人の生活全体を観察することによって、行動に隠された意味や価値などを探る文化人類学。その調査手法を応用した独自の理論に基づき、リサーチ&アナリシスを行なっているのが、ideafund社の代表取締役を務める大川内直子さんだ。文化人類学の視点をビジネスに生かす方法について、大川内さんの考え方を聞いた。
ideafund代表
大川内直子さん
東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。専門は文化人類学。新卒でメガバンクに就職後、出産を機に退職。その後、ideafund社を起業する。同社ではフィールドワークやデプスインタビューなどの手法を生かし、国内外のクライアントの事業開発・製品開発に携わる。ほかにも国際大学GLOCOM主任研究員や、昭和池田記念財団顧問も務める。近著は『アイデア資本主義』(実業之日本社)。
文化人類学は、国によって呼び方が異なる。以前は植民地政策と密接な関係がある印象もあったが、現在は先進国の組織やビジネスなどの領域でも注目されている。デザイン思考も文化人類学の応用から派生したという説も。
文化人類学的なアプローチとは〝文脈で理解〟すること
「文化人類学というと、ジャングルの奥地や砂漠の遊牧民などの調査をするイメージかもしれません。しかし現在は先進国の社会も調査の対象。学校、会社、ラボ、病院といった現代的組織をフィールドにする人類学者は増えています」
文化人類学をビジネスに生かす──そんな切り口で起業し、活躍の場を広げている大川内直子さん。Googleなどから調査依頼を受けて文化人類学をビジネスに活用するというフロンティアを開拓中だ。
「Googleからの依頼は『日本の若者はスマホとどんな関係か?』というザックリとしたもので、研究課題(問い)や調査方法は任されました。同社には大量の情報が集まり、社会や人々のことを何でも知っているように思いますよね。でも、例えばアプリについて、いつどこで、何分何秒起動したのかはわかっても、それをダラダラと使っていたのか、友人としゃべりながら利用していたのかは、わかりません。ましてスマホを使っていない時、人々が何をしているのか、あまり知らないのです。そのようなことから、依頼があったのだと思います。この調査を通じて、文化人類学を社会の中でビジネスとして実践できる感触を得ました」
「文化人類学は、モノゴトを全体として捉え、文脈で理解するのが特徴です。例えば洗濯の場面を調査するとしましょう。洗濯機への不満について尋ねると『洗い残しが気になる』という話が出たとします。この時、多くの場合は洗濯機ではなく洗剤の問題として捉える、もしくは洗浄力の強い洗濯機が必要という受け止め方になるでしょう。しかし、私たちは文化人類学的な視点からだと『洗濯は1日に何回、どのようにして行なわれているのか?』といった問いを立てて行動を調べます。その結果『1日の洗濯回数を2回から1回に減らしたら洗い残りが気になり始めた』ことにも気づけるわけです。また、洗濯回数が減った理由について『仕事が忙しくて回す時間がなくなった』のであれば、短時間で回せる洗濯機が必要なのかもしれない。階下への騒音が気になるならより静かな洗濯機が求められているかもしれない。そこから〝静かな洗濯機を商品化すれば生活の質が上がるはず〟という視点を得られます。このように、洗濯機を考える際は洗濯だけでなく利用者の生活すべてを見たうえで、家電とどのように関係を結ぶのかを考えることが重要なのです」
既存のアプローチ
STEP1|1日に洗濯をする回数を調べる
例えば洗濯機の開発陣がマーケティング調査を行なう場合、従来のアプローチだと「1日に洗濯をする回数」「汚れ落ちや洗浄力への不満」といったアンケート調査をもとに、洗濯に対する人々のニーズを探ることが多かった。
STEP2|洗濯回数の統計をもとに今求められている洗濯機の容量や機能を考えて商品開発に生かす
