1961年生まれのわたしは、デビュー作『キャリー』(新潮文庫)の日本語訳が出た時(1975年)からずーっと、スティーヴン・キングの小説をリアタイで楽しんできたんですけど、ある作品に辟易したせいで近年はほとんど読まなくなっていたんです。それが『11/22/63』(文春文庫)。
作家50周年を迎えたキングの「王道回帰」
タイムトラベルによるジョン・F・ケネディ暗殺阻止をモチーフにしたSFで、物語の本筋自体は面白いんですけど、キングが集めてきたJFK暗殺に関する資料をこれでもかと小説にぶち込んでるんです。それゆえに無駄にメガノベル化してしまっている。この小説を書くにあたって、キングがとんでもない量の資料を読みこんだのはわかるけれど、苦労するのは作者だけでいい。息抜きに面白い小説を読みたいと思ってキング作品に手を伸ばす読者に負担を与えてしまってはエンタメ作家として失格でしょう。
日本にもそういう傾向はあって、小説家は偉くなると、編集者が口を出しにくくなるせいか、作品が長大化しがちなんですね。特に資料を読み込まないと成立しない作品にその傾向は顕著で、想像するに、自分が苦労して集めて調べたことを全部小説に活かしたくなるからではないかと。削るのが惜しい、削りたくない。その気持ちはわかります。でも、ダメなんですよ。調べたことや読んだ資料を、ほぼ生のまま提出するような代物は小説ではないとトヨザキは思います。それが意図的な技巧として採用されているならかまいませんが、エンターテインメント作品にその趣向は用いないほうがいい。というのも、先に書いたとおり、読者に負担を強いるからです。
で、『11/22/63』を読んだわたしは「キングは偉くなって自分の作品の冗長さに気づけなくなったのか」と思ってしまったわけです。最新訳の『異能機関』(文藝春秋)も上下巻、2段組で718ページの大著でしょ。「どうしようかなあ」と読むのを躊躇してしまっていたんですけど、信頼している読み手の一人、柳下毅一郎さんがSNSで「『異能機関』を読むのがやめられない」と発信していたし、帯に「王道回帰」ってあるし、今年はキングの作家50周年だしで、えいやっと読み始めてみた次第。
『異能機関 上』スティーヴン・キング/著 白石 朗 /訳 文藝春秋