電気・ガス・水道も自力で賄いながら生活
お金で何でも買え、何かと便利な現代社会。
それに背を向けるように、ほぼ自給自足で暮らしている人が、日本にはわずかながらいる。その1人が、田村余一さん(45)だ。廃材で自宅をセルフビルドし、電気・ガス・水道も自力で賄いながら暮らしている。
昨年テレビに登場したことで、ご存知の方も多いかもしれない。今年の8月には著書『都会を出て田舎で0円生活はじめました』(サンクチュアリ出版)も出し、時の人となった。
調べると、筆者が住む青森県に在住。俄然興味がわき、ご本人にインタビューすることになった。ユニークなライフスタイルを送っている人の話から、われわれは何か大きな気づきを得られるかもしれないという期待からである。
■「死のう」と思って富士山に登ったが……
田村さんは、現在3人家族。数年前に結婚し4歳のお子さんがいる。3人が住んでいるのは15坪ほどの木造平屋。これを田村さんは、まだ独身であった2010年から造り始め、7年ほどかけて住めるようにした。
建材の一部は購入したが、他は全て廃材を活用。建築費用はたったの10万円ほど。「住宅というより山小屋に近い」と言う田村さんだが、建築基準法も遵守したもので、なにより一家族がちゃんと住めているというのがすごい。
また、電気は3枚のソーラーパネル、水道の代わりに湧き水を利用し、暖房に使う燃料は薪。電気・ガス・水道の公共料金は0円だ。
もっとも、原始的な生活を送っているわけではなく、スマホやパソコンを駆使して情報発信をしたり、自家用車で遠出をすることもある。ご本人はこれを「ハイブリッドな自給自足」とよぶ。
こんなライフスタイルを志すきっかけが、田村さんにある。それは20年ほど前のことだという。
「当時は普通に仕事をしていたのですが、性格的に向いてないなと感じることが多かったのです。そのストレスから、休日は衝動買いしたり、飲み会で憂さを晴らしていたものです。それでお金が減るので、仕事を頑張らなくてはいけません。でも、この繰り返しに何か意味があるのかなと思っていたのです。
ある日、仕事帰りにスーパーに立ち寄って、店に並んだ精肉を眺めながら、ふと思ったんです。『あれ、これって鳥、豚、牛が死んでるんだよね。でも、もし今僕が死んだら、この先何十年の間、食べるかも知れなかったお肉の命、助かるな。生活で出るゴミの量も減るし』と、ふと思いました。
おそらく、うつ気味であったんでしょうね。そこから思考はさらに展開して、『死のう』と思い詰めます。そして、死に場所を求めて富士山に登ったのです。遺族には自殺ではなく、登山中の事故死と思ってほしかったのですね。
ところが、富士山に登ったら登ったで、逆に生きる意欲が湧いてしまい、『おどって生きる』という人生哲学みたいな信条が生まれました。それからは、正規の就職はせず、食べ物も住む家も自分で作って、『おどって生きる』という思考回路でここまでやってきたのです。」
■仕事で培ったスキルを自給自足に生かす
「おどって生きる」と決めても、それだけで20年間を突っ走ったわけではなく、紆余曲折や試行錯誤はあったようだ。田村さんは次のように語る。
「最終的には、山にこもって仙人みたいに霞を食べていく生活をするのかな……という予感が漠然とありました。でも、当時はまだ20代半ば。なにか決定的な行動は早いという気持ちもありました。
それで、フリーターという立場でいろんな仕事を経験しましたね。携わった仕事の種類は100を超えます。そのおかげで細かいスキルをたくさん身につけ、自給自足の生活に役立っている面があります。
何か経験を積めば、人生の歩む道の幅が広がって、人生がちょっと良くなる。で、良くなると、進む道がまた広くなり、数も増えていったんですよね。
