ。指示する人数が多すぎてまとまりに欠け、誤った方向に進んでしまうことの嘆きとして、「船頭多くして船山に上る」のことわざは重宝するだろう。
■日常生活における例文
日常生活で使う時の例文は、以下の通り。
・「船頭多くして船山に上る」と言うけれど、きちんと取り仕切ってくれる人がいないのも考え物だ。
・私が通っている教室には、指導してくれる先生が複数人いる。どちらを参考にしたら良いのか迷う時があり、これを「船頭多くして船山に上る」の状況と呼ぶのだろう。
日常生活で指示や指導を受ける場面はそこまで多くないものの、習い事の先生や私設団体の主軸となる人にかけて使用できる。ビジネスシーンより線引きが曖昧なフィールドのため、きちんとした指揮官・リーダーがいないことの比較として活用できるだろう。
「船頭多くして船山に上る」の類義語
「船頭多くして船山に上る」には、リーダーが複数人いることからのトラブルといった意味を持つ類義語が存在する。以下では、代表的な3つを見てみよう。
■役人多くして事絶えず
「役人多くして事絶えず」とは、役人が多すぎて、物事が絶えないという意味を持つことわざだ。役人が多いぶん、業務が複雑化するといった意味も含んでいる。
■舎を道傍に作れば三年にして成らず
「舎を道傍に作れば三年にして成らず」とは、人の意見を聞いてばかりいるとキリがないという意味を持つことわざだ。家を道端に建てるにあたり、通りすがりの人々に意見を聞いていたらいつまでも終わらないといった状況から来ている。
■築室道謀
「船頭多くして船山に上る」の類義語には、四文字熟語の「築室道謀」も当てはまる。読み方は「ちくしつどうぼう」で、意味は余分な意見が多すぎて完成しないというもの。
築室は家を建てることを指すため、「舎を道傍に作れば三年にして成らず」にも通ずる言葉と覚えておこう。