いよいよ日本でも「ライドシェア」の解禁が近づいた。
が、記事の冒頭から申し訳ないが「日本版ライドシェア」は国際的な「ライドシェア」とは全く異なる姿になりそうだ。我々の国にありがちな「ガラパゴス現象」が、この分野でも発生しつつある。
海外での生活で必須のUberやGrabは、日本ではやはり利用できない見込みだ。
岸田首相が所信表明演説で言及
10月23日、岸田文雄首相は臨時国会開会における所信表明演説でライドシェアについて触れた。
「触れた」といっても、演説の中で「ライドシェア」という単語が登場したのはたった1回である。この演説の全文は首相官邸の公式サイトで公開されている。
デジタル技術は、社会課題を新たなアプローチで解決する「力」を持ちます。新型コロナ対策の「デジタル敗戦」を二度と繰り返さない。デジタル化への変化の流れを確実に掴んでいかなければならない。
「誰一人取り残さない」デジタル化を実現する。こうした思いで、「マイナンバーカードの早期普及」、「デジタル田園都市国家構想」を進めてきました。この固い決意の下に、アナログを前提とした行財政の仕組みを全面的に改革する「デジタル行財政改革」を起動します。
人口減少の下でも、これまで以上に質の高い公共サービスを提供するために、子育て、教育、介護などの分野でのデジタル技術の活用を、利用者起点で進めます。地域交通の担い手不足や、移動の足の不足といった、深刻な社会問題に対応しつつ、ライドシェアの課題に取り組んでまいります。
私自ら、現場で奮闘する各分野の方々の生の声を聞いて、制度設計にいかします。規制・制度の徹底した改革、EBPM(証拠に基づく政策立案)を活用した予算事業の見える化にも取り組み、社会変革の実現、それを支える令和版の新たな行財政の構築を目指します。
(首相官邸公式サイト)
ただし、こうした演説は「首相がその文言に言及しているか」ということが最も重要だ。
「ライドシェアの課題に取り組んでまいります」という言い回しも、極めて大きな意味合いを帯びているのではないか。ライドシェアサービス自体は既に確立されているのものなのだから、単純に「ライドシェアを導入・活用してまいります」でもよかったはずだ。
それをわざわざ「ライドシェアの課題に」と言い回しているのはなぜか?
「日本版ライドシェア」の方向性
筆者の手元に経済同友会が作成したPDF資料がある。タイトルは『「日本版ライドシェア」の速やかな実現を求める -タクシー事業者による一般ドライバーの限定活用-』だ。
タイトルの通り、日本でのライドシェアはあくまでも一般タクシーの補完に過ぎないという発想で内容がまとめられている。
先行してライドシェアサービスが導入されている国・地域では、実情を踏まえたルールの整備が進められている。例えば、米国ニューヨーク市では、2015年には1万2,500人だったライドシェアサービスのドライバーが2018年7月時点で8万人に激増し、交通渋滞や低賃金のドライバーを生み出した。これらを背景に、2018年8月から営業車両の新規ライセンス発行を1年間停止し、運転手の最低賃金を17.22ドルとする規制が導入された。カリフォルニア州でも、運転手の位置づけを個人事業主から従業員に改め、フルタイムジョブの労働者に最低賃金と労災保険などの福利厚生を確保する州法が成立し、2020年1月から施行される予定である。
(『「日本版ライドシェア」の速やかな実現を求める -タクシー事業者による一般ドライバーの限定活用-』経済同友会)
確かに、「ライドシェアのドライバーの報酬が安過ぎる」という問題はある。
しかし、ここではニューヨーク市でのライドシェアのドライバーがたった3年で6倍以上に増えた理由を考えてみたい。それはつまるところ、ライドシェアというサービスがニューヨーク市の住民に広く受け入れられたからだ。
これはもちろんニューヨークに限ったことではないが、ライドシェアアプリは何もライドシェアしかできないわけではない。車に載せられるのは何も人間だけではなく、それが物であってもいいのだ。
故にUberもGrabもサービスが多角化した。インドネシアのGo-Jekは二輪タクシー、四輪タクシーの他に物資輸送、処方箋医薬品デリバリー、買い物代行、マッサージ師派遣なども手掛け、さらに独自の決済サービスGo-Payも整備した。
この利便性がインドネシア人の生活を劇的に変えた、というのは決して言い過ぎではない。余談だが、Go-Jekの創業者ナディム・マカリム氏は2019年にインドネシア教育文化大臣に就任している。
一方で日本版ライドシェアは、その運行・管理を既存タクシー会社に任せる設計になるという。「餅は餅屋」ということだが、言い換えれば餅屋は餅しか作れない。