19世紀後半の世界情勢は欧米列強の帝国主義が世界中で拡大した時期でした。
こうした最中でアジアの片隅から突然ニューカマーとして台頭した国、それが明治の日本です。
特に西洋人から日本は不気味な存在に映ったのではないでしょうか。
なぜなら明治以前の日本について、世界史のなかではほとんど解説されておらず、多くの西洋人に存在すら認知されていなかったからです。一部の知識人にとっても、せいぜい中国の属国という認識でしかなかったはずです。
そこで今回の金融経済アルキ帖は「明治日本の奇跡!躍進する経済成長の秘密」をテーマに、明治時代の日本経済について解説していきます!
明治日本の躍進
江戸時代から明治へと日本が開国した当時、欧米諸国はアフリカ、アラブ、アジアを次々と植民地化していきました。特に1840年のアヘン戦争でイギリスがアジアの大国である中国に勝利し、その際に香港の割譲などの権益を得ていました。
しかし同時代において、中国の隣にある小さな島国であった日本は全く注目されていませんでした。そもそも日本は江戸時代に鎖国しており、一部の国としか交易していなかったことから、欧米に日本の文化が知られる機会が少なかったことも要因でしょう。
しかし開国後、欧米列強の技術や文化を取り入れて西洋化していった日本は瞬く間に躍進し、日露戦争でも勝利するなど、欧米列強と互角の戦いができる国へと成長していきました。
実際、世界経済においても日本経済は飛躍的な成長を続け、明治維新から第二次世界大戦前までの70年間で、日本の実質GDPは約6倍に増加しています。
この時代に日本のような急激な経済成長を遂げた国は存在しておらず、日本が戦後に高度経済成長を遂げたのも、実は戦前の基礎があったからだとも言えるのです。
つまり、本当の経済成長期は明治日本の時代であり、その延長線上に戦後の日本があるという見方もできるでしょう。
ちなみに戦前の経済成長率は名目GDPで7.2%であり、当時の国際水準よりも遥かに高い水準でした。
ではなぜ資源の乏しい日本が急成長できたのでしょうか。
そのカギとなったのは、江戸から素早く移行して明治政府という統一政権を作れたことにあります。政府があることで国力を集中させ、経済や軍事力を飛躍的に高めることに日本は成功したのです。
当時から日本は技術力を持っていた
では明治日本の経済発展を支えた要因とは何があったのでしょうか
その答えは日本の強い輸出力です。
実は日本は明治初期の頃にはすでに貿易大国であり、明治6年(1873年)時点で輸入額と輸出額が拮抗していました。
また当時の日本には関税自主権がなく、関税によって輸入を抑えることはできなかったにも関わらず、輸入品に負けない輸出品となる製品を増やしていったのです。
この輸出品の大きな力となったのが「生糸」です。実は江戸時代から既に日本は生糸大国であり、既に能力的には欧米に大量に輸出する生産力も技術力も持っていました。
こうした技術力をベースに、日本は開国以降、富国強兵へと向かうことができたのです。
もうひとつ、明治日本の経済を支えた要因があります。
それはインフラ整備+鉄道建設の素早さです。
実際、明治維新から僅か5年で新橋ー横浜間に鉄道を走らせることに成功しています。
当時、欧米以外の国で自力で鉄道を建設したのは日本が最初でした。
同時代においてアジアのなかでは中国やオスマン・トルコで鉄道が建設されていましたが、それは自国ではなく外国企業によって作られたもので、土地の借地権や鉄道運営も外国企業が行なっていました。
しかし日本の場合、鉄道建設の技術こそ外国から導入したものの、建設や運営は日本が行いました。これは日本が西洋技術を取り入れるだけの技術力を持っていたからこそ実現したのです。