連載/ボディビル世界チャンピオン山岸秀匡の「筋!言」
筋肉ひとつで世界を渡り歩き、日本人で唯一、ボディビルの世界大会アーノルドクラシック212で王者を獲得した山岸秀匡氏。海外の選手と互角に戦う山岸氏の登場は、これまでの日本人のイメージそのものを覆すほどの、大きなインパクトを与えた。
未知の世界を切り開いてきた山岸氏の足跡を追いながら、ビジネスシーンに役に立つ言葉を紹介する「山岸秀匡の筋!言」、6回目の言葉は「持っているもので勝つ」である。
前回「狙いを定めたら己の力で道を切り開け!」ボディビル世界チャンピオンが語る競技を通して学んだこと」はこちらから。
ボディビル競技の上では「背中」が課題だった
日本人として欧米選手と肩を並べて競技する山岸氏の活躍ぶりは、順風満帆に見える。しかし、本人が語るに、筋肉面で課題を抱えていた。
新刊書「筋トレは人生を変える哲学だ」((KADOKAWA発刊、定価1540円)では、以下の様に語っている。
“トレーニングに関して「苦手は部位はありますか?」と聞かれることがあります。答えは、「もちろんあります」。初心者でも上級者でもトッププロでも、誰にでもあるのではないでしょうか。
ただ、考え方として、「苦手」ではなく、「発達が遅れている」部位としてとらえていることをお伝えした上で進めていきますね。
ボディビルディング的には、全体が満遍なく発達していることが勝利に近づく道ではあるけれども、私に関しては背中が課題と言えるでしょう。
決してマインドマッスルコネクションが弱いというわけではなく、実際にバンプアップもかなりします。ところが、おそらくどこかで神経系がダメージを受けたのでしょう。広背筋下部の盛り上がりが出にくくなってしまいました。
筋腹が短いため筋肉が大きくなりにくい
(中略)私は上腕二頭筋の肘関節にかかる部分の筋腹も短く、力こぶを出そうと肘を曲げると、肘と二頭筋の間に隙間ができます。隙間の部分は腱ですが、筋腹が長い人はその様なスペースはなく、肘から繋がるように二頭筋が盛り上がります。つまり、筋腹が長いぶんだけ筋肉は大きくなりやすいのです。
オリンピアで7回優勝しているフィル・ヒースの上腕二頭筋が肘の裏まで覆いかぶさっているのも、筋腹が長いがゆえのこと。トレーニングによってどうにかなっているのではなく、生まれもった素質ということです。
じゃあ筋腹が短い人はボディビルディング的に不利なのかというと、そういうわけではありません。力こぶを出したときにより高い位置にピークが出やすく、セパレーションも出やすいのでステージに立ったときに映えます。
ポージングも、関節を伸ばしたままでいるより曲げることの方が多いので遜色なく闘うことができます。
私の背中に関しては神経ダメージによる後天的なものですが、筋肉の付き方に関しては生まれつきのものなので、発達が遅いからといって文句を言っても始まりません。
与えられたものを最大限に生かして発達させるというのがボディビルディングなのです。” (「筋トレは人生を変える哲学だ」より引用)
背中の筋肉が課題であっても、フロントを見せるポーズで審査員を感動させることができれば勝てる。そう信じて、山岸氏はステージ上でいかに自分を大きく見せることができるかを徹底的に研究した。持っているもので勝つ工夫である。
特に山岸氏の場合は、内転筋と中臀筋が発達しやすかった点を活かし、見る人に広がりを感じさせることができた。この特徴を生かすことで、“普段、トレーニングウエアでジムにいるときより、ポージングトランクスでステージに立っているときのほうが、印象だけで言えば20キロ近く重く見えるのです。”と語っている。
西堀栄三郎の「持てるものを活かす」教え
山岸氏が自分のもっている筋肉を活かして勝つ方法を見出したのと同じように、南極大陸で身近な氷を接着剤の代わりに使って死地を脱したのが、西堀榮三郎(1903~1989年)である。西堀は日本の生産管理の父であり、日本初のデミング賞受賞者として有名だが、当時の人々の間では、第一次南極観測越冬隊長としても知られていた。
敗戦国ムードがまだ残っていた当時、日本が欧米各国と肩を並べ、南極へ探検に行くという話題は、人々に希望を与えた。しかし、当時の文部省は失敗を恐れ、なかなか南極行きの決定を下せなかったという逸話も残っている。
南極では、思いもよらぬトラブルに見舞われた。特に雪上車で雪野原を進むうちにキャタピラのスプロケットを留めているナットが外れた事件は、深刻だった。雪野原のどこに落としたのかわからない。工具の中からナットが出てきたが一回り大きくて使い物にならなかった。
ここで立ち往生したら隊員たちの命にもかかわる。誰もが恐怖と不安で、西堀の顔をうかがった。西堀は「とりあえず一休みして紅茶を飲もう」と誘って、お湯を沸かした。温かい飲み物が、隊員たちの身体を温める。
飲み終わった紅茶を入れた携帯用のコッヘル(小鍋)を見ていると、西堀にある考えがひらめいた。コッヘルに残った熱い紅茶の葉に雪を入れて、シャーベット状のお粥のようなドロドロしたものを作り、凍らないうちにゆるいナットの部分に張り付けてみた。氷点下20度以下の気温で、その部分はたちまち凍ってかたくなり、ナットは見事に接着したのである。
持っているものを上手に活かす、そんな発想が隊員たちの命を救い、第一次南極観測越冬隊は大成功した。山岸氏も「持っているもののなかでいかにして勝つか」がいかに大切かを語っている。山岸秀匡氏と西堀榮三郎は同じ発想で、難局を乗り切った。実行する前に持っているものを見直すこと。「あるもので勝つ」は、ビジネスシーンでもきっと役に立つ金言である。
著者 山岸秀匡(ヤマギシヒデタダ)
1973年6月30日生まれ。北海道帯広市出身。早稲田大学で本格的にボディビルを始め、2002年にプロボディビルダーとなる。2007年からミスター・オリンピアに出場し、2015年には3位入賞。2016年、アーノルド・クラシック212で日本人初優勝を成し遂げた。
書籍紹介
定価: 1,540円(本体1,400円+税)
https://bit.ly/3vU0PiB
文/柿川鮎子
編集/inox.