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一時は倒産の危機も!?純利益1兆円を超えて復活を遂げたソニーの暗黒時代

2022.04.10

「上場廃止。いや倒産もありえる」。天下のソニーがそんなことを言われていた時代がありました。2012年3月期において4,550億円という巨額損失を計上したのです。ソニーは4期連続で純損失を出していました。自己資本比率は14.7%まで低下。安全基準と言われる20.0%を大幅に割り込みました。

その後、ソニーは大復活を遂げます。2021年3月期は純利益が1兆円を超えたのです。2021年12月末時点で自己資本比率は24.6%まで回復しています。

暗黒期のソニーに何があったのでしょうか?

一事業で2,000億円超の巨額赤字を計上

有価証券報告書より筆者作成(純利益の目盛は右軸)

ソニーが赤字に転落したのは2009年3月期から。2013年3月期に415億円の黒字に転換しますが、その後1200億円を超える赤字を2期連続で計上します。2016年3月期からは安定的に利益を出し、2021年3月期に1兆1700億円の純利益を計上して純利益率が13.0%となりました。

2016年3月期から2020年3月期までの平均純利益率は5.2%。2倍以上の収益率へと急回復したのです。

コロナ特需の一時的なもののようにも思えますが、2022年3月期は8,600億円の純利益で利益率は8.7%となる予想です。まだまだ衰える様子は見えません。

ソニーの暗黒時代には底なし沼とも言える赤字要因が大きく2つありました。1つは液晶テレビ。もう1つは携帯電話です。

ソニーの家電を扱う主力事業コンスーマープロダクツ&サービス分野2012年3月期の売上高は前期比18.5%減の3兆1,368億円。2,298億円という一事業とは思えない凄まじい損失を計上しました。この損失は主に液晶テレビによるものです。

2012年3月期に急速な赤字に陥った最大の要因は、政府の「家電エコポイント」と呼ばれる補助金制度が2011年3月末で終了したことです。テレビの販売台数は2010年にピークを迎え、2011年から減少しました。

※BCN「10年間、進まなかった液晶テレビの大画面化 40型4K登場でついにシフト始まる?」より

テレビの販売台数が減少し、ソニーは巨額の設備投資費や固定費を賄いきれなくなったのです。しかし、その前から衰退の兆しは見えていました。赤字に陥る直前期の家電事業の売上高は3兆8498億円、営業利益はわずか108億円です。利益率は0.3%しかありません。薄利の原因は、上のグラフの青い線グラフが示す平均単価を見るとわかります。

液晶テレビの市場価格は2011年まで急速な勢いで下がっていたのです。エコポイントを背景に販売台数は伸びていたものの、価格は下落していました。液晶テレビはコモディティ化していたのです。

価格競争で海外勢にシェアを奪われていた液晶テレビ

2000年以降、液晶テレビの旺盛な需要をキャッチし、国内メーカーは設備投資を強化しました。2002年シャープは亀山工場計画を発表しました。1,000億円以上を投資し、生産能力を月10万台、需要に合わせて20万台まで引き上げるというものでした。亀山工場は2004年に稼働を開始し、月18万台分のパネルを生産するようになります。

「世界の亀山」が動き始めました。

ソニーはシャープに後れをとるまいと、2004年に韓国サムスン電子と第七世代液晶工場に2,000億円を投資。更に2007年ソニーはサムスンと折半で2,000億円を投じた第八世代液晶工場を稼働させました。

ソニーは韓国のサムスン電子とタッグを組むことで投資額を折半するなど、恩恵を受けることができました。しかし、この合弁によって液晶テレビの開発・生産技術が流出したのではないかと言われています。

また、2004年から液晶テレビはすでに生産過剰気味になっており、1年間で30%以上も価格が下落していました。それでも各社は生産能力を落とさずに生産を続けました。やがて技術流出と価格競争により、液晶テレビは海外勢にシェア奪われます。

■液晶テレビメーカー別生産台数シェア推移

三井物産戦略研究所「日本のエレクトロニクス産業」より

人件費を安く抑えられる海外製品の方が、価格面では強みを発揮できたのです。テレビの機能を強化して付加価値をつけても限界があります。テレビがコモディティ化すればするほど海外製品が有利になりました。

バブル崩壊後、日本は長引く不況に苦しんでいました。液晶テレビは「モノづくり大国日本」に射し込んだ一条の光でした。国内メーカーは、海外製品にシェアを奪われることはあり得ないと高をくくっていたのかもしれません。ソニーがやがて強力なライバルとなるサムスン電子と手を組んだことが、それを物語っています。

携帯電話での巨額損失の裏でヒットしたプレイステーション4

苦境に陥ったもう一つの要因が携帯電話。ソニーモバイルは2012年3月期に1,145億円の巨額損失を計上しています。

ソニーは2001年10月にエリクソンと合弁会社を設立。携帯電話事業を強化しました。エリクソンはスウェーデンの携帯電話メーカー。このころ、携帯電話業界ではノキアが市場を席捲していました。

やや遅れをとっていたソニーとエリクソンは力を合わせてシェア拡大を狙おうとしました。

しかし、2007年1月に黒船がやってきます。iPhoneがアメリカやヨーロッパで販売を開始したのです。翌年には日本でも販売されました。やがて、スマートフォンが日本や北欧メーカーの得意としていた携帯電話を駆逐します。

ソニーは2012年2月にエリクソンとの合弁を解消。エリクソンが保有していたソニー・エリクソンの持分50%を取得しました。これによってソニー・エリクソンはソニーの100%子会社となります。このとき、2012年3月期の携帯電話事業の売上高は前期比12.4%減と厳しい状況に置かれていました。

実はソニー・エリクソンは爆弾を抱えていました。ソニーは2015年3月期にソニー・エリクソンを完全子会社化した際に計上した営業権の全額となる1,800億円の減損損失を計上したのです。

営業権の減損損失は、ソニー・エリクソンを100%子会社化した際の取得額に見合う収益性が得られなかったことを示しています。ソニーはこの期に会社全体で1,259億円の純損失を計上しました。

携帯電話事業をApple、サムスン電子に次ぐ世界3位を目指していましたが、従業員を1,000人以上削減するなど、拡大路線の見直しを迫られました。

しかし、これがきっかけとなり、ソニーは大復活を遂げるのです。ちょうどそのころ、プレイステーション4が販売されていました。日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも人気を獲得し、累計販売台数1億台を超えるスマッシュヒットを記録するのです。

この時期にソニーのトップに立っていたのが平井一夫氏。奇しくも平井氏は初代プレイステーションの北米での販路拡大を成功させた立役者でした。

このタイミングで、モバイル事業の巨額損失を出していたことは、プレイステーションがやがてその穴を埋めるという平井氏の優れた見立てだったのかもしれません。

取材・文/不破 聡

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