戦前からの日本のサウナの歴史をまとめた豪華本『日本サウナ史』の著者・草彅洋平さんのインタビュー。前編では110年続いている日本のフィンランドサウナの歴史を紐解くに至った経緯を伺った。後編では今、注目するサウナ施設と、サウナの未来について伺った。
「日本で最初にととのった人は誰か」110年続くサウナブームの源流はこちら
60-70年代の日本映画のサウナには水風呂がない!
――記事の前編で、『日本サウナ史』で、先人へのリスペクトを強くしたということが、伝わりました。
草彅洋平さん(以下・草彅): 戦前の日本人の使命感、そして狂気的な能力もわかりました。それでいておおらかで魅力的な人が多いんですよ。最初にととのった織田幹雄、最初にサウナに入った岡部平太など、固定概念にとらわれず、縦横無尽の活動をしている。彼らの人生は興味深いですよ。
私は流行りの新しい施設より、日本にいいサウナがたくさんあり、そちらを再評価していきたいんです。『日本のサウナ史』では、フィンランドサウナの歴史を取り上げましたが、今後は日本の地方に残る「から風呂」(古代サウナ。洞窟などで木を焚き、その輻射熱や蒸気を浴びる)についても紹介していきたいです。
――古代サウナには水風呂がないですよね。
草彅:日本のフィンランドサウナに水風呂が登場したのは、渋谷にあった『スカンジナビアクラブ』(1965年創業・現在は廃業)と言われています。ここが現在につながる温浴施設の原型だと中山眞喜男さん(日本サウナ・スパ協会技術顧問)もおっしゃっています。
――スカンジナビアクラブ以前のフィンランドサウナには、水風呂がないというのも驚きです。
草彅:そうなんです。今、サウナが登場する、60-70年代の日本の映画を観まくっているのですが、そこにも水風呂は登場しません。Amazon Prime Videoの“ JUNK FILM by TOEI ”にやたらトルコ風呂映画があるのでの観てみたら、当時の入り方や風俗が面白かったんですよ。
サウナから出た後に、水風呂に入らず服を着ている人がほとんどでした。梅宮辰夫主演の『夜の手配師 すけ千人斬り』(1971年)では、コールガールのボス役の梅宮の自宅にはホームサウナがあるんです。そしてサウナから出て、汗をタオルで拭いてシャツをすぐに着るというシーンが出てくる。彼はサウナの後、水風呂に入らない。
山城新伍主演の『喜劇トルコ風呂王将戦』(1971年)という映画には、映画の冒頭に改築前の「神戸サウナ」が出てきます。神戸サウナの米田社長も初めて観たとおしゃっていました。また、一万円札を模した割引券を本物と間違えて山城新伍が拾うというシーンが出てくるんですが、これは今も神戸サウナで割引券として配っているんですよ! そういう歴史性に気付くと僕の気持ちもアガります。
また当時のサウナが宇宙船のカプセルみたいで、客は首を出して入るのですが、これもスペーシーなデザインでカッコいいんですね。今だったら作るのに何百万かかるのだろうと想像してしまいます。
いずれもお色気強めの映画なのですが、当時のサウナについて、よくわかります。いまだったらトルコ風呂周辺のカルチャーについて、さらに加筆できそうなので、『日本サウナ史』をさらにアップデートしていきたいですね。
歴史や文化を感じるおすすめサウナ
――今、サウナの歴史を感じるために行っておくべき施設はどこでしょうか。
草彅:まずは1966年創業の岐阜県にある『大垣サウナ』です。ここはおかみさんのホスピタリティが素晴らしく、日本一だと思っています。館内は隅々までぴかぴかで、居心地がいい。食事処の生姜焼きもおいしいですし、館内着もつるつるの素材で気持ちいい。
そして、サウナ室をよく見ると、絨毯張りなんです。触れても熱くない心遣いなんですね。これも深掘りすると、その発端は大阪梅田の『ニュージャパン』がサウナ室を豪華にするために、赤い絨毯張りにしたことだとわかったんです。それ以降、関西のサウナ施設に絨毯ブームが広がった。しかし後に衛生的ではないと指導され、その後板張りに戻った施設もあったりするのですが、絨毯のまま残ったサウナ施設もあった。先日も岡山県の『ハリウッド』にお邪魔してみたら、サウナ室に絨毯が貼ってあって感動しました。大垣サウナのおかみさんにお聞きしたところ、1年半~2年に1回、絨毯職人が徹夜で張り替えると言っていました。
でも、大垣サウナをよく見ると、2階の食事処のイスや段差も絨毯張りなんです。つまりは、おかみさんの絨毯への偏愛だったと気づいたときは感動しましたね! なんでも優しさと絨毯で包んでしまう、おかみさんの愛が大垣サウナにはあるのです。
ほかにも、鹿児島県の『境田温泉』の蒸し風呂もすごかったです。源泉の蒸気で室内を温めているのですが、酸が強すぎてドアノブが取れてしまっている。その穴から蒸気が逃げて、40℃くらいしか室温ないのに、グワングワンにキマります。
宮崎県の『白鳥温泉』の上湯にある『地獄むし風呂』もいいですよ。日本の温浴施設のホンモノは、圧倒的にすごいし、日本にしか成し得ない唯一無二のコンテンツです。地方のサウナに知らない場所がたくさんあると感じて、日本全国を巡っています。
――-東京方面はどうでしょうか。
江戸川区の『友の湯』の夜の時間帯のスチームサウナは、普通に入れないほど熱い。扉を開けた瞬間、雲海のようなスチームが襲ってきて、身体を屈めて入らないと火傷しちゃうんです。オーナーに言うと、「ウチ、熱いでしょ。ドアに桶を挟んで入って」とのことでした。でも、これを拒否して、何分入れるかを競っているサウナーたちがいる(笑)。日本のサウナって、本当に自由で面白い。ととのうの先にある何かを探す修行であり、チャレンジですね。
参考:友の湯チャレンジ 草彅さんのnoteより
――2022年にサウナ関連では何が来ると思いますか?
今年はウィスキング元年でしょうね。千葉の『ジートピア』など、ウィスキングが受けられる施設も増えています。
その一方で日本古来のサウナも再評価される動きが出ても良いと思っています。コロナが終わって、旅行が再会した時に、海外の人もきっとハマるはずですから。
そして今年、僕は『CULTURE SAUNA TEAM AMAMI』というサウナ文化を深めていくチームを作りました。「あまみ」とは水風呂の後に皮膚表面に赤と白の斑点が出ることで、北陸地方の方言です。日本のサウナに力点を置きながら、文化を掘り下げて行こうと考えています。
サウナは連綿と続く文化です。その楽しさは、きっと多くの人を魅了すると思うんですよね。
歴史を知るとサウナはもっと楽しくなる。『日本サウナ史』でサウナ文化のバトンを現代に繋いだ偉人たちの足跡を知れば、より深く、熱くサウナを楽しめるはずだ。
草彅洋平(くさなぎ・ようへい)
編集者・著述家。メディア、イベントなどに精通している。2017 年に下北沢で野外のサウナイべント「CORONA WINTER SAUNA」の企画、運営に携わり、現代のサウナブームの第一人者。フィンランド政府観光局が認めた、公式フィンランドサウナアンバサダー。著書に『作家と温泉』(編著/河出書房新社)、『日本サウナ史』(amami)などがある。
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CULTURE SAUNA TEAM AMAMI
取材・文/前川亜紀