米国投資家列伝シリーズ「ピーター・リンチ」
今回の米国投資家列伝シリーズは「ピーター・リンチ」です。
伝説として語り継がれる「マゼラン・ファンド」という投資信託のファンドマネジャーを務めたリンチは、13年間の間に年平均29.2%と言う驚異的なリターンを残しました。
また沢山の「テンバガー(10倍株)」を発掘したことでも知られています。
そこで今回はリンチ流投資の基本的な考え方について学んでいきたいと思います。
株との出会いはテンバガーから
1944年1月、米国マサチューセッツ州で生まれたリンチは、勤勉な父と母のもとで育ちました。この当時の米国は1929年に起きた大恐慌の経験から、現在よりも遥かに株に対する警戒感が強く、リンチの家庭も例外なく「株式投資は危険」だと考える一般家庭の中で育ちました。しかし、早く父親を亡くしたリンチは11歳からゴルフ場のキャディーのバイトをして家計を助けていました。ゴルフ場には社長や会社の重役がたびたび訪れて、プレー中に株式投資の話を聞くようになり、リンチは株についての知識を得ていきます。
そして大学に進学後、講義で必要な資料を集める過程で航空会社の今後の将来性が明るいという記事を見つけました。
そこでリンチは記事に書いてあったフライング・タイガー航空の株を購入しました。
購入後、2年も経たずに株は5倍になり、最終的にはテンバガーを達成しました。
しかし株価上昇の要因はリンチが記事で見つけた将来性の明るさではなく、ベトナム戦争による太平洋往復のため、軍隊や貨物が増えたことでした。
当初の考えとは全く異なる要因ではあったものの、最初の投資における成功体験がリンチの投資家人生の始まりとなったのです。
証券会社フィディリティ・インベストメントで学んだ修行時代
1966年、リンチ22歳のときに証券会社フィディリティ・インベストメントでインターンとして働き始めます。当時、ビジネススクールで「株式市場の動きは全て論理的に説明できる」という説と「株式市場は非論理的でランダムない動きをするため予想しがたい」と言う2つの説を学ぶものの、どちらも互いに矛盾していたことから疑問を感じていました。
そしてフィディリティでの実践的なアプローチによって、投資の世界では学問より実際に投資をする経験を重視するようになります。
その後、リンチはインターンから正式に入社し、証券アナリストとしてリサーチ業務を行います。リンチは企業の資料から利益や株価収益率(PER)の計算を行うようになります。そして、このPERこそ、リンチがのちに運用することになるフィデリティの伝説の投資信託である「マゼランファンド」における重要な指標となるのです。
こうして日々リサーチ業務を行う過程で、リンチはテンバガーになりやすい銘柄にはそれぞれ共通の特徴があることを見つけます。それが「PEGレシオ」です。