脅迫状がもたらしたもの
2011年春のある日、ミシガン大学心理学部のイーサン・クロス教授は、大学の自分宛ての郵便受けに、手書きの封筒が入っているのに目を留めた。
それは、憎悪に満ちた内容の脅迫状であった。その前週、教授はテレビに出演して自身の研究について解説した。その何かが、手紙の送り主の怒りを引き起こしたらしい。
手紙を読んだ教授は、「頭の中で絶望的思考が無限ループを描いて増幅」していったという―「警備会社に電話すべきか?銃を買ったほうがいいか?引っ越すべきか?次の仕事はすぐに見つかるか?」など、頭の中のしゃべり声はえんえんと続いた。
結局何も起こらず杞憂に終わったが、この体験はクロス教授にとって、「チャッター」への関心を深めるきっかけとなった。
チャッターとは、「循環するネガティブな思考と感情」を意味し、「内省という素晴らしい能力を祝福ではなく呪いに変えてしまう」力を持つと、著書『Chatter ―「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』(鬼澤忍訳、東洋経済新報社)に記している。
■「内なる声」がチャッターとなるとき
人は誰でも「内なる声」を発している。電話番号を覚えるために頭の中で繰り返したり、昨日の会話の詳細を思い出すのも内なる声だ。
ある研究によれば、内なる声のスピードは、声を出して1分間に4000語を発するのに匹敵するそうだ。
この内なる声が、過去の嫌なことを反芻したり、未来の心配へと向かうとき、それはチャッターになる。
「なぜ昨日はあんなことを言ってしまったのか」「明日のプレゼンはうまくいくだろうか」といった、声には出さない繰り言は、時として人生の質を下げる張本人となる。
クロス教授の言葉を借りれば、「学生は試験の成績が下がり、俳優は舞台に不安を感じてささいなことで大騒ぎするようになり、ビジネスでは交渉が失敗に終わる」という具合だ。
■愚痴るだけでは解決しない
何か辛い出来事が引き金となり、頭の中がチャッターでいっぱいになった場合、どうしたらよいのだろうか?
多くの人は他人に打ち明けて(愚痴って)、スッキリしようとする。しかし、この方法には大きな問題がある。
親しい人が相手であっても、聞いてあげられる愚痴には限界があるからだ。愚痴も度を越せば、周囲の人はあなたと距離を置くようになる。クロス教授は、本書で次のように解説を加えている。
さらに悪いことに、こうした事態に陥ると、愚痴をこぼして知らないうちに周囲を遠ざけている人たちは、ますます問題を解決しにくくなる。すると、断絶した人間関係の修復が難しくなり、孤独と孤立という有害な結末に至る悪循環を招いてしまうのだ。(本書68pより)
米国の大学で凄惨な銃乱射事件が起きたとき、その大学に在籍していた学生の多くが、SNSや電話で苦しい思いを打ち明けた。
彼らは、この方法でチャッターを手放し、気が楽になったように思った。しかし、「感情を共有した程度では、彼らの鬱や心的外傷後ストレスの症状には実際の影響はなかった」という心理学の調査結果も記されている。
この難題を解くカギがある。チャッターに苛まされている人は、思いやりや共感という感情的ニーズとは別に、「どうすれば前進し終息感を得られるかについての具体的助言」(認知的ニーズ)を必要としていることだ。
双方のニーズが満たされなければ、チャッターは容易に消失しない。クロス教授は、悩める人に「顧問団をつくろう」とアドバイスしているが、「顧問団」とは感情的ニーズと認知的ニーズの両方を満たしてくれそうな人を指す。
仕事の悩みは、同僚がよき相談者となってくれるかもしれない。人間関係の悩みは、パートナーがその役割を担ってくれるかもしれない。悩みの内容に応じて「顧問」は数が多く、多様なほど好ましいという。
また、SNSの活用には注意が必要だ。「友達」のリア充全開の人生を垣間見て、「妬みにつながる自滅的な思考の悪循環を招きかねない」からだ。
アカウントを削除する必要はないが、SNSは「受動的」利用を減らし、他者と適度につながるような能動的な使い方に徹するよう、クロス教授はアドバイスしている。
逆に、もしあなたの近しい人がチャッターに苦しんでいるようなら、こっそり助ける簡単な方法が幾つかある。その1つが、「愛情のこもった身体的接触」だ。
「たった1秒肩に触れるだけで、自尊心の低い人びとが死についての不安を抱きにくくなり、他人とのつながりをより強く感じる」という研究結果をクロス教授は紹介したうえで、この方法を推奨している。
もちろんそれは、「愛する人に用いるにはある種の技術が必要であり、練習が必要なのは言うまでもない」と釘を刺している。