日本にも久しぶりに外国人観光客が多数訪れるようになり、今後、多くの中国人観光客の訪問も予想される。中国人観光客といえばコロナ禍以前は爆買いのイメージが強かったが、再び爆買いは起きるのだろうか? インバウンド消費の見通しや中国人の最近のお金の使い方について、日本企業の中国ビジネスの支援経験が豊富な電通の桜庭真紀さんに話を伺った。
電通トランスフォーメーション・プロデュース局
桜庭真紀(さくらば・まき)氏
二十数年マーケティング・プランニングに携わり、商品開発、マーケティング戦略、コミュニケーション戦略立案などの領域で、幅広い業種のクライアントをサポート。2014年から上海電通に駐在し、プランニング領域を統括。2019年12月に帰国し、チャイナクロスオーバーセンター(CXC)に所属。中国市場および中国人インサイトに精通し、日本企業の中国市場進出および中国企業の日本市場参入をサポートする。
中国人観光客にも人気の聖地巡礼
--中国政府は8月10日、日本への団体旅行を解禁しました。今後、どれくらいの中国人観光客が日本に訪れるとみていますか?
中国の大手OTA(オンライン・トラベル・エージェント)の予測では、2月の旧正月(春節)までには2019年の9割程度まで回復すると言われていますが、私も同様の見解です。行きたい海外旅行の人気ナンバー1は日本だというデータもありますし、個人の実感としても中国人の日本人気はものすごく高いものがあります。
--日本を訪れる中国人観光客の消費行動に何か傾向は見られますか?
相変わらず温泉、富士山、和食、東京ディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンといった「メジャーコンテンツ」がものすごく人気があります。それは以前と比べても変化がありません。しかし、リピーターになればなるほど、外国人があまり行かないような、知る人ぞ知るスポットに行きたがるようです。
日本によく来る中国人からは「日本人が行く居酒屋で九州料理が食べたい」とか「日本の若者が遊んでいるところに行きたい」とか「○○商店街に行きたい」という声もあり、より深い体験を求めているように思います。
驚くのはアニメなどの聖地巡礼の人気です。「スラムダンク」で登場する江ノ電の踏切は、「必ず行きたい」場所ですし、「君の名は」で出て来た歩道橋なども人気があります。
--なぜ聖地巡礼の人気が高いのでしょうか?
日本のアニメを観て育ったことが大きいと思います。観光で日本に訪れる中国人で一番多いのは30~40代の人たちなのですが、その方々が子どもの頃、テレビで日本のアニメが放映されていたそうです。日本のアニメを観てきたことから、聖地と呼ばれるところを訪れることで青春時代を思い起こすようです。先日のスラムダンクの映画の日本での公開では、まだビザの規制も厳しい中、映画を観るためだけにわざわざ来日した人もいたそうです。日本のIPコンテンツの凄さを再認識しますね。
--IPコンテンツの影響力が来日時の行動に反映されることもあるんですね。
これは意外でした。日本のアニメやマンガの人気が高いことはわかっていましたが、これほど影響力があるとは思ってもいませんでした。アニメやマンガが好きな一部の熱狂的なファンということではなく、普通の人も日本のマンガを読み、アニメを観ています。
日本に来ても買いたいモノがない
--かつてのような爆買いは今後も起こり得るのでしょうか?
以前のような爆買いはないと思います。今では中国国産品の品質が高くなりましたし、中国でも大抵の日本製品が買えるようになったからです。今は越境ECで中国にいながら日本製品が買えるので、わざわざ日本に来て買うモノがないみたいです。観光で何回か来日している中国人が「日本の人気店に行ったが買いたいモノがなかった」と言っていたほどでした。
中国市場でも現在、モノ消費よりコト消費が伸びています。旅行、飲食など体験にお金を使う傾向は今後ますます強まって来ると思います。コスパもタイパも重視されているんですね。
--中国人観光客はどれだけお金を使うのでしょうか?
