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人は必要もないのに、なぜ走るようになったのか?古人類学者が教える「運動の正解」

2023.01.20

令和5年の初詣には、最寄り駅から3駅目の、五重塔が優美なお寺に行った。

そこを訪ねるのは、去年この地に引っ越してきて以来、初めてのこと。土地勘がないため、駅を降りたらスマホの地図を見るつもりであったが、肝心のスマホを忘れた。

外出前にグーグルマップで、おおよその位置を把握していたので、その記憶を頼りにお寺を目指したが、一向にたどりつかない。

根負けして、道行く人に尋ねると、全然違う方向に歩いていることを指摘される。それでも教えられた道順にしたがい、どうにか目的のお寺に着いた。

帰りは、駅がどこかわからず、結局3駅分を歩いて帰宅した。トータルで25キロは歩いただろう。玄関にたどり着いて、くたびれた体を座らせたとき、「大昔の狩猟採集民」になった気分であった。

人類学的に見れば、筆者のこの感想には、1つの正解と1つの誤りがある。正解とは、狩猟採集民は日々、現代人よりずっと長い距離を歩いていたこと。誤りというのは、食料調達以外の目的で25キロも歩かないことである。

結局、人は「運動」したほうがいいのか?

■必要もないのに、なぜ走るのか

狩猟採集民が、車とITに頼る現生人類よりも、身体を動かす機会が多かったのは確実だが、どれほどの活動量であったのだろうか?

それを調べるべく、今も狩猟採集民的な暮らしを送るハッザ族をたずねたのが、ハーバード大学人類進化生物学部の古人類学者、ダニエル・E・リーバーマン教授だ。

タンザニアの奥地に分け入った教授が、まず目にしたのは、「地べたに座って噂話をしたり子供の世話をしたりしながら軽い雑用をこなしているか、ただブラブラしている」ハッザ族の男女であった。

教授は、著書『運動の神話』上巻(中里京子訳、早川書房)で、その様子について、感想を記している。

“誰も力仕事はしていなかった。もちろんソファでくつろいだり、テレビを見たり、ポテトチップスを食べたり、清涼飲料水を飲んだりしていたわけではないが、彼らは多くの健康専門家が避けるべしと警告していることをしていたのである。つまり、座っていたのだ。”

とはいえ、ハッザ族も、ネット通販で食料を調達するようになったわけではない。男性は、狩りの際に1日あたり十数キロ歩き、女性は塊茎を掘りに数キロ先まで行く。

それ以外の日中の時間は、育児や軽作業に勤しみ、することが終われば特に何もしない。現代人より活動量は多いが、想像するほど過酷な労働ではないようだ。

リーバーマン教授は、メキシコの先住民族であるタラウマラ族の集落も訪れている。タラウマラ族は、俗に“走る民族”などと呼ばれ、山から山へと信じられない距離を裸足で走っている人たちだと、信じられている。

しかし教授によれば、「走っている人はそれまで一人も見かけなかったし、裸足のものさえいなかった」という。また、「腹が出ていたり、太りすぎたりしている人も少なくなかった」とも『運動の神話』(上巻)で描写している。

しかし、タラウマラ族のひとり、エルネストは想像されるようなランナーであった。70代の小柄な男性で、現代人の基準からすれば20~30歳は若く見える。走って獲物の鹿を追い詰めたり、儀式で何日も踊り続けたこともあるエルネストは、今もときおりレースで走る。だが、彼は走力を維持するために、何か訓練をしているわけではない。

教授は、アメリカ人は、「健康を維持し、レースに備えるために週に何度もランニングをする」と説明すると、エルネストは、「必要もないのに、なぜ走ろうなどと思うのか」と尋ね返してきたという。

要するに、健康のために走るという概念は、タラウマラ族の人々にはない。まず間違いなく、数万年前のご先祖様にもなかったろう。

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