TOKYO2040 Side B 第七回『○○レスでも残るもの』
長年使われているツールの機能を分解する
DXが話題になると必ずといっていいほど出てくるのが「○○を無くそう」という話題です。効率の悪いものを使わなくするというのは一つの面では正しいのですが、槍玉に挙げられやすいツールこそ、なぜ長い間親しまれているのかを分解して考えると、どの機能をデジタル化すべきなのか、見えてくると思います。
先日ビジネス系のイベントで講演をした際に「ハンコにはいくつの機能があるか、知っていますか?」という話をしたところ、「これまで考えたことがなかった」という反響をいただきました。
ハンコには「オーソライズ」「ログ」「モビリティ」「セキュリティ」の4つの機能があると考えています。
まずハンコを押すと何が起こるか。認め印にしろ、契約印にしろ、その瞬間に書類が「オーソライズ」されます。つまり、押印行為そのものに大きな意味があるといえます。
次にハンコの押された書類を見たときに私たちは何を考えているか。ハンコが押されていれば、過去のある時点でオーソライズされたものであると考えます。印影は日付とあわせることで「ログ(履歴)」がビジュアライズされたものといえます。
そしてモビリティ。手軽に持ち運べます。それと表裏一体の関係になりますが、ハンコは所有者がセキュアに管理しているという前提が社会によって共有されています。「あの人しか持っていないハンコ」「普段は金庫にしまわれているハンコ」などです。
みだりに押されるはずがない、ということで私たちはそこにセキュリティの高さを見いだし、信頼を置くわけです。
ところが、利便性を優先させると「ハンコを別人が押す」「昔の日付を書いてハンコを押してバックデートする」等が発生します。デスクの上に無造作に置いてあるかもしれませんし、あるいは、持ち運べる故に相手先に出向きつつも「ハンコを忘れてきた」として時間稼ぎをする、なんて使い方もされてきたかと思います。
ハンコの意義が問われる事態となります。何の意味があるのか、さっさとデジタル化して棄ててしまったほうがよい、ひいては「ハンコなんかあるから日本社会は遅れるのだ」という極端な意見まで出てしまうことになります。
「ハンコレス社会」の“レス”は、ハンコというツールを無くすという即物的なことではなく、実際は「ハンコによって馴れ合いになっていた慣習を無くす」ということを示しているわけです。これがわかると、ハンコを用いていたワークフローの改善ができますから、どこを電子化すればよいかが明確になり、DXを進める価値が大きくなります。これについては連載の第一回<リンク>でも触れました。
FAXは今でも画期的な道具!?
ハンコと同様にFAXも、DXの波に押されがちなツールです。ですが「紙面を送ると、リアルタイムで相手方に同じ紙面が届く」と説明すると、いまだに未来的な機械に思えてきます。しかも、紙をセットして相手の電話番号をプッシュするだけで使えます。こんなに簡単なUI/UXのツールをいきなり無くしてしまうのは勿体ない。
電子化が推進されている今、FAXが何を妨げているかを考えると、それは「データの再利用」であるとわかります。
紙に記載されている内容を管理しようと思ったら、書かれている字を入力し直したり、FAXから出力された紙をスキャナーでパソコンに取り込んで画像にしてみたり、急に手間がかかりはじめます。
再利用が前提のデータについては最初からテキストや画像ファイルといった扱いやすい形式にしておくだけでなく、入力する担当者が複数いても内容にバラつきが出ないように、表記のルールを整えます。人間にルールを課すだけではヒューマンエラーは避けられませんので、文字の全角と半角を揃える等はツール側で自動的に処理してしまいます。
もし相手方がパソコンやインターネットを扱うのが難しいという環境ならば、受ける側でファックスをパソコンで受け取りつつ、手書きされている文字をAIによるOCRで文字列化するソフトウェアを使うというやり方があります。
その後で、FAXという機械をあらためて「簡単な操作で紙面が送れ、相手方にリアルタイムで同じ紙面が届く」ことが優先されるタスクに割り当てます。
ツールの特性を知り、どうすれば人にやさしく、ワークフローを効率的に構築しなおせるかがDXにとって重要なことであるといえます。
