2022年10月22日、世界的な企業の創業者が息を引き取りました。ディートリヒ・マテシッツ氏。レッドブルの共同創業者です。
レッドブルは日本でも人気のエナジードリンクを世界中で提供していますが、F1やオートバイなどのモータースポーツのスポンサーとしても有名。しかし、その知名度に比べて会社のことはあまり知られていません。
1987年に設立されたレッドブルが、エナジードリンクという領域でシェアを獲得できたのはなぜなのでしょうか。
単一のドリンクに集中できることが強みに
レッドブルはオーストリアに本拠地を置く会社。ディートリヒ・マテシッツ氏とタイのチャリアオ・ユーウィッタヤー氏の二人が共同で立ち上げました。チャリアオ・ユーウィッタヤー氏は2012年3月に死去しています。
2021年のレッドブルの売上高は88億7,000万円(1ユーロ140円換算で1兆2,418億円)。日本のコカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスの8,000億円とやや近い水準にありますが、単一ブランドのドリンクで稼いでいる会社としては異例の金額でしょう。
※statistaより
コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスが利益を出していた2018年12月期の営業利益は1.6%。同時期のレッドブルの営業利益は25.8%でした。
利益率が高い理由の一つが、自社工場を持たないファブレス企業だということ。レッドブルの生産はオーストリアのラウフという会社が担っています。
ただし、自社工場を持たない飲料会社はさほど珍しいものではありません。日本では、ダイドードリンコが採用しています。ファブレスは生産管理、物流に経営資源を投じることなく、商品開発や販促活動などに力を入れられるというメリットがあります。
しかし、ダイドードリンコの営業利益率は4.2%と決して高くはありません。これはダイドーの主力商品である缶コーヒーの需要が縮小しているほか、広告宣伝費の増加、販路拡大に向けた自動販売機関連費用が嵩んでいるため。
レッドブルは、すでに世界中に販路を築き、高いシェアを獲得できています。商品開発や営業コストを最小限に抑えることができるのです。更に生産拠点への設備投資が必要ありません。
高利益体質のレッドブルは、費用の多くをマーケティングに投じることができます。ここがポイントです。
生産者とマーケターの出会いが世界的なブランドを生む
ディートリヒ・マテシッツ氏は大学卒業後にP&Gに入社しました。P&Gといえば、日本の著名なマーケターである森岡毅氏を育てた会社。森岡毅氏はUSJの業績をV字回復したことで知られています。森岡氏は現在、西武園ゆうえんちや、グリーンピア三木の再生案件を手掛けています。
P&Gはマーケティングに強い会社として有名で、この仕事に従事する人が憧れる職場でもあります。マーケティングのプロフェッショナルだったマテシッツ氏がタイを訪れた際に出会ったのが、チャリアオ・ユーウィッタヤー氏でした。
ユーウィッタヤー氏はバンコクでエネルギー飲料を開発し、1976年に発売していました。マンテシッツ氏はこのドリンクを気に入り、1984年にパートナーシップを締結。欧米版の開発を進めます。
エナジードリンクの作り手と、敏腕マーケターの出会いがレッドブルを成長へと導きました。
マンテシッツ氏はレッドブルの認知を高めるため、大学生に無料でドリンクを配りました。これが人気を博すきっかけになります。
Webが主流になる前からバイラルマーケティングの手法を確立
この戦略は極めて巧みなものだと言えるでしょう。レッドブルは商品のターゲットを学生、会社員、スポーツマンなどに細かくセグメントしていました。マス広告が効果的ではないことを察知していました。当時はエナジードリンクという市場そのものが小さく、マス広告では高い費用対効果が望めません。
そのため、マーケティング手法を狭めて特定のコミュニティに限定したのです。それが都会の大学生たちへ、無料提供するというキャンペーンでした。
バイラルマーケティングという手法があります。無料で商品やサービスを試してもらい、口コミで評判を広める手法です。TwitterやInstagramなど、SNSが普及した今だからこそ有効なマーケティング手法として確立されましたが、インターネットが誕生する遥か昔からレッドブルはバイラルマーケティングを仕掛けていました。
レッドブルは一定のコミュニティの中でファンを作り、熱狂させることができたのです。この手法はやがてスポーツマーケティングへと昇華します。
数々の日本企業がF1スポンサーから手を引いたタイミングでの参入
レッドブルは欧米で販売を開始してから8年後の1995年から、スイスに本拠地を置くレーシングチーム、ザウバーのスポンサーを務めました。これが更なる知名度を高めるきっかけになります。
1995シーズンのイタリアGPにおいて、ハインツ=ハラルド・フレンツェン氏が運転するレッドブル・ザウバーC14が初の表彰台を記録しました。レッドブルはF1に本格進出し、2004年11月にジャガー・レーシングを買収。レッドブル・レーシングが設立されました。レッドブル・レーシングは2009シーズン中国GPで初優勝します。
1990年代前半までは数々の日本企業がF1のスポンサーとしてチームを支えていました。キヤノン、パナソニック、マイルドセブン(JT)など、有名企業がひしめいていました。しかし、バブルが崩壊すると次々とスポンサーが手を引きます。割って入るようにして参入したのがレッドブルでした。
F1はレッドブルの「翼をさずける」というキャッチフレーズと相性の良いスポーツ。しかも、国民的なスポーツというよりも、一部の熱狂的なファンを持つカテゴリーです。ターゲットを絞り込み、ファンを作り出すことに邁進してきたレッドブルらしい戦略です。
マーケティングのトレンドは、マスから特定のセグメントをピンポイントで狙う方向へとシフトしています。レッドブルはその見本のような会社でした。
やがてレッドブルは、飛行機レースやマウンテンバイク、フリークライミングなど、特定の根強いファンがいる領域に参入します。そして、選手やチームを育てる活動を行いました。
多くの企業は商品やサービスを開発し、育てることに注力します。しかし、レッドブルはスポーツという文化を育て、人々を熱狂の渦に巻き込みました。それがドリンクのファンを生み、会社を成長させているのです。
取材・文/不破 聡