2023年3月期決算から、上場企業は有価証券報告書において人的資本情報の開示が義務となった。各企業が開示に関する明確な指標がないまま対応を迫られ、多くの企業が基本的な開示項目にとどまるなどの課題も指摘された。
人事システムで知られるカオナビは、開示された上場企業2,329社の人的資本情報をすべてデータベース化した「人的資本データnavi」というWebサービスを2023年11月末に提供開始。それに伴い開催されたセミナーでは、同社のカオナビHRテクノロジー総研のアナリストが人的資本レポートの概要版から、2023年の開示傾向を分析した人的資本レポートが紹介された。
果たして今回の開示の傾向とは? 今後の展望も聞いた。
開示が義務化された「多様性3要素」とは
今回、開示が義務化された有価証券報告書とは、上場企業や一部の非上場企業に提出が義務付けられている書類。事業年度ごとに提出する必要があり、企業の概況や事業の状況、財務諸表などが公表される。
2023年3月末決算からは、人材育成方針・社内環境整備方針や多様性に関する指標といった人的資本情報の記載が求められるようになった。具体的には、次の多様性3要素だ。
●多様性3要素
・男女間賃金格差(=男女の賃金の差異)
・男性育児休業取得率
・女性管理職比率
男女間賃金格差の結果
男女間賃金格差、つまり賃金の男女差はどのくらいなのか。
計算式は「女性の平均年間賃金÷男性の平均年間賃金×100」で、数値が大きいほど、男女の賃金の差異は小さいことを示す。
全労働者の結果は、平均値・中央値が「60%台後半」となり、「60%台」が3割強、「70%台」が3割程度で多数を占めた。しかし「100%以上」、つまり男女の賃金が同じ、もしくは女性のほうが高い企業は数社にとどまった。
男性育児休業取得率
男性育児休業取得率はどうか。算出方法は選択式。多くの企業が選択していた「育児目的休暇を含まない算出方法」の結果を見てみよう。
「40%前後」が平均値・中央値で、 「20%台」が最頻値。「0%」も「100%以上」も1割程度あり、ばらつきが見られた。取得率は低めの印象がある。
人的資本を積極的に開示している企業の特徴
今回、人的資本を積極的に開示した企業の特徴や意図はどんなところにあるのか。カオナビHRテクノロジー総研 研究員である齊藤直子氏は次のように話す。
「まず、開示義務化された多様性3指標(男女の賃金の差異・男性育休取得率・女性管理職比率)は、プライム市場での開示率が高いといったように、市場区分などで開示率の違いはありますが、これは開示義務の基準となる各社の常時雇用労働者数が影響していると思われ、義務がある企業はほぼ開示をしている状況ではないかと推察しています。
今回は『育成』や『エンゲージメント』を中心に、任意に数値を開示する項目の有無も調査しましたが、市場区分で言えば『プライム市場』、業種で言えば『金融・保険業』で、開示する企業が多く見受けられました。
その要因を特定することは今回の調査だけではむずかしいですが、おそらく要因の1つに『投資家目線の強さ』があると思われます。プライム市場の企業のほうが、相対的に企業価値が高く、投資家との対話機会が多いでしょうし、金融・保険業は事業特性上、自然とそうなるでしょう。『投資家にとっての人的資本情報の価値を深く理解している企業が積極的に開示している』と言ってもいいかもしれません」
他社の開示情報をどう活用するか
ところで、今回から開示が義務化された内容は、他社からしてみれば興味深い情報だ。今後、どのように活用していけるか。
「他社の開示情報の活用には2つの方向性があると考えます。一つは、他社の開示項目(=何を開示しているか)を参考にして、自社の開示項目を決めるということです。
もちろん、他社の開示項目をそのまま自社に適用はできないでしょう。開示が義務化された項目以外は、自社の戦略やビジネスモデル等から独自に開示項目を決めるべきとは思います。とはいえ、自社の視点のみで検討することに限界もあるかと思われるため、競合他社や開示先進企業の開示項目は、ISO30414等の人的資本に関する情報開示のガイドラインと同様に参考にできるでしょう。
もう一つは、自社の各項目の目標値を決める、あるいは実績値の評価をする際に、他社の開示数値や内容をベンチマークとして活用することです。目標値も、最終的には自社の戦略等に基づき個別に決められるべきかとは思いますが、競合他社や優良他社の現状値・目標値は目指す方向のヒントを与えてくれます」
今後の展望
今後、人的資本開示の全体の状況はどう変化していくだろうか。
「今回の結果は概して『開示義務項目は義務がある企業であればほぼ開示がされているものの、任意開示項目は少なくとも有報上での開示はあまり多くない』状況です。有報上での開示義務が初めて課され、その対応で精一杯という企業も多かったのではないでしょうか。
とはいえ、弊社のユーザー様のニーズを見るに、少なくとも『人的資本情報の可視化』への関心は高く、社内での情報活用は進むと思われ、今後は任意開示もある程度、充実するとは思います。ただし特に従業員への心証等を考えると二の足を踏み、結果的に義務項目のみの開示に留まるという企業もある程度、残るだろうと推察します。
開示に積極的な企業については、有報上で開示を充実させるとは限らず、重視するステークホルダーによって開示媒体が多様になっていくことも考えられます。統合報告書はもちろんのこと、求職者への情報開示を重視する企業は採用ホームページ上で、従業員への開示を重視する企業は自社ポータル上など、見せ方の細分化・最適化が進むのではないかと個人的には思っています」
人的資本の開示は、これからは投資家だけでなく、顧客や従業員といったステークホルダーの興味関心を呼んでいくのかもしれない。次回はどう変化するのか、気になるところだ。
取材・文/石原亜香利