JNTO(日本政府観光局)の2019年のデータでは、滞在平均日数5.8日で1人平均21万円になります。欧米からの観光客は10日間ぐらいで平均25万円ですが、中国人はリピーターが多いので、最終的には1人が使うお金はかなりの額になるのではないでしょうか。
資産1億円ぐらいの富裕層にいたっては1回の観光で100万円ぐらいは当たり前に使うという方もいるそうです。最近は「富裕層をターゲットにしたい」という日本企業も多いです。
--日本企業が中国人観光客をターゲットにしたマーケティングをする際、注意するべきポイントは何でしょうか?
まず、最も消費力が高いのが30~40代やZ世代であることと、中国人は企業発の情報だけではなかなか動かないことです。
中国人は商品を買うときにまずチェックするのがSNS上の口コミで、第三者が実際に使って評価した情報の信頼度が高いという傾向があります。私たちがクライアントを支援する際、必ずインフルエンサーに評価してもらうアプローチをご提案します。インフルエンサーマーケティングが重要ということです。
戦略を立てインバウンド事業を継続できるものに
--電通はクライアント企業のインバウンドビジネスについてどのように関わっているのでしょうか?
2019年に電通グループ横断の組織「CXC(チャイナクロスオーバーセンター)」をつくり、マーケティング課題に対応するようにしています。CXCはバーチャル組織で、私を含め中国ビジネスに関わりたい有志が集まっています。日本企業のインバウンド対応だけではなく、越境ECや中国市場でのマーケティング支援のほか、中国企業が日本市場に進出するときのマーケティング支援などを行なっています。
--CXCがサポートする企業に何か傾向は見られますか?
私が関わっているところでいうと化粧品や医薬品、エンタメやリゾート関連の業界が多い印象です。
--今後のインバウンド対応で求められることは何でしょうか?
戦略だと思います。2019年までのインバウンドは、何もしなくても商品が売れているといっても過言ではない状況でした。今後は国内消費がなかなか反転の兆しが見えない一方、インバウンド消費は確実に増えるので、インバウンド事業を継続できる戦略を立てることが重要だと考えています。一時的なプロモーションだけで終わることなく、人と資金を投じて事業として取り組んだ方がいいと思います。インバウンド需要の拡大を見込み、中国事業に力を入れたいという企業は増えています。
中国はSNS抜きには語れない
--中国市場についてお聞きします。中国人観光客向けのマーケティングではインフルエンサーマーケティングが有効とのことでしたが、中国市場においても同じことが言えるのでしょうか?
中国市場はインフルエンサーマーケティングで動いていると言っても過言ではありません。インフルエンサーマーケティングをやっていない企業はないほどで、必ずアンバサダーを立てたりインフルエンサーに商品を使ってもらったりしています。
SNSだけではなく特定分野に特化した専門性の高いバーティカルメディアで専門家のレビューをチェックしたり、ソーシャルメッセージングアプリWeChatなどで、友だちで使っている人がいるかどうかを探したりして、購入するかどうかを決めるほどです。「徹底的に確認するのが一般的になっていて、コロナを経て買い物をするときはますます慎重になっているようです。
--中国はとにかくSNS抜きには語れないですね。
SNS抜きでは考えられないと思います。中国国内でのみ利用可能なショート動画プラットフォーム「抖音(douyin)」は8億人が利用しているぐらいです。日本のSNS活用より進んでいますね。
--ただ、中国のSNS向けにどういうコンテンツを発信していけばいいのかわからない企業も多いかと思いますが?
そのため、CXCでインフィニティモデルというものをつくっております。インフィニティモデルは、商品の認知から確認、購入、その後の口コミの投稿などの共有を一連の流れで捉え、カスタマージャーニーの循環サイクルを回していくことを示したものです。
クライアントの中には、商品が売れるといったような成果を求めるところもありますが、インフィニティモデルは商品が売れるだけではなく情報が共有されることを大事にしています。共有される情報の発信からコツコツ取り組んでいき、消費者が購入した商品に間違いがないことを確信できたら、そのことを誰かと共有するために情報として発信するという循環するサイクルを育てていきます。
ニックネームのついた商品がヒットする中国市場
--インフルエンサーマーケティングのほかに、日本では見られない中国市場の特徴はありますか?
