■連載/ヒット商品開発秘話
ベーカリーで売っているようなパンが家で焼けたら、盛り上がること請け合いだろう。これを簡単に実現できるようにしたのが、フジパンの『マイクラフトベーカリー』である。
2020年10月に発売された『マイクラフトベーカリー』はそのままでも食べられるが、オーブントースターなどで数分焼くと、ベーカリーの焼きたてパンのような香り、味、食感を楽しむことができるのが特徴。クロワッサンや塩パンなどを揃え、2022年2月末日時点でシリーズ累計1190万袋以上を売り上げている。
(左)おうちで焼きたて パリパリクロワッサン
(右)おうちで焼きたて カリッとじゅわっと塩パン
パンづくりはコロナ禍で受け入れられる
現在は全国で販売されている『マイクラフトベーカリー』だが、もともとは関東地区限定で販売されていた。誕生の背景には、手づくりに対するフジパンのこだわりがあった。
「フジパンがやりたいことは、手づくりのパンを皆がどこでも簡単に手に入れ、食べられるようにすることです」
こう話すのは、フジパンの取締役関東事業部長、安田憲正さん。これまで、手づくり感のあるパンをつくり販売してきたが、手づくりをより実感できる商品の提供を以前から模索してきた。
ここに重なったのが、2020年に始まった新型コロナウイルスの感染拡大。感染拡大を防ぐため家で過ごす時間が増えたことから受け入れられると判断し、具現化を急ぐことにした。安田さんは次のように話す。
「家で過ごす時間が増えるので、普段あまりつくらないものが売れることが予測できました。手づくりの焼きたてパンができるものも受け入れてもらえるのでは?と判断しました」
「ラスト・ワン・ベイク」で手づくりを実感してもらう
家庭で焼くことでパンができるものとしては冷凍パン生地がある。しかし、焼き上がるまでに時間がかかり、うまく焼くのが難しい。
そこで同社が考えたのが、白く焼いた状態で販売し、最後の1工程として各自に軽く焼いてもらうこと。「ラスト・ワン・ベイク」で手づくりを実感してもらうことにした。フジパングループ本社の開発研究本部開発研究部 係長、石川友利香さんは次のように話す。
「家庭のトースターではサイズを大きくすることはできないと思われるので、完成された形で白く焼くことが求められました。トーストしたときにベーカリーの味、香り、食感が楽しめる状態にしなければならないので、どの程度の状態で仕上げるかを決めるのは悩ましいかったです」
フジパン
取締役関東事業部長 安田憲正さん
フジパングループ本社
開発研究本部開発研究部 係長 石川友利香さん
白く焼くのは難しいが、焼き色がつきやすい原材料の使用を控え、オーブンの温度を下げ短時間で焼けば可能である。ただ『マイクラフトベーカリー』の場合、単に白く焼くだけではなく、完成形の形、大きさを維持しつつパンの香りや食感も出さなければならない。石川さんはこう続ける。
「クロワッサンのようなデニッシュ生地だと、低温かつ焼成時間を短くするとつぶれやすく、ふっくらさせるのが難しいです。それに、パンの香ばしい香りや旨味は茶色くなるまでオーブンでよく焼くことで生まれますが、そこに至る前で焼成を止めると、いくらその後トーストしても香りや旨味は限られます」
原材料と配合を見直し、試作検証を繰り返し実施。「普段より3倍ぐらい多く試作をつくっています」と石川さんは振り返る。
味で工場長を納得させる
2020年6月から同社の千葉工場(千葉県市川市)で量産試作を実施する。全工程を1つずつ見直し、生産ラインを動かしてのテストは何十回にも及んだ。
「現場とはすったもんだがありました。『こんなものできるか』と」
このように明かす安田さん。何とか商品を理解してもらうために、工場と話し合いを重ねた。安田さんは続ける。
「私たちは“happy bread time”と呼んでいますが、お客様に楽しいパン生活を送ってもらうために『マイクラフトベーカリー』が必要だということを訴えました。自分でつくることにより、今までにない“happy bread time”を体験することができお客様に喜んでもらえる。どこもやっていないことだからフジパンがやるべきだ、と伝えました」
