初個展 THE NEW
1980年、クーンズ25歳のころに初個展「THE NEW」を開催。これはフーバー社の掃除機をアクリルケースに収め、蛍光灯でライトアップしたシリーズです。
究極的な「新しさ」を提示する一方、その新しさは常にアップデートされるため、「新しさ」は持続しないという逆説を含んだ作品です。この作品を見た通行人は、家電屋と勘違いしたという逸話も残っています。
このころ、クーンズにとっての仕事の相棒となる、批評家ジェフリー・ダイチとの交流が始まります。
◯ ジェフリー・ダイチ……1952年生まれのアートアドバイザー、キュレーター。78年ハーバード大学経営大学院修了。96年にダイチ・プロジェクツを開廊。2010年、ロサンゼルス現代美術館館長に就任。13年に辞任。誰よりもクーンズを理解して世に広めた男として名を知られている。
EQUILIBRIUM(平衝)シリーズ
1983年、クーンズ28歳のころにEQUILIBRIUMの制作を開始します。これは水槽のなかにあるバスケットボールを真ん中に保つ作品で、実に50名以上の物理学者からアドバイスをもらい、完成まで長い年月を費やします。なかでもノーベル物理学者のリチャード・P・ファイマンはクーンズの作品構想に興味を持ち、その解決法を生み出します。
この作品は「生」よりも前にあり「死」よりも後に起こるかもしれない未知の可能性について提示した「今という瞬間を投影した永遠」という究極の状態を表しています。出来上がった作品は1985年にNYのギャラリーで発表し、いよいよクーンズは気鋭のアーティストの仲間入りを果たします。
人気アーティストの階段を駆け上がる
毎年のように次々と新作を発表するなかで、転機となったのが1987年ロンドンのサーチ・ギャラリーで開催されたグループ展に参加したことです。そこで新作「STATUARY」シリーズの作品「ラビット」がギャラリーの表紙を飾ります。のちにそれをみたイギリス人アーティストのデミアン・ハーストは「ジェフ・クーンズを見たときは、鉄の棒で頭をぶん殴られた気がした」と語るほどの衝撃を受けています。同年、NYのホイットニー美術館が2年に1度開催する「ホイットニー・ビエンナーレ」に、この「ラビット」が展示され話題をさらい、瞬く間に人気アーティストになっていったのです。
その後も「BANALITY」シリーズなどを発表していきます。
◯STATUARY……大量生産や骨董品に描かれた、歴史上の人物や芸能人などの著名人のポートレイトをレディメイドとしてスチールで再現することで、文化の民主的な平準化を狙っています。鏡のような表面が周囲を映した「ラビット」はアート作品とその環境を反映する存在として、クーンズの作品のなかでも重要な存在。
◯BANALITY……これまでのSTATUARYなどのレディメイドシリーズとは異なり、様々なモチーフを組み合わせ、平凡で凡庸な主題を通じて大衆的なものへの賞賛や後ろめたさの解放を狙った作品シリーズ。
女優チッチョリーナとの恋から生まれた作品 MADE IN HEAVEN
1984年、女優のチッチョリーナと恋に落ち、のちに結婚。彼女をアイコンにして制作されたのが「MADE IN HEAVEN」シリーズです。夫婦の写真をベースに絵画にした作品など、露骨さを剥き出しにした作品は大きな論争を呼びました。
これは、あえて批判されやすいセルフポートレート作品にすることにどこまで耐えることができるのか、クーンズ自身の耐性的実験でもありました。この作品をみた美術批評家のジェリー・サルツは「作品をみた世界的ギャラリストのレオ・キャステリの恐怖と困惑が入り混じった表情が忘れられないよ」と語っています。この一連の作品は羞恥心の解放を示唆し、今後、クーンズ自身が亡くなった後に、この作品はどう受け止められるのか?という実験でもあるのです。
CELEBRATIONシリーズにより破産寸前に!
「CELEBRATION」は現在も続く人気シリーズではあるものの、制作を開始した1994年当初は、その高額な制作費に頭を悩ませていました。そこで友人であるジェフリー・タイチが援助の手を差し伸べたものの、2人は共倒れ寸前に陥ってしまい、ガゴシアンギャラリーの資金援助を受けることとなります。作品はアルミ製で粘土の素材感や色彩は本物以上に発色がよく、子供のおもちゃや誕生日のギフトなどをモチーフとして、絶えずその抽象性に新展開が見られています。
・ガゴシアンギャラリー……ラリー・ガゴシアンが主催する世界一とも呼ばれているトップギャラリー。ガゴシアンの作家になると作品の価格が上がるとも言われている。