中国市場で面白いのが、商品名よりも「ニックネーム」の方が大事なところです。ニックネームがつくほどヒットすると言われています。SNSの浸透に伴って商品にニックネームがつくようになり、それが情報として流通するようになりました。
例えば、SK-Ⅱの「フェイシャルトリートメントマスク」のニックネームは「元彼マスク(前男友面膜)」です。元彼に会う前の日につけキレイになって見返してやる、といった意味からつけられました。レッド(小紅書)という中国のSNSでも「元彼マスク」で口コミが投稿されているほどです。
同じように、エスティーローダーの「アドバンスナイトリペア SMRコンプレックス」は小さな茶色い瓶であることから、「小棕瓶(小さな茶色い瓶)」というニックネームで呼ばれています。資生堂の「アルティミューン パワライジング コンセントレートN」は、ボトルが流線型で少し曲がっていることから、「紅腰子(赤い腰)」というニックネームで呼ばれています。
--ニックネームは誰が考えてつけているものなのでしょうか?
ユーザーが自発的につけ、情報として広まっていきます。最近は企業が自らニックネームをつけることもあります。
ただ、企業が考えたものはヒットし難いといった傾向もあります。そのため私たちは、クライアントを支援する際、インフルエンサーやユーザーと一緒に考えることをオススメしています。
中国ブランドもブランドストーリーを発信する時代に
--日本と中国を比較したとき、中国から学ぶべき点は何だと思われますか?
中国で仕事をしていて痛感するのがスピードです。日本と比べて速く物事が動きます。ものすごいスピードでトライ・アンド・エラーを繰り返してイノベーションを起こすので、日本企業はなかなか太刀打ちできないと思うことがあります。
--このスピード感は日本企業には簡単にマネできそうにありませんが、逆に日本企業が中国企業に勝てるところはどこですか?
ブランディングの経験と課題先進国であることだと思います。日本もバブルが弾けて商品が売れなくなった90年代に、飽和した市場の中でいかにブランドの価値を高めるか、苦労した経験が強みだと思います。また、中国もまさに少子高齢化の問題に直面していますが、日本は一足先に取り組んでいますので、成熟した強みがあります。
--成熟の価値は中国で認められるものなのでしょうか?
最近は認められています。以前はつくれば売れたので新しいものを重視する傾向がありましたけど、ブランドのストーリーやブランドが持っているパーパスをすごく重視するようになってきました。
市場が成熟してくると、ブランドが持っている本来の価値で勝負していかなければならなくなります。日本や欧米では既にその傾向が強いですが、中国もそういう時代になってきたと感じます。
--ブランドストーリーをつくり込んでいる中国ブランドには、どのようなものがありますか?
食品ではブランドストーリーを発信しているところが多い印象です。例えば乳製品の「蒙乳」は、環境を大切にするなどSDGs(可持续发展)に関連したブランドストーリーをよく発信しています。
SDGsに関連した情報を発信する中国ブランドは、最近多いです。日本だと難しいかもしれませんが、田舎の農村の子供たちを支援している、小学校をつくり寄付した、といったブランドストーリーを発信するところが目立ってきています。
--SDGsに対する意識が高いことを示すことで、ブランドの価値と信頼感を高めようとしているわけですね。
そうですね。消費者マインドも、きちんとSDGsに取り組んでいるところからモノを買う、というものに変わってきています。数年前にはなかった傾向ですが、あっという間に変われるところが中国のすごいところです。
中国は企業にとっては今後も魅力的な市場ではあるので、このスピードについていき、トレンドをキャッチアップしていく努力を私たちもしていきたいと思います。
取材・文/大沢裕司 撮影/若林武志