昭和4年生まれの浜松町の名物、もつ焼き酒場
昭和35年にピークを迎えたのが、立ち飲み屋である。これが酒屋の店頭であれば、「角打ち」と呼ばれる。一時は衰退したこのスタイルだが、昭和レトロとして再び脚光を浴びているらしい。私が住む阿佐ヶ谷には、角打ちも含めて立ち飲み屋がたくさんあるので、繁盛しているイメージしかなかったのだが。浜松町を歩くと3時半から開店するという老舗「秋田屋」がちょうど開いた、と同時に待っていたかのように客が入ってきた。名物は牛もつ煮込みである。テイクアウトもあるので主婦らしき人も訪れている。立ち飲みなら東京タワーを見ながら飲める。昭和を感じるなら欠かせない酒場なのだ。
外で飲めるのは10人ほどだろうか、この日は店内から埋まっていった
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港を歩くと目に留まるコンテナも昭和生まれ
日本にコンテナ船「箱根丸II」が登場したのは昭和43年だった。昭和40年代からコンテナ化の流れが日本にも影響を及ぼしたのだ。そもそもコンテナは1956年4月26日にアメリカ、ニューアーク港で積み込まれた58個のアルミ製の箱から始まった。コンテナを考案したのは、トラック会社を経営していたアメリカ人実業家のマルコム・マックリーンである。トラック輸送に使っていたトレーラーをそのまま船に載せて運べないかという発想から、船舶用のコンテナを発明したのだ。さらにコンテナ輸送専用の貨物船「Ideal-X」を就航させ、世はまさにコンテナ時代を迎えるのだ。1960年代後半になりベトナム戦争によって有用性が認められ、物流のグローバル化によって世界に広がっていった。日本の港もこれに合わせてコンテナターミナル化が進み、現在のような姿になったのだ。港にコンテナがあるのは世界共通の風景と言えるだろう。
コンテナはISOにより標準化され、さまざま種類が登場。20ftと40ftが標準的、建築専用コンテナもある
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昭和35年頃は鋼板を接合するためにリベットが使われた。カシメ屋と呼ばれる職人が首都高を完成させたのだ
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写真・文/ゴン川野