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本を読んでいると、知らない言葉と出会うことがあります。『空蝉』も、古来より使われていながら、なじみがない人は少なくありません。読み方も難しいこの言葉は、どのような意味を持っているのでしょうか。使い方や類語についても触れていきましょう。
「空蝉」とは?
本を読んだり他者と会話したりする中で知らない言葉・表現に出会うことは珍しいことではありません。知らない表現と出会ったときに、そのままやり過ごさずに、調べることで新たな知識が備わります。
古くから伝わる『空蝉』も、読み方や意味があまり知られていない言葉の一つといえるでしょう。どのような意味を持っているのでしょうか。
「空蝉」の意味と読み方
『うつせみ』と読むこの言葉は、読んで字のごとく『蝉の抜け殻』を表しています。しかし、単に抜け殻を示す名詞としてだけでなく、その他にもいくつかの意味を備えているのです。
『この世に生きている人間』を指す言葉としても用いられます。古語の『現人(うつおしみ)』が変化したものといわれ、今まさに生きている人を示す言葉になったようです。
また、源氏物語に登場する架空の女性の通称でもあります。さらには、能の演目で『三番目物の本髭物』を意味する言葉でもあるのです。
「空蝉」の語源
蝉の抜け殻の様子から、古来よりむなしいさま、はかないさまの例えとして使われてきました。形はあれども、中が空っぽであることからそのように感じ取られてきたのでしょう。
語源は『現(うつ)し人(おみ)』とされています。つまり、現実世界に生きる人間のことです。
仏教の思想では、人間の生は、とてもはかなくむなしいものだと捉えられてきました。それゆえ、『うつしおみ』の発音が変化した『うつせみ』という言葉が、抜け殻となって空洞である『空蝉』の文字があてられたのです。
源氏物語に登場する女性の名としても有名
源氏物語は平安時代中期の11世紀の初めに成立した、紫式部による54帖からなる長編小説で、波乱万丈な光源氏の70余年の生涯が見事に描かれています。
そして『空蝉』は、作中に登場する女性の名称でもあり、源氏物語の第3帖の名前になっていることでも有名です。
光源氏はある晩、空蝉の寝所に忍び込もうとします。しかし空蝉は、十二単(じゅうにひとえ)の略装である『小袿(こうちき)』を解きながら逃れるシーンを軸に描かれているのが第3帖です。
参考:空蝉(源氏物語)|新編 日本古典文学全集|ジャパンナレッジ
「空蝉」の使い方
蝉の抜け殻であり、古典の名作に登場する女性の名前でもあり、かつこの世で生きる人を指す言葉でもある空蝉は、日常ではどのような使い方をするのでしょうか。
意味がいくつかあることから、さまざまな表現が可能です。空蝉を使った例文について見てみましょう。
「空蝉」を使った例文
文字通りの『蝉の抜け殻』として使用する場合は、次のような文になります。
- 夏の朝に森を散歩していると、木に止まる空蝉を見つけた
次の文章には、何気ない光景に、過ぎゆく夏をしみじみと感じる気持ちが汲み取れます。
- 空蝉を眺めながら、ひと夏の思い出に浸る
すでに空っぽになっている抜け殻の様子から、虚無感を連想させる言葉として、次のような表現もあります。
- 目標が見いだせないこの空蝉から、一刻も早く抜け出したい
- 人生の目的を探して旅に出たが、そこには空蝉が広がるばかりだった
俳句や文学作品の中では季語として
『閑さ(しずかさ)や岩にしみ入る蝉の声』は、松尾芭蕉による一句です。真夏に活動する蝉が、季語として用いられています。
同様に、空蝉も短歌や俳句において夏の季語とされている言葉です。より詳しく説明すると、夏の終わり・晩夏を示すにふさわしいものといえます。
以下の句では、壮大な音を立てて上がり夜空に映える大きな花火が、瞬く間に消えて川に向かって落ちていくはかなさが、空蝉の言葉とともに表現されています。
- 空蝉や花火の消ゆる水面かな
「空蝉」の類義語
空蝉という言葉には他にも同じような意味を有するものがあります。空蝉の類義語について、代表的なものを紹介しましょう。
「空虚・空っぽ」
もともとは命が宿っていたものでありながら、内側が他の場所に飛び立っていったことによって、抜け殻となりました。そのことから『空っぽ』である様子、ひいては『空虚』さなども、空蝉と似ている言葉といえます。
抜け殻からは、単に蝉をかたどっているだけでなく、蝉の形を残しながらも役割を終えたことが強く感じ取れます。そこにあるむなさが、『空虚』や『空っぽ』という表現と通じているのです。
「現世・この世」
『うつしおみ・うつおみ』と読む古語『現人』が語源とされていますが、このことから『現生・この世』を指す言葉も空蝉の類義語になります。
抜け殻である状態から『この世』を連想するというのは、逆説的ではあります。しかし、仏教では、人の命やこの世はとてもはかなく、むなしいものであると教えています。
そのため、命を育みつつ役割を終えた蝉の抜け殻に人生を重ね、空蝉こそ現生でありこの世の中なのだという意味として捉えられているのでしょう。
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構成/編集部