工場の人たちに美味しいと思ってもらえることも重要なポイントになった。 つくったものをトーストして工場長に食べてもらったところ、「あれ美味しいね。自分で焼いて食べるという発想はなかったよ」と安田さんに伝えきてきた。工場長を味で納得させ心に火をつけることができたことで、量産試作が加速した。
納得のいくものができたのは2020年9月。発売直前のギリギリまでつくり込みに時間を費やした。
試食販売員の代わりにARを活用
発売から約1年半が経過した『マイクラフトベーカリー』だが、限定品の発売やリニューアルを実施し、現在8種類を展開。評判の高さから、関東地区以外での取り扱いも徐々に広がっていき、2021年6月に塩パンが発売されたときに全国販売に切り替わった。以降、基本的には全国どこでも展開されることになった。
ラインアップの変遷。備考欄に何も記載のないものが現在販売中のものになる
「まだまだ伸びる」と自信をのぞかせる安田さん。その理由は、認知が広がっているとは言えないためだ。今までにないパンなので、本来であれば店頭で試食販売員による試食販売を行ないたかったが、新型コロナウイルス感染予防の観点からできないという問題があった。
試食販売員の代わりに活用することにしたのがAR(拡張現実)。ARアプリを使うことにした。
具体的には、スマートフォンやタブレットにインストールしたARアプリを起動してパッケージに描かれている女の子のマイちゃんにかざすと、マイちゃんが商品を紹介。美味しい焼き方やアレンジレシピのつくり方を教えてくれる。売場でARアプリを起動しマイちゃんにかざすと、店内を背景に説明してくれるので、まさにマネキンの役割を果たしてくれる。
ARアプリを起動しパッケージの女の子にかざすと美味しい焼き方やアレンジレシピのつくり方などを紹介
また、パンを焼くことにイベント感があることから、イベントに使ってもらえるものを企画。それが、2021年12月に発売されたミートパイ。クリスマスパーティーに焼いてもらえるよう考えられた。
より手づくりに近い品質の商品を新系統で追加
ラインアップは今後拡大の予定。ベーカリーでの定番商品を追加する考えだ。
また、これまでの商品は「ホールセール(工場でつくったパンを小売店に卸すパン屋)の品質で焼きたてが食べられる」という品質イメージだったが、新たに「ベーカリーに代表される手づくりの焼きたてが食べられる」という品質イメージの商品も追加。今後2系統で商品を展開していく。
新たな品質イメージの商品は、4月にメープルメロンパンとシナモンロールの発売が決定。設備投資をして構築した新生産ラインで生産される。
新生産ラインの特徴は、真空冷却装置を導入したこと。ホールセールでは、おそらくどこも導入していないと思われるものだ。
真空冷却装置を導入した理由の1つは、しっかり焼かなくても高さを出せるようにするため。パンはしっかり焼かないと高さが出ずつぶれ気味になるが、焼き色をつけずに焼き上げる『マイクラフトベーカリー』は生産ラインの工夫でつぶれないようにしてきた。しかし、真空冷却装置を使えば水分が一気に蒸発し、しっかり焼かなくてもつぶれず高さが出る。
取材からわかった『マイクラフトベーカリー』のヒット要因3
1.楽しめる
パンを焼くことは楽しくイベントの要素がある。自粛生活で楽しいことが少なくなったコロナ禍において、楽しい体験を提供するものになった。
2.高い商品の完成度
家庭で焼き上げることがクローズアップされがちだが、形、食感、香り、味とパンに求められる要素にこだわってつくっている。完成度が高くなければ、いくら焼くことが楽しくても買われ続けない。
3.簡単
同じようなことが実現できる冷凍パン生地より簡単かつキレイに焼くことが可能な上に、常温のため多くの小売店で取り扱われた。こうした点が支持を集めた。
コロナ禍で退屈な自粛生活を余儀なくされた人たちには、パンを焼くことも楽しいイベント。パンはほとんどの商品が2か月で終売になり育てるのが難しいが、家でパンを焼くことの楽しさがさらに伝われば長く愛される商品に育つだろう。
製品情報
https://www.fujipan.co.jp/product/mycraftbakery/
文/大沢裕司