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明確なビジョンや戦略はあるのか?企業に問いたい〝行きあたりばったり賃上げ〟の危うさ

2023.04.12

■連載/あるあるビジネス処方箋

賃上げの本来のあり方とは?

4月に入り、新年度がスタートした。賃上げをめぐる報道は今も続く。大企業やメガベンチャー企業が多いが、その中にはかつて私が取材をした企業もある。内情を多少なりとも知るだけに、その賃上げに明確な考えや戦略があるのだろうかと疑問に思える。「ここで賃上げをしないと、世間から含み益を指摘され、非難を受ける」と警戒し、やむを得ず決断したように感じる場合もある。

それも1つの考え方であるのだろうが、私は疑問を呈したい。本来、賃上げは常に先の先まで視野を広げて、慎重に合理的に考えたうえで対処するべきだ。特に問題視するのは、主に次のような理由からだ。

・基本給を下げることは法律や社会常識に照らし合わせると、容易なことではない。

・管理職を降格、例えば部長を課長に、課長を一般職にするのは法律に照らし合わせると、相当に難しい。

・賃上げをした場合、その額を下げることは不可能に近い。

・総額人件費(全社員の人件費の合計)を厳密に管理し、可能な限り削減するのが、1990年代後半から多くの日本企業の方針であったはず。そうしないと、厳しい国際競争で企業が生き残ることはできないと認識していたはず。

・今後、少子化が激しいスピ―ドで進む。広い業界で極めて多くの企業の業績難が長い間続く。

こういう事実を踏まえると、賃上げには今後の生き残りを踏まえ、用意周到な戦略や戦術が求められるべき。だが、それが十分にはできていないかに見える。そこで今回は、2021年にメガベンチャー企業数社を取材した際に印象に強く残った1社の取り組みを取り上げたい。本来、賃上げとはこうあるべきと私は思う。

ポイントは、次の点だ。

・具体的な数字を含めた賃上げを経営計画に盛り込み、全社員や株主など利害関係者と共有している。

・賃上げを欧米の水準に合わせることを1つの目標とする。

・目安として2030年まで毎年6%程のペースで賃上げを行う。ただし、業績や経営環境の変化によって変わることはありうる。

・業界全体が下請け的な位置づけのために長年、賃上げができない構造があったが、それを正そうとしている。

・賃上げをビジネスの古い構造を是正する1つの手段として捉えている。

デジタルマーケティング支援のメンバーズ(中央区、2281人、2022年12月末時点)は、リーダー(主に係長級)層を対象に現在の年収を1.6倍に引き上げることを経営計画「VISION2030」に盛り込んでいる。

欧米においてデジタルクリエイターなどIT人材の平均年収は、日本に比べて約1.6倍の差があると言われる。グローバル化が進むことを踏まえ、欧米の水準に合わせるのが狙いだ。

業績や経営環境にもよるが、今後は目安として2030年まで毎年6%程のペースで賃上げをする。2021年は例えば約520万円の社員で、人事評価が標準クラスの場合、平均で560万円程とした。高い評価の社員は約600万円。いずれも賞与を含む。

賃上げに力を入れる理由には、デジタル人材不足がある。2030年で40万人前後足りなくなると言われる。現時点でIT人材の賃金は前年比1.3%前後のペースで上昇中だが、それを大きく上回るペースを設定した。

大胆な賃上げができるようになった契機が、2008年前後の経営危機。この時、2期連続赤字、離職率25%となるが、その後、V字型回復をする。この時期から3人から数十人のクリエイターがチームを組み、クライアント企業の1つの部署のごとく、デジタルマーケティング支援をするようにした。システム開発や運用、ウェブサイトの設計や改善、更新、デジタルプロダクトの開発運用に及ぶ。

クライアント企業の多くは大企業となり、プロジェクトや予算、報酬額が大きくなる。また、クライアント企業と直接取引をするようにした。

高野明彦・代表取締役兼社長執行役員が語る。

「業界ではエンジニアやクリエイターが、コンサルティング会社や代理店の下請け的な位置づけのために長年、賃上げができない構造があった。クリエイターたちがビジネスと切り離されている。

私たちは、エンジニアとクリエイターがクライアント企業と一緒にビジネス成果に向けて動くことで、古い構造を変えたい。そのための試みの1つとして賃上げを行う」

厳しい環境を突き抜ける野心的な考えがあるべき

私が、最近の賃上げ報道で疑問に感じるのはこのような戦略性が各企業にないように思えるからだ。ほとんどの企業がそれ相当に経営努力をして賃金を上げているのだろうが、それを報じるメディア側に明確な説明がないこともあり、行き当たりばったりに見える。

1990年代後半から多くの企業で賃上げが難しくなったが、それには理由があった。少子化が怖いほどのスピードで進み、売上が慢性的に伸び悩む。グローバル化が一気に押し寄せ、国内外の企業間の競争が激しくなる。ITデジタル化により、顧客が持つ情報や知識のレベルが格段に上がり、ニーズが高度化、専門化、複雑化している。それに企業として正確に迅速に応えるためには、専門性のある技術や技能を持つ人材を早急に育成する必要がある。だが、日本の学校教育や新卒・中途採用の現状を鑑みると難しい。また、大量の外国人を専門労働者として受け入れることも遅々として進まない。

このような閉塞した状況なのだから、賃上げをきっかけに厳しい経営環境を突き抜ける野心的な考えがあるべきではないか。ところが、それが多くの企業からは見えてこない。

大胆な賃上げを継続できるのは経営体力があり、財務力が一定レベル以上の企業、特に大企業やメガベンチャー企業に限られる。中堅企業や中小企業、ベンチャー企業にとっては難しい。相当に真剣に戦略を練ってそのハンディを克服しないと、大企業やメガベンチャー企業との差はますます開く。

中小企業、ベンチャー企業は中途半端な賃上げで人手不足や人材難を乗り越え、優秀な人材を獲得することができるかと言えば、私は極めて疑問だ。おそらく、相当な確率で今後はこのクラスの企業の廃業、倒産、整理統合が進む。そこで働く人も失業、転職を繰り返していかざるを得ないだろう。

今回の賃上げは、とても厳しい時代に入ったことを意味している。なぜか、それがほとんど報じられない。社会で認識もされていないところに、危うさを感じる。

取材・文/吉田典史

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