ただ、ホワイトカラー的な仕事は、本当に経験は少ないです。ある会社では、電話を取るのが嫌になっちゃって、鼻血が出るほどストレスでした。会社の人間としての人格を、自分の中に作るような感じがするのは、できない性格だと思いました。」
■小さな行動から始めてみる
世間では、連日のように何々の値段が上がったなど、物価上昇のニュースでかまびすしい。節約に励む家庭が多いなか、自給自足の田村家は、上昇する物の価格の影響がまったくない。
だからといって、われわれが一足飛びに普通の生活から自給自足へと転換するのはちょっと難しい、というか無理だろう。そこまでいかずに、日々の消費生活を楽にする方法はあるだろうか。
「例えば、お米が欲しいときは、スーパーへ買いに行く代わりに、生産者に飛び込んで行って、『すいません、お米欲しいんですけど、10キロいくらですか』とか直接交渉することを本気で考えてもいいと思います。
今スーパーで目にしているものは、様々な流通経路を経て陳列されているものがほとんどでしょう。それにはもちろん、それなりの理由があると思います。
でも、欲しいものにダイレクトにちょっとアクセスしてみることを、始めてみてもいいのかなと。
農家さんを見かけたら、『そのトマト、1個いくらですか』と、ちょっと声をかけてみましょう。きっと農家さんも嬉しいと思います。
食べ物以外でも、『ダイレクト』はいいと思いますね。電気にしても、節約するのももちろんいいんですけど、ソーラーパネルの小さいのが1つあって、それを蓄電するちっちゃなポータブル電源があれば、携帯やパソコンの電源は賄えます。
ちょっとしたことなんですけど、それが積み重なって、お金の負担が減ってきます。小さな行動から始めてみてはいかがでしょうか。」
■生きているという実感を得るには
自給自足とはいえ、今の田村さんは無職ではない。「御用聞屋」という肩書きで、高齢化率の高い地元の人たちの依頼に応じて、庭木の伐採や部屋の掃除など、いろいろ請け負っているそうだ。それで月の収入が4万円くらいになるという。
とはいえ、とにかく収入を増やそうと頑張っているわけではない。そんな田村さんにとり、都会で暮らすビジネスパーソンは、大変だなと思うことも多いようだ。
「人と人の間が、いろいろ離れてるんですよね。話せば数秒で終わるものを、わざわざメールとかを使ってやりとりするみたいな。そういうまわりくどいのに慣れちゃってる。
でも、それは生命体として、しっくりはきてないんですよね。本来、人は声で会話するし、相手の喜んでいる顔を見て、こっちも嬉しくなるとか、そういう生の経験が大事なんですよね。
だけど、今は無機質なやり取りに慣れて、買い物ですらもう一切顔を合わせることなく、できてしまう。それはそれで便利かもしれないけど、どこかしっくりきていないはず。
そこに気づくのは本当に必要。僕の家に来る人たちは、火をよく見るのですね。うちは、薪ストーブや煮炊きで、年がら年中火を起こしている。すると来た人は、『なんか火っていいですね。癒されますね』とかよく言うんです。
人間が、電気で温まるとか、ガスを使って調理するっていうのは、ここ150年ぐらいの話でしょう。でも、縄文時代にはすでに火を使って生活してたので、DNA的には火に親しみを感じる。
だから、そっちの方に少し戻してあげないと、古くからのDNAが安心してくれないんだろうなと思います。火をおこし、土いじりをするなど、ちょっと野生に戻す、五感もちゃんと使うという生活を意識してはどうかなと。生きているという実感って、多分そこなので。」
人間は、(お金を出せば)快適で便利な生活を享受できる世界を作り上げた。だが、「大事な部分をよその人や機械、システムに丸投げしちゃいないか。お金を得るために何かすんごい大切なものを犠牲にしちゃいないか」と、田村さんは警鐘を鳴らす。
不自由のない生活なのに、なにか閉塞感めいたものがあるなら、田村さんの言葉は打開のヒントを与えてくれるにちがいない。
文/鈴木拓也(フリーライター)