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車いすバスケ女子元日本代表キャプテン藤井郁美さんに聞くパラアスリートのセカンドキャリア【後編】

2023.01.26

前編はこちら

車いすバスケット女子日本代表チームのキャプテンを務めた女性は今、パラスリートや身障者と寄り添う仕事を担っていこうとしている。“ダイバーシティー”や“共生”がクローズアップされる今日、障がい者としての半生、競技で培ったマインドが、どのようにセカンドキャリアに生かされようとしているのか。

株式会社電通デジタルブランディング&コミュニケーション部広報PRグループ 藤井郁美さん(40)。入社は2018年、昨年現役を引退した。現在は主にこの会社に所属する彼女を含む13名のパラアスリートの支援や、パラスポーツ普及に向けた広報活動を担っている。15歳で骨肉腫のため右大腿骨、膝を人工関節に置き換え。パラアスリートとしての競技人生を歩んだものの、35歳のときの乳がんが発覚した。

その時のことを振り返り、「もう勘弁してくれと…」

そう思いを語る彼女は、穏やかな笑顔をこちらに向ける。

プライドと意地でやり抜いたという感じ

藤井を取り上げたドキュメンタリー番組で、乳がん発覚を問われ、“家族でたくさん泣いた”“主人と3歳の子供を残して死ねないと思った”“待ってくれている仲間たちの存在も大きかった”ことを彼女は吐露している。

車いすバスケ男子日本代表チームのキャプテンを務めたこともある夫は「“目の前のことを一つずつクリアしていこう”と、常に言葉をかけてくれました」12年のロンドン、16年のリオと車いすバスケットボール女子日本代表チームは、2大会連続して予選敗退してパラリンピック出場を逃し、彼女は忸怩たる思いをずっと胸に秘めていた。

今の会社に入社し、女子日本代表チームのキャプテンを担い、チーム力も上がり調子の時の病魔だった。東京パラリンピックで車いすバスケ女子日本代表チームの復活を実現させたいと、強い思いを抱いていた藤井は乳がんの術後、10日ほどでチームの練習に復帰。

「ここまでやってきたプライドと意地で、やり抜いたという感じでした」

2021年の東京パラリンピックの女子代表チームの成績は6位だった。

「6位で終わりましたが、よく入賞できたなと。2大会連続で女子チームは予選敗退という苦しい結果が続いていたので、入賞したことでようやく止まっていた時計が次に向かって、動き出したという実感を持てた。私自身はやり切った思いでいっぱいでした」

キャプテンを担い成長したこと

――パラスポーツチームのキャプテンとして、特に心掛けたことを教えてください。

「パラアスリートの背景は様々です。パラスポーツからはじめた先天的に障がいを持つ人と、私のように部活を経験し中途障がい者になって、パラスポーツに取り組む人とでは、スポーツに対するベースが異なることがあります。

例えば、チームスポーツでは声を掛け合うことが大切です。部活を経験した私にはごく自然なことですが、先天的に障がいを持つ選手の中には、声を掛け合う大切さを十分に理解できない人もいます。キャプテンである以上、そんなところも選手とよく話をして、クリアにしていかなければなりません。

ミスをして落ち込んでいるとき、ハッパを掛けることで“何クソ!”と、頑張るタイプもいれば、“大丈夫だよ”と寄り添うことで立ち直る子もいる。話をすることで一人一人の選手の考え方や特徴がわかってきます」

――そこが、日本代表チームのキャプテンを担い、成長したと感じるところですね。

「私、元々は表立ってしゃべったり、リーダーシップを発揮することが苦手でした。黙々と、自分のことに集中していたいタイプだったんです。でも一人一人の選手と話をすること、選手やスタッフとコミュニケーションをできるだけ多くとることが何より大切だと、キャプテンの役割を通して実感しました」

彼女にとって、それは引退後の生き方を左右する大きな収穫だった。

パラスポーツをアシストするには

身体的に限界を感じていた藤井が現役引退を表明したのは、東京パラリンピック後だ。それより前の2018年、前職との雇用契約の満了を機に、今の会社に入社した。

「電通グループがパラスポーツの事業にも関わっているのは知っていましたので。競技を引退した後、私が経験したことを生かせる職場ではないかと思ったんです」

――何をやりたいと考えているのですか。

「車いすバスケ、そしてパラスポーツの普及に貢献できるのではないかということです」

現役を引退して間がない現在、この会社に所属する12名のパラアスリートと連絡を取り合い、取材対応やホームページの更新等、選手の様々なサポートを勉強する日々だ。

藤井たちが所属する今の会社は、競技に集中できる環境が整っているが、日本のパラスポーツ全体を考えたとき、現実問題として活動を支える資金不足が壁となっている。

「他の国と比べて、日本はパラスポーツの認知度が不足しています。まずは知ってもらうことからはじめたい。より多くの人たちにパラスポーツを知ってもらえば、いろんな業種からスポンサー協力を得ることが可能になり、資金面でパラスポーツをアシストできます」

――パラスポーツの認知度を高めるために、将来的にどんなことを考えているのですか。

「パラアスリートと学校訪問をしたり、いろんなイベントに参加して、実際にパラアスリートの競技や技術を見てもらう。裾野を広げていくような地道な活動が、大事なのではないかと。将来的にはこの会社に所属するパラアスリートのメンバーと全国各地を回って、パラスポーツの普及活動が出来たらいいなと思っています」

多様性の“キャプテン”“名プレイヤー”として

――パラアスリートとの交流を増やし裾野を広げる活動は、多様性を認めて積極的にコミットする、“ダイバーシティー”や“共生”という考え方にも相通じるものを感じます。

「パラアスリートのように、目に見える障がいを持っている人ばかりではありません。LGBTQであったり、知的障がい者であったり。そういう立場の人たちと尊重し合い、認め合える社会にするためには、幼いときからの障がいを持っている人と触れ合い、学びを増やしていくことが、未来につながるのではないかなと思っています」

彼女自身、時に死を身近に感じ、中途障がい者として歩んできた半生である。

「いろんなことを乗り越えたわけではありません。いろいろなものと共に、一緒に生きるしかなかった」 

彼女が柔和な笑顔で語ったこの言葉は、昨日公開した前編の冒頭で紹介した。人間の根底を支える“多様性”、“共に生きる”こと。

藤井郁美はその“キャプテン”であり、“名プレイヤー”に違いない。

藤井 郁美
1982年11月2日生まれ。15才の時に悪性骨肉腫を発症し、右大腿骨、膝を人工関節に置換。高校のバスケ部顧問に車いすバスケの存在を教えてもらい、20才から本格的に始めた。2016年以降、数々の大会で日本女子代表のキャプテンとしてチームをメダル獲得に導いた。東京2020パラリンピック競技大会にもダブルキャプテンのひとりとして出場。その後、2022年1月に現役引退。

取材・文/根岸康雄

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