現金の管理コスト VS キャッシュレス手数料
本誌連載の小説『TOKYO2040』第7話では、「キャッシュレス」のコンビニやバスが登場しました。ここ数年で電子マネーが生活に浸透してきましたが、キャッシュレス社会にはまだ遠いと感じています。
現金は日常生活に溶け込んでいて、扱いやすいという印象があります。このため「貨幣の取り扱いには総合的に多くのコストがかかっている」ということになかなかピンとこないかもしれません。売買での受け渡し、集計、移動、保管、保安など様々なシーンで、現金は外部に管理コストを転嫁しているといえます。
お金の出入りの記録は誰かがつけない限り残りませんし、集計も手で数えるかマネーカウンターを使うことになります。財布から出すだけなら簡単ですが大量の現金となると現金輸送車を使い、保管には頑丈な金庫に納めておいてガードマンでも雇わなければ気が気ではありません。
じゃーん!新一万円券https://t.co/a7emAPkOOt pic.twitter.com/9ZangzrnZB
— 日本銀行 (@Bank_of_Japan_j) September 1, 2021
先日、渋沢栄一の肖像を用いた新一万円札のデザインが発表されましたが、紙幣や硬貨は偽造防止の観点などから20年ほどで新しいものへと切り替わります。お札の見本表示をしているユーザーインターフェースは画像を差し替える必要がありますが、その費用を誰かが受け持ってくれるわけではありません。新札が流通した後に、お店の人がお札が正しいものかどうか手間取ってしまうなんてこともコストのうちです。
作家としての心配事もあります。将来的に「諭吉何枚」という表現を小説内で使用した際に、赤ペンで「渋沢何枚の間違いでは?」と書かれて校閲から原稿が戻ってくることが予想できます。これは明らかにコスト増ですよね!?
そういった費用やマンパワーについて、貨幣そのものが目減りしないかわりに、誰かがその管理コストを払っています。これまでにも銀行のATMでお金を下ろしたり両替をしたりする際にすでに手数料はかかっていましたが、それ以外のシーンで明確にイメージすることは少なかったはずです。
電子マネーで支払をする際に、物体の移動は起こりませんし、出納も自動的にログに記録されています。集計間違いもなければ、現金輸送車も不要です。導入が進んでいない背景に「キャッシュレス決済は手数料がかかる」ということがありますが、貨幣である故に見えていなかった管理コストが可視化され、それにショックを受けている状況ということもできます。
DX後に残るもの
今回取り上げた、ハンコ、FAX、現金(貨幣)ですが、それぞれをツールと捉え、「役割」「特性」「管理コスト」にフォーカスを当てました。DXに取り組む際に右に倣えの精神でまずバッサリ切り捨ててしまうというのも一つのやり方ではありますが、「デジタル化したら元の役割を満たせなかった」「元のツールのほうが使いやすかった」などが起こってしまっては意味がありません。
DXでは、これから変えようとしている業務や行動を一度分解して、どんな役割や特性があるのかを見つめ直し、デジタルで組み立て直すということが求められています。デジタル化を進めた後に、それでも残るアナログ的なものがあるのなら、きっと将来にわたっても伝えていくべきなのだと思います。
個人的には「諭吉何枚」という情緒的な表現や、札束の持つ生々しいイメージは捨てがたく、残ってほしい文化ではありますが、日常生活での決済はほとんどスマホで済ませてしまっています。20年後までにどれくらいの「○○レス」が達成されているか、引き続き本誌連載でも描いていきたいと思います。
文/沢しおん
作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選に無所属新人として一人で挑み、9位(20,738票)で落選。
このコラムの内容に関連して雑誌DIME誌面で新作小説を展開。20年後、DXが行き渡った首都圏を舞台に、それでもデジタルに振り切れない人々の思いと人生が交錯します。
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