38歳で無職になって、お告げに導かれて料理家の道へ
D 実家の片付けが終わり、新島の宿も契約関係で閉めることになり、麻生さんは38歳で無職になります。
麻生 友達も多く、仕事の誘いもあり「なんとかなるだろう」と思っていたんです。東京に戻って、家を探さねばならない。以前からお告げをくれる友人が「千駄ヶ谷に住みなさい」と言ってくれましたが、無職で、ペット(猫のチョビ)がいる僕に貸してくれる物件はあるだろうかと探しましたが、やはりない。
しかし、ある時、物件が出て来たんです。それをお告げの友人に聞くと「そこにせよ」と返事がありました。とんとん拍子に入居が決まり、不動産屋さんから「大家さんが会いたがっているから、引っ越しの時に挨拶をしてください」と言われたんです。契約書を見ると女性の名前が連名であり、大家さんは姉妹だとわかりました。
挨拶に行くと、歳の頃は70代後半くらいでしょうか、おしゃれでメイクもバッチリしている女性が玄関先で出迎えてくれました。この方は姉妹の姉で、「あなた、ご苦労なさったのねえ、でもここに引っ越して来たらもう大丈夫よ」と言ってくれたのです。
リビングには同じようにおしゃれな老婦人がおり、それが妹だったのです。「あなた、猫ちゃんいるんでしょ? 私たちも猫も犬もずっと飼っていたのよ。これからは猫ちゃんとのんびり暮らしたらいいわよ」と。
大家さんの老姉妹から「養子にならない?」と言われる
D 浮世離れしていますね。麻生さんがしっかり稼がないと、彼女たちの収入源である家賃も払えないのに。
麻生 でしょう? でも、そこには現実とは離れた話の内容であっても、納得してしまうような独自の空気が流れていたんです。
その後、二人はチョビを可愛がってくれて、会話の機会が増えていきました。そしてあるとき姉妹から「あなた、養子にならない?」と天気の話をするみたいにして言われたのです。当然、本気だとは思っていないので、生返事をしていました。
すると、妹が「あなたは独身よね。 私たちも2人だけなの。結婚することもなく、楽しくこの年まで生きてきたの。親戚も遠くにいて付き合いもない。よかったらこのマンションをあなたに継いでもらえたら。うちの養子にならない?」と。
D お互いによく知らない、赤の他人が養子関係になり、マンションを相続する……現実離れにもほどがある!
麻生 僕自身、「来た船に乗って」生きてきましたが、さすがにその申し出は生返事しかできませんでした。あるとき、「近所にお墓を買うから、一緒についてきてほしい」と言われ、3人でお寺に行ったんです。そしてボックス型のお墓を購入することになり、担当者の方に「両親と、私たちと、要ちゃんの3つください」と饅頭を買うみたいに言うんです。
面食らっていると、「契約者はこの人」と姉妹は僕を見る。そして、妹は大きなサングラスを外して「あなた、めんどくさいからうちの養子になりなさい。手続きは後でするから、ここに麻生要一郎って書きなさい」と。養子の話は本気だったことが、この時にわかりました。当時は別の名字でしたが、「麻生要一郎」とサインし、それからすぐに僕は大家さん姉妹の妹の養子になったのです。
D お告げに従って、千駄ヶ谷に住んだら、大家さんの姉妹と交流が生まれ、お墓を買われてしまう。そして、麻生さんは妹と親子関係になりました。そして、麻生さんは養母となった妹の看取りも経験します。
麻生 持病があった妹が先に旅立ち、8歳年上の姉が今、骨折をして入院中です。その介護がなかなか大変だったときの気持ちは、新刊『365 僕のたべもの記』の行間に現れています。
D ところで、千駄ヶ谷に引っ越してから、どのような生活をしていたのですか?
麻生 養子になったばかりの頃は、姉妹も元気でしたので、料理の仕事をほそぼそと始めました。家庭料理を作り続けてきただけの僕に「仕事として成立する料理」があるのだろうかという思いはありました。
ある時、編集者の友人に「撮影スタッフ用の弁当を作って欲しい」と頼まれ、いつも通りのおかずを詰めてお弁当を届けると、「美味しかったよ」と喜んでもらえました。それが心から嬉しかった。それと同時に、東京にはお弁当を届ける仕事というニーズがあるんだ、と驚いたのです。
制作過程の麻生さんのお弁当は「水分量が多く、ずっしりしている」と評判。唐揚げは麻生さんの得意調理で「要一郎さんの唐揚げ」として知られている。
やがて、そのお弁当が人気になり、雑誌に紹介されたり、レシピの取材を受けたりするようになっていきました。お弁当が一人歩きするようになったんです。僕にとってお弁当は日々の暮らしの先にあるもの。そこで、Instagramをはじめ、僕自身の生活を上げるようになったのです。
D 仕事と生活は地続きである。そう考えると、物事のあり方、捉え方も変わってきます。また、麻生さんがこれまで歩いてきた道を伺っていると、死と生は地続きではないかと感じることが多々あります。
麻生 そうかもしれません。いくつもの偶然と縁が重なって、自分の周りの世界はできていく。食べ物も同じことです。何かの流れがあって、その日食べるものが決まっていく。コンディションに合ったものをいただければそれでいい。刺身の隣にシチューがあってもいいんです。ルールなんてないのだから。
手間がかかる揚げ物も、誰かの好物だと作りたくなる。これはとんかつ。
家庭料理はウェルビーイングではないか
D ただ、SNSによって、食の“見栄”の部分が、一層強調されるようになってしまいました。情報と承認欲求のノイズが入り、高価で珍しいものをアップして、「いいね」をたくさん得るというか……。予約困難店、有名ブランドの新作、人気店の期間限定のアイテムなどを見るうちに、食はお金を出して手に入れるものだと感じ、家庭料理が見劣りするようにも感じています。特別な食材じゃないとSNSに上げられないというか……
麻生 家庭料理を消費の枠組みで捉えることはありません。家庭料理は、相手のために、そこにある食材で料理をします。誰かの好きなものを料理しているときは、とても幸せになるんですね。そうして作ったものを、同じ時間と空間で食べる。そういうフラットな状態になる機会を持つことが、ウェルビーイングなのではないかと。
D 手料理とか、家族の団欒というと、愛情、幸せなどの言葉が付きまといますが、もっと根源的で混沌とした感情があり、それまで続いてきた時間の重みと濃さを感じることでもあります。
麻生 そうなんですよ。いいことばかりではないですし、イラッとすることもあるでしょう。でもほんの一瞬だけ、心が通い合ったとか、楽しかったとか、そういうことがあることもあれば、ないこともある(笑)。それもまた続いていく人生の一部なんですよね、きっと。
――不思議な運命に導かれてきた麻生さんと話していると、全てを「ありのまま」をとらえていることが伝わってくる。常識や規範にとらわれることなく、物事をみている。
ふと、麻生さんに、「これまでの人生で怒ったことはありますか?」と質問してみた。しばらく考えた後に、「ないですね。怒ったふりをしたことはあります」と穏やかに笑った。そして自ずと「誰かのために料理をしたい」という力が湧いてきた。たとえ、それが「大したもの」ではなくても、きっとそこに心のつながりが生まれ、自分を満たしていくと感じたからだ。
取材・文/前川亜紀