フランス革命とナポレオン
フランス革命によって、庶民が立ち上がり、これまでの身分を廃止し、自由、平等、人民主義などを唱えた人権宣言が発表されました。
しかし、フランス革命によってフランスは他のヨーロッパ諸国から敵視されていました。
なぜなら国の根幹である「王政」が倒されてしまったことが他国には驚異であり、その連鎖が波及することを恐れていました。そのため、ヨーロッパ諸国は結託してフランス革命を潰そうとしました。しかし、フランスには「徴兵制」という国家財政が危機的状況下における魔法の杖がありました。他国がお金を払って「傭兵」を雇っていたのに対して、フランスは「徴兵制」によって、安価に兵力を保有することが可能だったのです。
こうしたフランス革命期に彗星の如く現れたのがナポレオンです。
ナポレオンも「徴兵制」によって、巨大な軍を安価に持つことができたのです。
そして最盛期のナポレオンは、ヨーロッパ全土を征服する目前まで領土を拡大していきますが、ナポレオンも資金不足で敗北してしまったのです。つまり軍事には天才的な能力を発揮したナポレオンですが、資金調達という観点では才能がなかったという見方ができます。
なぜなら、ナポレオンにはヨーロッパ中の財を集めるチャンスがあったからです。
ナポレオンは1806年にフランス占領下のオランダをホラント王国としましたが、当時のアムステルダムは世界金融の中心地であり、世界各国のお金が集まる場所だったのです。
つまり、ナポレオンの手腕次第では、アムステルダムの資産家と上手く付き合える可能性があったはずですが、ナポレオンはアムステルダムの有力者たちからの支持を得られず、多くの資産家や金融関係者がロンドンへと逃げていきました。
こうして金融の中心地がアムステルダムからロンドンへ移り、ナポレオンは満足な軍費を賄えなくなったのです。
ナポレオンが苦戦している間に、ライバルのイギリスは近代的な税制や国債によって資金を蓄えることに成功します。
つまり、経済的な観点から見れば、ナポレオンは負けるべくして負けたといえるのです。
おわりに
ナポレオンの経済的な苦境が当時のフランスの栄光の終焉に繋がったといえます。
なぜなら資金調達に成功していれば、歴史は大きく異なっていた可能性が高く、現在もヨーロッパの金融の中心はアムステルダムであったかもしれないからです。
しかし、歴史に「if」がないように、軍事的な躍進の舞台裏で繰り広げられたナポレオンの経済的苦闘は、戦いの天才をもってしても克服できなかったのです。
このように、歴史的な出来事の裏側を見てみると、あまり表には出てこない金融の厳しさが存在することが多いのです。
これで今回の金融経済アルキ帖「フランス革命とナポレオン」はおわりです。
次回もよろしくお願い致します!
文/鈴木林太郎