金融経済アルキ帖「大英帝国の巧妙な戦略」
大英帝国が繁栄した背景には狡猾なイギリス人たちがいました。
元来、イギリスは事業を組織化して運営することに長けているといわれます。
実際、海賊ですら国家的に組織化しており、航海ごとに出資者を募り、船舶や乗組員や積み荷の準備をし、航海が成功した場合は出資者に配当金が支払われていました。
こうした仕組み化が実現した背景には、狡猾なイギリス商人たちが存在しており、これが大英帝国が発展した理由といわれてます。
その他にも、イギリスは産業革命、イングランド銀行、アヘン戦争などを経て繁栄していきます。そこで今回の金融経済アルキ帖は「大英帝国の狡猾な戦略」について、経済・政治の視点から考察していきたいと思います。
オランダ東インド会社のモデルはイギリス
世界初の株式会社はオランダの東インド会社ですが、実はそのモデルとなったのがイギリスの東インド会社です。もちろんオランダの場合、出資者が有限責任と明示されており、株式会社の原型であることに間違いありません。イギリスの場合、その点がオランダよりも不明瞭であったため「世界で最初の株式会社」には該当はしなかったものの、オランダの東インド会社よりも2年早く作っていたことは興味深い事実であり、イギリスらしいエピソードではないでしょうか。
大英帝国の繁栄のカギは蒸気機関とイングランド銀行
大英帝国の繁栄は世界で最初に産業革命を達成したことにあります。
ではどのように産業革命を成し遂げたのかというと、それは「蒸気機関」を発明したことです。
この蒸気機関によってさまざまな産業の自動化が一気に進んでいきました。
ちなみに当時のヨーロッパでは蒸気機関の実用化に向けた競争が各国であり、いち早く実現したのがイギリスでした。
ではなぜイギリスだったのか?というと、他国よりもイギリスは資本力で優位な立場にあったからです。こうした快進撃を支えたのが1694年に設立された「イングランド銀行」です。
イングランド銀行とはイギリスの中央銀行のことですが、主な役割として、イギリスの国債を引き受ける代わりに通貨発行権を得ることでした。
具体的にはイギリス政府が8%の利率で国債を発行した場合、それをイングランド銀行が引き受けます。その後、イングランド銀行は自行で通貨を発行し、民間に融資する銀行業を行います。
当時のヨーロッパの金利は高く、20~30%であることが普通であり、これがヨーロッパ諸国の国王が借金をする場合、政府の財政を苦しめていました。それが8%で済んだことは当時としては画期的な仕組みだったのです。またイングランド銀行の国債は18世紀中旬には3%程度になっていました。
こうして、他のヨーロッパ諸国よりも格安で借金することが可能となり、結果的により多くの資金が集まることとなったのです。
このイングランド銀行の仕組みは、世界各国の中央銀行のモデルとなっていきます。