【より大胆に、そして単純に】
1930年代に入るとマティス作品にも大きな変化が見られ、より大胆で簡略した表現が行われるようになります。たとえば「バラ色の裸婦」(1935年)では、壁とベットは格子によって平面のようにも捉えられ、花も抽象化されています。また肉体が太い輪郭で一気に描かれており、直線的なインテリアと丸みのある人物の対比、この2つの特徴がその後に生まれる作品にも大きく反映されています。
【切り紙絵の晩年の最高傑作 ロザリオ礼拝堂】
1940年代に入り体調を崩して車椅子生活になっていくなかで、新たな表現手法として紙とハサミを使った切り紙絵のスタイルを模索していきます。
マティスの切り紙絵はただ描く代わりに紙を貼り付けたのではなく、その探究の最大の関心は「形と色の同化」にありました。マティスによって生まれた不思議なカタチそのものが主役であり、それは「仮面のパネル」(1947年)や「紫と青のコンポジション」(1947年)などの一連の切り紙絵作品に共通しています。
マティス自身、切り紙絵について「ジャズの精神と一致します」と語っており、音楽とマティスの親和性を感じさせますが、実際、1947年には「ジャズ」という伝記的な挿絵本も発表しています。
また画家マティスの最高傑作が南仏ヴァンスにある「ロザリオ礼拝堂」と自身が語っているように、切り紙絵モチーフのステンドグラス、白タイルに黒の大胆な線で描かれた聖母子像など、マティス芸術の集大成といえる空間が広がっています。
【おわりに】
マティスが一体何を見ていたのか。絵画はどこまで自由になれるのか。
これこそ多くの芸術家を刺激し、今日でも興味が尽きないマティスの魅力ではないでしょうか。
最後にマティスのこんな言葉を紹介します。
「見たいと願う人たちのために、いつも花はあります」
これこそ色彩の魔術師と呼ばれた画家マティスの核心に触れる言葉ではないでしょうか。
今回の記事を読んで、少しでもマティス作品に興味を持っていただけたら嬉しく思います。
以上、アイデアノミカタ「アンリ・マティス」でした。
文/スズキリンタロウ