異例のJ3復帰の裏側と発信者としての今後
それが今月中旬のJ3・いわてグルージャ盛岡での「1週間限定現役復帰」という驚きの形になって表れた。
引退から4年以上が経過している41歳の元JリーガーがJ3の公式戦に出るというのは異例中の異例。それでも、元日本代表DFの秋田豊社長、96年アトランタ五輪代表FWの松原良香監督らはと前向きに評価し、8月19日の愛媛FC戦のピッチに送り出してくれた。
目下、愛媛はJ3首位を走るチーム。勝負のかかった重要ゲームだからこそ、「那須の経験値が必要だ」と指揮官らは考えたのだろう。
1-1の状況で後半37分から出場した那須は本職のDFやボランチではなく、2列目のアタッカーの位置でプレー。勝ち越し点を奪うべく、アグレッシブにボールを追いかけた。この直後に失点し、窮地に追い込まれたいわてだったが、後半ロスタイムに那須のバックヘッドからPK奪取に成功。2-2に追いついたところでタイムアップの笛が鳴った。
「思ったよりも動けていた」「ブランクを感じさせなかった」という感想が多く聞かれたが、那須自身は「実はもう1回、体を作り直しているんです」と肉体改造真っ最中だったことを明かした。それも単なるユーチューバー活動にとどまらない新たなチャレンジを見越してのことだという。
「今回のいわてでの1週間限定の現役復帰に対して、いろんな声があったのも事実です。実際、批判も僕の耳には入りました。
だけど、サッカー選手だった僕が発信活動を続けていくうえで、プレーヤーという本質はすごく大事。そこがないまま発信を続けていても、全てが宙ぶらりんになってしまう。そういう危機感を抱きながら、体を作り、プロとして頑張っているいわての選手たちとチームに何かを還元したいという気持ちを持って、今回トライしたんです。
僕自身、浦和や神戸にいた晩年の頃は『本当にピッチに命を預けていい』という覚悟を持ってやっていましたし、足が折れようが、体が壊れようがやってやるという気持ちでプレーしていました。
いわてでもそれは同じ。ミーティングでも話をさせてもらいましたけど、その日の練習は選手たちがバチバチ激しくぶつかりあったり、球際で争ったりと目に見える変化がありました。
そうやって『内容』と『発信』が伴うような活動を自分が続けていって、少しでも日本サッカーを前進させれれば一番いいと僕は今、心から思っています」
8月19日の愛媛戦でプレーする那須(写真提供=いわてグルージャ盛岡)
那須は熱っぽく語っていたが、彼が多彩な人物と対談したり、高校や大学を訪問するよりも、自らのプレーで示していく方が説得力があるのは確か。この先、彼がどういった環境で「プレー×発信」を具現化していくかは未知数だが、56歳で現役を続けるカズ(三浦知良=UDオリヴェイレンセ)のようにピッチに立ち続けるのもまた1つのスタイル。多彩な形があっていいはずだ。
トップアスリートは「自分のプレー」と「言葉」の両面からオピニオンを届けられるというアドバンテージを持つ。ただ、那須が「本質が大事」と強調するように、発信や告知活動ばかりに偏ってしまうと「あいつは結果も出してないのに何をやっているのか」「本業がダメ」と揶揄されがち。そうなると肝心の意見も響かなくなる。そうならないように、本業と発信をうまく両立指せることを考えていくべきだ。
神戸時代のユーチューブチャンネル開設を皮切りに、人々にサプライズを与え続ける那須の歩みは1つの参考例。近い将来、世界に出ていく可能性もありそうだが、どこに行っても「アスリート系発信の先駆者」として、斬新な取り組みを続けてほしいものである。(本文中敬称略)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。