さまざまな業界でIT化やDX推進が叫ばれる中、企業にとって優秀なエンジニアの採用と育成は不可欠だ。しかし激化する人材獲得競争の中でも特に市場価値の高いIT人材を採用することは容易ではない。引く手数多のエンジニアは転職もしやすく、採用後の定着率に頭を悩ませる人事担当者も多い。そんな中、株式会社Ristには世界最大級のデータサイエンティストコミュニティ「Kaggle(カグル)」で最上位の称号「Grandmaster(グランドマスター)」を持つエンジニアが日本で最も多く所属している。優秀なエンジニアを採用し、育成する方法について、株式会社Rist代表取締役副社長の長野慶氏に話を聞いた。
世界最大級のデータサイエンティストコミュニティ「Kaggle」
Kaggleとは、全世界で1500万人以上が参加する、データサイエンティストのコミュニティだ。最大の特徴は「Competition(コンペ)」と呼ばれる仕組み。企業や組織が出題する課題に対して、「Kaggler(カグラー)」と呼ばれる参加者たちが分析モデルを提示し、その精度によってスコアとランク付けが行われる。上位入賞者には賞金やメダルが付与され、好成績を重ねることで、さらに「Expert(エキスパート)」「Master(マスター)」「Grandmaster(グランドマスター)」等の称号が与えられる。
圧倒的な待遇と福利厚生を保証する「Kaggle枠採用」
2023年10月現在、Kaggleの最上位称号であるグランドマスターは全世界で302名しかいない。その内Ristには6名のグランドマスターが在籍している。
Ristのメイン事業は大きく二つ。製造業を中心に外観検査システムの提供や画像AI技術を用いて製品開発や研究開発の支援を行う「画像AI事業=Deep Inspection」と、ビッグデータを分析しフィードバックする「高度データ分析事業=Deep Analytics」だ。
「私たちは『AI駆け込み寺』を掲げ、顧客企業が自社では解決できない難しい課題を、高い技術力で解決に導きます。高難度なデータ分析・AI技術を用いたソリューション提供・プロダクト開発を広く行っており、その精度はピカイチ。技術力の高さから、大手企業からも絶えずお問合せをいただいています。」(長野氏)
2016年8月の創業からわずか7年、どのようにして世界有数のエンジニアを採用・育成できるようになったのか。
きっかけは2020年4月、データ分析事業を始めると同時に設けた「Kaggle枠採用」だ。Kaggleで優秀な成績を収めるKagglerを積極的に採用し、その成績に応じて給与や福利厚生にアドバンテージを与えた。例えば入社時の条件として、マスター以上であれば年齢を問わず、年収1千万円以上をオファーする(2023年10月現在)。またグランドマスターであれば業務時間の50%、マスターであれば業務時間の30%をKaggleの活動時間に充てることができる。
「こうした年収や待遇は、特に若い世代にとっては大きな魅力になると考えました。Kaggle枠採用をはじめてほどなくジョインしたのが、グランドマスターで当時のKaggle日本人ランキング1位だった小野寺和樹です。社長が直々にスカウトし、Rist Kaggle Teamの立ち上げメンバーに加わってくれました。そこから徐々に評判が広がり、3年かけて今の規模まで拡大。しました」(長野氏)
Kaggler同士、KaggleコミュニティやX(旧Twitter)上で日々情報交換をしていることもあり、RistのKaggle枠採用についてはKaggler界隈では有名だ。
Kaggle枠採用を設け、一般採用枠よりも厚遇するという採用手法は他社でも事例がある。しかし「Kaggleで入賞したら賞金は会社に納める」といったルールを設けている場合もあるという。Ristの場合、社員の獲得した賞金は全て社員のものとなる上に、会社からの報奨金も別途用意をしている。業務時間の最大半分をKaggleに充てられ、賞金も個人のものとなるのであれば、Kaggler社員を抱える会社にとっては損失が多くなってしまうのではないだろうか?
「一見すると採算が合わないように感じるかもしれませんが、実はそうでもないんです。AI開発は、人海戦術でうまくいくというものではありません。100人のエンジニアを集めても解決できない課題が、たった一人のずば抜けたひらめきによって一瞬で解決する、ということがままある。そのひらめき力を持つ一人が一番重要なんです。それがKaggler社員です。」(長野氏)
Kaggler社員を中心に会社全体がレベルアップ
とはいえ一人のひらめきだけではプロダクトやサービスは生み出せない。現場を支えるのはKaggler以外のエンジニア社員たちだ。Ristではプロジェクトごとに3-5人のユニットをくみ、案件に取り組む。
Kaggler以外のエンジニア採用においては、近年IT業界においてよく聞かれる「ポテンシャル採用」も行っている。ポテンシャル採用とは、文系出身など、理系やエンジニアリングの経験がなくても一から企業内で育てる人材の採用を指す。技術力を誇るRistでは、ポテンシャル採用といえどハードルは高く、全くの未経験者は対象としていない。例えば直近ではAI以外の職種に就いているが、大学時代は専門的に学んでいた人。あるいはメインターゲットとなる製造業のバックグラウンドを持ち、AIを使わずとも外観検査に携わってきた人など、即戦力に限りなく近いポテンシャルを持つ人を積極的に募集している。
「Ristにはレベルの高いエンジニアが多数いるので、ポテンシャルさえあれば、入社後にぐんぐん力を伸ばす人が多いです。特にKagglerの及ぼす影響力は計り知れません。世界トップレベルのエンジニアが近くにいることで、追いつくために必死に技術を高めたり、刺激を受ける人は少なくないですし、成長意欲やモチベーション向上に繋がっています。コンペ後は課題へのアプローチ方法や解法がシェアされ、Ristに入社してからKaggleに挑戦する人、あるいはKaggleの称号ランクを大幅に挙げた人も数多くいます。」(長野氏)
一方でKaggler社員も前年度の成績によって1年ごとに待遇が変わるため、コンスタントにKaggleに取り組み、腕を磨かなければならない。Kagglerを中心に、自然と会社全体のレベルが上がっていく仕組みになっているのだ。
「グランドマスターやマスターには、周りの社員に対する『教育』は求めていません。彼らはいわばプロ野球選手で、コーチとは全く違う役割を持っているからです。ただし『情報共有』は惜しまない。周りの社員はその背中を見て学んだり、一緒のチームに入って知見を得ることができます。自分さえ学ぼうという意欲があれば、いくらでも成長できる環境になっているんです。」
「このチームに加われば自分も成長できる」と思わせることが一番のカギ
今後もさらなる加熱が予測されるIT人材の獲得競争。企業はどう戦っていくべきか。待遇面の考慮ももちろん必要だが、世界規模で見ると日本国内の給与は外資系企業には敵わないことが多い。市場をよく観察し、他社と競合できる待遇は確保しつつ、同時に他の魅力で訴求することが必要だと長野氏は指摘する。
「エンジニアを採用する上で大切なのは、年収などの条件よりも、まずは環境を整えること。今や終身雇用が前提ではなく、若手のうちから転職することは当たり前の時代。そのためスキルや技術を早くから身につけたいと希望する人は多く、特に20代の若手エンジニアにとっては、入社後にどれだけ成長できるか、スキルを磨ける機会があるかが重視されます。優秀なエンジニアが集まっていて、このチームに加われば自分も成長できる。そう思わせることが一番の魅力になるのではないでしょうか。」(長野氏)
【取材協力】
株式会社Rist代表取締役副社長
長野慶氏
取材・文 / Kikka