はじめまして、動物園・水族館・植物園を専門に取材している動物園写真家・動物園ライターの阪田真一が動物園・水族館に住む生きものたちの見どころや魅力や、施設の取り組みとそれに関わる人達の活躍を紹介。
今回紹介する動物園は、異国情緒あふれる港町、神戸に1951年に開園。
2021年に開園70周年を迎えた「神戸市立王子動物園」の歴史と同園で長く愛され続けた景色や園が歩んできた思い出を知り、これからさらに進化しようとしている同園の今を大事にしたいと思う魅力について感じてもらいたい。
「神戸市立諏訪山動物園」から命のバトンを受けとり「神戸市立王子動物園」開園
王子動物園が開園する前の話。「諏訪山」という場所に1873年に英国人が温泉を発見した。それによって人々が集まるようになり遊楽地として「諏訪山遊園地(1903年開園)」や「諏訪山動物園(1928年開園)」が整備された。これが今の「神戸市立王子動物園」の前身である。
諏訪山動物園が神戸市に移管された1937年5月には、インドゾウ、アシカ、オオヤマネコ、キンカジュー、シフゾウなど87種236点の動物達を見ることが出来たそうだ。
この諏訪山動物園は1945年に終戦を迎える「第二次世界大戦」の戦禍も経験している。その当時の状況は「火垂るの墓」などでも見聞きしたことのある情景ではないだろうか。同園は終戦後の1946年、一度閉園し運営を財団法人国際動物愛護協会が引き継いで動物達の命をつないだ。
1950年に神戸博覧会(日本貿易産業博覧会)が開催されたときには多くの動物達が博覧会会場のにぎわいに華を添えた。博覧会終了後は、諏訪山動物園へ「インドゾウ(摩耶子)」やヒグマなど多くの動物達が引き取られ、同じ年に「神戸市立諏訪山動物園」として再開した。
神戸博覧会の会場となった「王子公園」は、1949年に「原田の森」に新設された。
この原田の森は1889年にアメリカ・南メソジスト監督教会の宣教師であった「ウォルター・ラッセル・ランバス」によって「学校法人関西学院」が創設された土地として知られている。創設当時は19名の生徒が学んでいたのだとか。1929年に西宮へ移転してキャンパスを構えいまでは、だれもが知る名の通った学校となっている。
1951年には諏訪山動物園で飼育されていた動物達が王子動物園へ引き渡されることとなり、それに伴い諏訪山動物園の歴史は幕を閉じた。現在、その跡地周辺は神戸の夜景スポットの一つである「ビーナスブリッジ」がある「諏訪山公園」として多くの観光客や地元住人に愛され憩いの場となっている。
神戸市立王子動物園の開園日1951年3月21日には推定10万人もの入園者が押しかけ、当日は諏訪山動物園からインドゾウの「諏訪子」と「摩耶子」が一般道を歩いて移動したことは今でも語り継がれている。(神戸市交通局が運営していた路面電車の布引停留所周辺で2頭が暴れるアクシデントもあったそうだ)
遊戯施設は見るだけの動物園において、体感できる思い出が生まれる場所の一つ。
現在、ゾウ舎の北側に位置する遊園地は、開園当初から場所を変えておらず、当時いくつかの売店と汽車の乗り物、飛行塔、滑り台、豆自動車という遊具が設置されていたとされている。当時から子供達のにぎやかな声が響いていたことを想像させる。今では、当時の面影は残っていないが動物園と共に新しい遊具が増えて何世代もの家族の思い出に寄り添ってきたことを感じさせる。どの遊具にもだれかとの思い出がよみがえる切っ掛けになり得るものばかり。国内の動物園ではこうした遊園地を併設している動物園も少なくなっている。
近隣には大型テーマパークなどがあるが、何でもない週末に家族連れで気軽に立ち寄れる遊園地があるのは小さなこどもを育てる若い親世代にはありがたい場所である。週末には乗り物に並ぶ列、フードトラックなどで買ったカレーライスや焼きそば、自宅から持ってきたお弁当などを広げる多くの家族連れの姿があちらこちらで見られる。
ゲームコーナーから流れてくる楽しげな電子音がどこか懐かしく、周辺の楽しさに華を添えている。