「洗濯回数は1日1回」という調査結果をふまえるなら「容量は小さくてもいいかもしれない」という結論に至る可能性が高い。また「汚れ落ちへの不満」を解消するなら「洗浄力の強化」を重視して開発を進めることになる。
文化人類学のアプローチ
STEP1|洗濯をするのがなぜ「1日1回」なのか行動を観察する
例えば「1日に洗濯するのは1回」という理由について、調査対象となる人物を観察して探るのがポイント。平日や週末によって異なる洗濯の時間帯なども含めて行動をじっくり観察し、なぜ「1日1回」なのかを深掘りしていく。
STEP2|行動に至った様々な〝文脈〟を考える
対象となる人物の行動をじっくりと観察していると「子供が運動部に所属していた頃は1日2回だった」「集合住宅の場合は夜に洗濯機を回さない」といった、洗濯に関する行動の様々な傾向が浮き彫りになってくるという。
「1日1回の洗濯」について深掘りし、浮かび上がってきた行動の〝文脈〟について、文化人類学の視点から思案を巡らせる。例えば「集合住宅で夜に洗濯機を回さないのは、低層階への振動が気になるからなのかもしれない」といった具合だ。
STEP3|〝文脈〟をもとに潜在的なニーズを発見する
様々な文脈がわかってくると、従来のアプローチでは発見することのできなかった潜在的なニーズが明確になってくる。例えば、夜でも安心して回せる低騒音な洗濯機を作れば、集合住宅の人たちに売れるかもしれない。また、時短の機能を強化すれば「忙しくて1日1回」の人に売れる可能性が出てくる。
潜在的ニーズを探ることで天才ではなくてもアイデアを生み出せる
もう少し、どんなアプローチをするのか、実例を挙げてもらおう。
「『子供には絶対に手作りの食事をさせる』と答えた健康意識の高い女性を例に挙げてみましょう。家にお邪魔してみると、とても片づいていて、モデルルームみたいなきれいな部屋。調査結果どおりの印象だけど、戸棚を開けてみたら、カップ麺が大量に収納されていたとします。『彼女にとってこのカップ麺は何か』を考える時に『彼女は嘘つき』だとするのは乱暴です。外ではすてきな母親の振る舞いをしているけれど、実際には子供にカップ麺を食べさせているとしたら、彼女にそうした嘘をつかせる罪悪感やスティグマ(恥辱・負の烙印)の正体を考える必要があります。実はカップ麺は自分専用で、夫へのストレスが噴き出しそうな時の〝はけ口〟かもしれません。それぞれの文脈でカップ麺の意味合いが変わるのです」
人を注意深く観察したうえで、母親の言動の真意を弁証法的に探る──。ここに文化人類学のおもしろみや深みがあるという。
「このような視点から潜在的なニーズを探ると、カップ麺のマーケティングや商品開発がガラリと変わるはず。そんなふうにして、文化人類学を用いたビジネス支援を行なっていきたいと考えています」
モノがあふれている現在は、潜在的なニーズを探り、それをふまえたアイデアを付加価値にする必要があるといわれているという。
「アイデアはひと握りの天才が生み出すものもありますが、人の生活について誠意を持って観察することでも生まれてきます。人を深く理解すると本当に望んでいることや、抱えている困難が見えてくることを知ってほしいですね」
アイデア資本主義の視点を養うおすすめ本3選
文化人類学の行動観察に関するおすすめの書籍を大川内さんに挙げてもらった。「『センスメイキング』は人文社会系の学問がビジネスにどう役立つかがわかります。『「行動観察」の基本』はニーズを見つける手法を知ることができます。『ANTHRO VISION~』は文化人類学のモノの見方が仕事に役立つ事例が多くておもしろいです」
人文社会系について学べる!
『センスメイキング』
クリスチャン・マスビアウ/著 (プレジデント社)1980円
ニーズ発見の手法を学べる!
『「行動観察」の基本』
松波晴人/著 (ダイヤモンド社)1980円
文化人類学の仕事事例を学べる!
『ANTHRO VISION 人類学的思考で視るビジネスと世界』
ジリアン・テット/著 (日本経済新聞社)2420円
取材・文/橋本 保 撮影/関口佳代 イラスト/宇野将司