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強さの秘訣は経済力にあり!日本の近代革命を牽引した薩摩藩と長州藩の懐事情

2023.04.23

再発見!金融経済アルキ帖「日本の近代革命を担った薩摩・長州藩に迫る!」

日本の近代革命といえば明治維新ですが、それを実現するためのターニングポイントとなったのが薩摩藩と長州藩です。

そこで今回は薩摩と長州がなぜ強大な力を持つことができたのか、鎖国が続いた江戸時代にどのように貿易をしていたのか、特に外交と経済力に注目しながら解説していきたいと思います。

それでは「再発見!金融経済アルキ帖」のはじまりです!

薩摩藩と長州藩の強さの秘訣は経済力

江戸幕府に対する革命勢力となった薩摩・長州の武士たちですが、なぜ京都や大坂(阪)という、江戸に次ぐ大都市ではなく、地方が倒幕の起爆剤になり得たのでしょうか。

もちろん優秀な人材がいたことは間違いありませんが、、一番の要因は経済力です。

当時、江戸幕府は鎖国政策をしており、貿易は長崎・出島に限定しており、幕府が管理しています。しかし、これはあくまで「表向き」であり、実際には密貿易が行われていました。

つまり鎖国をしても、完全に海外との交流がなくなったわけではなかったのです。

そして最大の密貿易が行われていた場所、それが薩摩藩です。

薩摩藩の場合

なぜ薩摩は密貿易が可能だったのかというと、藩主の島津氏は幕府による薩摩藩の領土縮小案を受け入れる代替案として、1609年に琉球の支配を江戸幕府に認めさせた経緯があります。そして薩摩藩の狙いは、琉球を通じて中国との密貿易を行うことにありました。

実際、琉球は中国と交易を続けており、中国の商人も琉球と頻繁に交流していました。

また薩摩藩は琉球を保護国としたため、琉球に財政を投じて港の整備、造船を盛んに行うことが可能であり、こうした状況であっても幕府は黙認していました。その理由としては、薩摩藩は戦国時代から強力な軍事力を持っており、江戸時代に突入しても薩摩を支配下として、幕府の力でも完全にコントロールすることが出来なかったのです。

また18世紀半ばに江戸幕府が弱体化すると、薩摩藩は中国船との貿易を公然と行うようになります。これは中国商人にとっても好都合で、長崎で貿易をすると幕府の重い税金を課せられよりも、融通の利く薩摩藩との取引を好んだといいます。

長州藩の場合

では長州藩はどうだったのかというと、薩摩藩と同じように密貿易をしていました。長州藩の場合は対馬を経由して朝鮮や中国と繋がっており、長州も戦国時代から幕府の支配が及ばない地域として実質的な地方政権が続いていたのです。

このように、江戸幕府が鎖国政策をしたことが薩摩と長州にとっては好都合となり、密貿易で経済力を高めていったのです。

黒船の来航が転機となる

1853年にペリーが黒船で来航して以降、江戸幕府は開国政策に迫られていきます。開国は薩摩・長州にとっては不都合な事態です。なぜなら開国すれば、これまでの対外貿易の独占が弱体することが明らかだったからです。また鎖国を辞めた場合、日本の対外貿易の中心は横浜となり、幕府の力が一気に強まることが予想されました。この危機感を共有して利害関係が一致したのが、薩摩と長州だったのです。こうして薩長同盟(1886年)を結び、幕府に対抗していくことになったのは、生存のための防衛本能とも言えるのではないでしょうか。

絶対君主のいない緩やかな連邦制国家の江戸

そもそも江戸時代は幕藩体制であり、薩摩や長州は事実上、独立した自立政権でした。そのため、中国や欧州などの絶対君主がいる中央集権体制とは大きく異なる仕組みで国が形成されてきました。実際、徳川家康が天下統一を果たしても、地方の有力な外様大名に藩の統治を任せていました。こうした歴史のなかで、薩摩藩は温暖な気候を利用したサトウキビを生産・管理して、良質な砂糖を精製し、日本各地に高値で販売しました。薩摩は日本の黒砂糖シェアのほぼ100%を担う巨大産業を有していたのです。こうして財を築いて、今度は日本初の製鉄所を建設し、兵器や蒸気船を製造し、機械化された紡績工場も建設します。

このように薩摩では、明治維新よりも前に近代化が進んでいたのです。

一方の長州は、下関で独自の警察権を行使することで完全に管理し、幕府の干渉を排除していました。いわば独立した自由都市のようになっていた下関は自由貿易が公然と行われ、米価格の変動に連動しながら、より高値で売れる地域に販売したのです。当時の下関には、全国の余剰された米や物資が集まり、下関から全国各地に輸送されていきました。

長州の関門海峡対岸の小倉藩は、長州の派手な販路拡大を江戸幕府にたびたび密告していましたが、江戸幕府は弱体化が進んでおり黙認するしかなかったのです。

つまり江戸時代の幕藩体制という「緩やかな連邦制」が、結果的に薩摩・長州の産業発展へとつながり、築いた財がやがて倒幕のために使われ、近代革命の原動力となっていったのです。

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