【米国起業家列伝シリーズ】天才起業家ジャック・ドーシー!
毎日、多くの方が利用しているTwitterを知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。
また日本でも小売店や飲食店でクレジットや電子決済の端末として、多くの方が意識することなく利用したことがあるBlock(旧Square)というサービスがありますが、この両方の創業者は誰かと聞かれて「ジャック・ドーシー」と答えられる方は少ないと思います。
そこで今回の米国起業家列伝シリーズは、第2のジョブズとも呼ばれる天才起業家ジャック・ドーシーについて深掘りしていきたいと思います。
ジャック・ドーシーと言語障がい
ドーシーは子どもの頃から言語障がいを持っており、うまく話すことができない幼少期を過ごします。とはいえ両親は教育熱心であったこともあり言語障害も徐々に克服していきますが、ドーシー自身は会話をすることに苦手意識があることを自覚しながら育ったようです。
当時の趣味は市営バスに乗って街を眺めることで、ミズーリ州セントルイスで育ったこともあり、漠然とニューヨークやサンフランシスコのような大都会への憧れを抱いて成長します。
また街を巡りながら地図を眺めて空想することも趣味にしており、こうした一連の行為がドーシーのインスピレーションの源泉となっていくのです。
ジャック・ドーシーの発想の源
地図では物足りなくなったドーシーは今度はプログラミングを駆使してPC上に地図を写して「ドット」を打ち込む遊びを趣味とするようになります。
やがて救急車やパトカーが何時にどんな目的で移動しているのかをネット上で公開していることを知り、そのデータベースを活用してアップデートさせるなど、幼少期からプログラマーとしての資質を発揮していきます。このように「制御」そのものに強い関心を抱いており、残りの人生は全て「制御」に費やしたいと考えるほど夢中になっていきました。
その後、ニューヨークにあった世界最大の制御センターにWeb上の欠陥と解決方法を見つけてメールし、これが縁でドーシーはこの会社に就職するためにニューヨークへ渡ります。
制御センターではタクシーや救急車の番号「911」の運営に携わりました。
当時の世の中はITバブルの最中、ドーシーも制御センターの創業者達と新しい会社を設立することになり、サンフランシスコへ移住します。
しかしITバブルの崩壊のあおりを受ける形でこのスタートアップの会社は失敗に終わります。
ツイッター誕生の背景
最初の企業に失敗し、しばらく契約社員のプログラマーとして生活していたドーシー。
このとき28歳であり、なかなか状況を変えられずにいました。
そんなある日、カフェでグーグルにブログサービスの先駆けである「Blogger」を売却したことで有名なオデオ社CEOエヴァン・ウィリアムズを見つけて履歴書をメールします。当時のオデオはポッドキャストのプラットフォームを作ろうとしており、メールがきっかけで優秀なプログラマーであったドーシーはオデオ社で働くことになります。しかしオデオ社の事業はアップルがiTunesにポッドキャストを追加することを発表して頓挫してしまいます。
何か別の事業を生み出すことに迫られていたオデオ社の共同創業者であったノア・グラスは社員から事業プランのアイデアを募集します。この機会にドーシーは長年温めていたプラン「ステータス」について話します。その後2人はこのアイデアをエヴァン・ウィリアムズとTwitter創業に関わることになるビズ・ストーンに話し、この4人で新たなプロジェクトが始動します。
ちなみにTwitterのフォローする機能や、何をしているのかをつぶやくアイデアは制御センターで培われたものであり、これが「Twitter」誕生へと繋がっていくのです。
2006年3月21日、この日、ドーシーが「just setting up my twttr」とつぶやいたことがTwitter最初の投稿であり、Twitterの誕生日とされています。
ちなみに当初のサービス名は「Twttr」であり、のちに「Twitter」に変更されました。
ブロック(旧スクエア)誕生の背景と再度ツイッター再任と辞任
やがてTwitterが爆発的な人気を持つようになったものの、初代CEOであった当時のドーシーは慣れない職務でリーダーシップを十分に発揮できておらず、午後6時になると退社して習い事や社外活動に力を入れていたようです。こうした状況が続き、2008年10月にドーシーはCEOを解雇され経営の実権がない会長という立場になります。
実は同時期にFacebookからTwitterの買収を提案されていた最中の出来事であり、ドーシーはTwitterをやめてFacebookに就職しようと考えてCEOのザッカーバーグにコンタクトをとるなどのアクションを見せています。
しばらく旅行に行くなど時間を持て余していたドーシーでしたが、ある日、10代の頃に働いていた上司から事業を一緒にやらないかと話し持ちかけられ、定期的に連絡を取るようになります。連絡をとるなかで、この上司が自身の商売で顧客が現金を持っておらず、クレジット決済に対応できなかったことで売り損ねたエピソードを知ることになります。
これが携帯電話とクレジットカードを使って支払える仕組みを構築できないか?というBlock(旧Square)の事業アイデアへとつながるキッカケとなったのです。
当時はサブプライムショックによって社会全体が金融システムそのものに疑問を感じていた時期であり、新たな決済システムを発表するには絶好のタイミングでした。
これらの要因が重なり、ドーシーはiPhoneのイヤホンジャックにカードリーダーを差し込む決済システムを開発しました。試作品を投資家に見せたところ好評であり、確かな手応えを得たドーシーは2009年2月にSquare(現Block)を創業します。
またSquareではTwitter初代CEOの時とは異なり、落ち着きのあるリーダーとして力を発揮していきます。
Twitter再任と辞任
また2015年にはTwitterに再度復帰します。この時点でTwitterとSquare両社のCEOになるというシリコンバレーでも珍しいポジションを築くことになるものの、再度Twitterを退任しています。
ドーシー自身は声明で「Twitterは創業者から離れて経営を進める準備ができた」と説明しており、ドーシーとTwitterの関係もここで終了したといえます。