「アメリカン・ドリーム」という言葉が最も似合う人物、それがマクドナルド創業者レイ・クロック(1902-1984)ではないでしょうか。
なぜならマクドナルド兄弟が経営するハンバーガーショップと出会い、全米にハンバーガーチェーンを展開しようと夢を抱いたとき、すでに52歳という年齢だったからです。
そんなレイ・クロックのチャレンジ精神は多くのビジネスパーソンにとって勇気づけられるのではないでしょうか。
そこで今回は日本を含めて海外のさまざまな場所に多く点在するハンバーガーチェーン「マクドナルド」にまつわるエピソードとレイ・クロックのビジネスとの向き合い方に注目していきたいと思います。
創業者レイ・クロックとマクドナルド兄弟
元来、誰よりも働き者であったレイ・クロックは52歳当時、厨房機器メーカーで働いていました。そんなある日、レイが担当する複数の顧客から「カリフォルニアにあるマクドナルド兄弟が店舗で使っているものと同じマルチミキサーが欲しい」こんなリクエストが相次ぎました。
興味を持ったレイがその店舗について調べてみると、1台につき5軸あるマルチミキサーが8台あり、フル稼働していることが分かりました。しかも場所はカリフォルニア州サンバーナーディノというロサンゼルスから東の郊外に位置する砂漠の街です。そんな場所でどうやって商売が成立しているのか、この目で見るまで信じられなかったレイは現地に向かいました。
実際に訪れてみると、そこには現在のマクドナルドの原型であるハンバーガーショップが見事に運営されており、これは全米にチェーン展開できるビジネスチャンスだと直感的に感じたレイはマクドナルド兄弟に一緒に組むことを提案します。
とはいえビジネスを拡大することに興味を持っていなかったマクドナルド兄弟は初めこそ乗り気ではなかったものの、レイの熱量によって一緒にビジネスを展開していくことになります。
こうしてレイは年齢的にも生涯最後にして最大のチャンスに賭けたのです。
フランチャイズ契約の落とし穴
そもそもなぜレイはマクドナルド兄弟とフランチャイズ契約を交わしたのでしょうか。
自分でゼロから同じようなビジネスを始めようとは考えなかったのでしょうか。
当時、こんな質問を成功したあとに聞かれたことがあったそうです。
しかし当の本人はフランチャイズ契約を結ぶまでそんな発想は全くなかったようです。
その大きな理由として、ハンバーガーを販売することよりも、ハンバーガー店を全米展開することでレイが扱っているマルチミキサーが売れることに大きな将来性を感じていたからです。
また一見するとシンプルに見えるハンバーガー店ですが、実際にはマクドナルド兄弟によってオリジナルの調理器具が完璧に計算されており、ゼロから始めるよりもフランチャイズ権を得ることの方が魅力を感じていました。
しかしマクドナルド兄弟と交わしたこのフランチャイズ契約の内容によって、レイは長年苦しめられることになります。そのひとつが、どんなに小さな変更でもマクドナルド兄弟の承諾(サイン)が必要であったことです。これによりビジネスのスピード感が減速するため、レイは契約内容の変更を求めたもののなかなか承諾は得られませんでした。
またマクドナルド兄弟はレイ以外ともフランチャイズ契約を結んでいましたが、肝心の1号店をレイに知らせずに5000ドルという金額でフリラック・アイスクリーム社に売却します。しかも買い戻しには2万5000ドルが必要でした。またフリラック社は正式な手順で契約をしており、会社を責めることはできなかったのです。しかしマクドナルド兄弟に対しては相談なく進められたことに怒りを隠さなかったようです。
その後もレイはフランチャイズ展開するにあたり様々な苦労にぶつかりますが、一人のビジネスパーソンとして、口約束であっても一度交わした契約に対しては誠実に粘り強く向き合い続け、困難を乗り越えていきます。