気になる”あの仕事”に就く人に、仕事の裏側について聞く連載企画。第12回は、秋田県男鹿市でなまはげ太鼓奏者としてパフォーマンスや指導を行う古仲栄文さん。3人の兄の背中を見てなまはげ太鼓を始め、日本のみならず海外でも演奏を行う。なまはげ太鼓奏者を生業にしようと決めたきっかけや、地元男鹿への想いについて話を聞いた。
コロナ禍でイベントは全てキャンセルに
「悪い子はいねえが」「泣く子はいねえが」
大晦日になると鬼の面と藁の衣装をまとった「なまはげ」が家々をめぐり、厄払いを行い怠け者を戒める。秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた伝統行事だが、今では大晦日に限らず、他県で開催されるイベントなどでもなまはげを見ることができる。
古仲栄文さんはフリーのなまはげ太鼓奏者として年間200もの演奏を行う。複数の団体に入り、「私立恵比寿中学」、「TOTALFAT」のライブや、日本最大級の野外フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVALLIVE」で演奏するなど活動の幅は広い。
「実は男鹿以外でもパフォーマンスすることが多いんですよ。東京を中心に日本各地、今は減りましたが、台湾やシンガポールなど海外で演奏することもあります。それもコロナが流行した当初はぱたりとなくなりましたね。イベントは全てキャンセル。ようやく落ち着いて、依頼がきはじめたと思ったら直前でまた感染者が増えてキャンセル。昨年でも半分以上はキャンセルになりましたね。奏者の中には、コロナを理由に会社から禁止されて辞めた方もいました。今年に入ってからは、感染対策を徹底した上でようやくイベントができるようになってきました」
3人の兄の影響でなまはげ太鼓を始める
古仲さんが太鼓を始めたきっかけは、3人の兄の影響が大きいと言う。「兄弟全員、なまはげ太鼓をやってたんですよ。3人とも自分とは年が離れているので、兄の背中を見てというか、憧れが強かった。それで僕も同じ道をたどったって感じですね。今も長男だけは太鼓を続けていて、同じ団体で一緒に演奏することもあります」
小学4年生からバチを握り、中学校、高校と鍛錬を積んだ。高校の頃に目にした九州の和太鼓エンターテイメントグループ「DRUM TAO」のパフォーマンスに衝撃を受け、太鼓を生業とすることを決心。2017年に九州に渡った。
「人生一度しかないので、普通の人がやらないことや変わったことをやりたいなって。DRUM TAOの演奏は、1回が1時間半から2時間。とにかく表現力に秀でたチームだったので、舞台の構成やパフォーマンスなど、僕がそれまでやってきたものとは全然違いましたね。年間のほとんどをメンバーと寝食を共にし、4年間DRUM TAOの和太鼓奏者として日本全国、世界中をツアーで周りました。
一昨年からまた男鹿に戻って、なまはげ太鼓奏者として活動しています。小さい頃からなまはげ太鼓をやってきたので、もっとなまはげ太鼓を広めたいと思うし…。やっぱりなまはげが好きなんですよね」
生まれ育った男鹿を盛り上げたい
なまはげ太鼓を本業としている人は多くないと言う。イベントや演奏がある時期というのは偏りがあり、収入が安定しない。太鼓だけでは食べていくのが難しく、奏者の多くは日中は別の仕事をしたり、バイトをしたり、趣味の延長線上と決めてやっている人もいる。古仲さんも男鹿に戻ってからは日中は建設の仕事をし、夜や休日に練習と演奏を行う。体力勝負の二足のわらじを履くのはさぞ大変だろうという心配をよそに、「楽しいという方が大きいので、苦労と思ったことはあまりないですね」と古仲さんは笑う。
「仕事として生計を立てるのが難しいということから、最近ではなまはげ太鼓をやる人自体減っています。僕はなまはげ太鼓だけで食べていきたいって思っていますが、そういう方は、多くないかもしれません。
今演奏を見てくれる観光客の多くは年配の方です。僕ら若い世代がもっと男鹿を盛り上げて、若い世代の方にもなまはげ太鼓を知ってもらいたいし、実際に演奏を見てもらいたいですね。コロナの影響で観光客もガクッと減ってしまったので、なまはげを通じて地域を活性化して貢献できたらと思って活動しています」
今後はソロ活動も視野に入れ、より一層なまはげ太鼓奏者としての活動に力を入れていくと言う古仲さんに、今後やり遂げたいことについて聞いてみた。
「『ONE OK ROCK』とコラボできたらいいですね!」
28歳。若きなまはげ太鼓奏者が描く未来に期待が高まる。
【取材協力】
古仲栄文さん
なまはげ太鼓奏者
Instagram:@hidefumi_konaka
取材・文 / Kikka