働き盛り世代が知っておくべき健康寿命を延ばす術を紹介する「忍び寄る身近な病たち」シリーズ。今回は夢についてのお話である。
悪夢から逃れることはできないのか、気持ちのいい夢ばかり見ていたい。“夢は正夢”というが、夢にはスピリチュアル的なものがあるのだろうか。そもそも人はなぜ夢を見るのか――。レクチャーをお願いしたのは、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)の阿部高志准教授である。
「蒸気機関が脳なら蒸気が夢だ」
阿部先生の研究テーマをザックリ説明すると、「睡眠と眠気はヒトの行動に、どのように関わっているのか?」ということ。睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠の二つの繰り返しで成り立っているが、レム睡眠時は大脳が起きている時と同じぐらい活発に働く。夢を見るのもレム睡眠時に多いとされている。
ノンレム・レム睡眠時には、脳は記憶の定着や、いらない記憶の整理等を効率よく行なっているが、阿部先生が注目するのはレム睡眠である。レム睡眠時には大脳が活発に機能し、主に喜び、怒り、悲しみ、怖れ等、情動の処理を行っているとされるが、夢もまた、情動の処理に無関係ではない。
――まずお聞きしたいのは、夢とは何でしょうか、ヒトはなぜ夢を見るのでしょうか。
「なぜ夢を見るのか。いろいろな仮説がありますが、まず挙げられるのが睡眠中、記憶を整理している時の副産物が、夢なのではないかという説です。例えば脳を蒸気機関車に例えるなら、睡眠中は記憶や情動の整理をして走り続けている。夢はその蒸気機関車が出す水蒸気のようなもので。蒸気機関が脳なら副産物の蒸気が夢だと。そもそも夢には機能がないという説があります」
阿部先生はそんな仮説に対してうなずくが、「夢が何かの役割を果たしていると仮説を唱える研究者もいます」と言葉を続ける。
「レム睡眠の”レム”とは急速眼球運動のことで、その名の通り、睡眠中に目玉がきょろきょろ動く。なぜか、それは夢の画像を追いかけているという仮説を立てる研究者もいます」
仮に夢に効用があるとしたらと先生は言葉を続ける。
「例えば、目の不自由な人は点字を触った時、視覚野といって大脳皮質の視覚に関する領域が活動します。特定の機能を持つ脳の部位が、他の機能を担うようになることは、健常者にも起こり得ることで。例えば睡眠時間が8時間としたらその間、視覚に何も入力がない。睡眠中の8時間は神経回路の組み換えが生じやすい。ある仮説では視覚野の機能が、他の機能に置き換わらないよう夢を見て、視覚野を防御しているのではないかとしています」
金縛りより怖い、レム睡眠行動障害
――意識は残っているのに身体が動かない。夢よりクリアに部屋の状態が見て取れる。私は若い頃、いわゆる“金縛り”に陥ることがよくありました。
身動きが取れなくなるのは家に住み着いた幽霊の仕業だ、なんて言われたこともあるが、「金縛りはレム睡眠中に起こります。別に霊的なことではなく、意識があって身体が動かないという現象です」金縛りより、深刻な障害があると先生は指摘する。
「レム睡眠中は大脳皮質が活発に働いて夢を見ます。でも、“抗重力筋”といって、重力に抵抗して立ち姿勢や座り姿勢などを保つ筋肉が、睡眠中は脱力している。だから、夢が行動として現れることはありません。
ところが“レム睡眠行動障害”の患者さんは、レム睡眠中に見た夢が、そのまま行動に現れてしまう。“抗重力筋”をつかさどる脳部位がうまく機能しなくて、無意識に手足を激しく動かしたり、夢で見たことと同じ行動をとってしまう。金縛りは若い時になりやすいですが、レム睡眠行動障害は加齢とともに生じやすくなります」
多分、レム睡眠行動障害の時に見るのは悪夢に違いない、私はそんな気がした。
悪夢はイヤ、いい夢ばかり見ていたい
――夢はすぐに忘れてしまいます。
「夢を覚える回路が、そもそも人の身体にはありませんから」
――しかし悪い夢、悪夢は目が覚めてからも、ずっと頭に残っていることが多い。
「実験室のベッドで実際に眠ってもらい、レム睡眠中に起こして実験者に見た夢を聞くと、不快な夢と快い夢と同じぐらい見ているんです。怖いものに追いかけられたり、不快感が強い夢を見ると人は起きてしまう。起きると記憶してしまうので、怖い夢は覚えているのでしょう」
これがPTSD(心的外傷ストレス障害)となると、その深刻さは単なる悪夢とは比べ物にならない。例えばイラク戦争に行った兵士が睡眠中に、戦場での壮絶な体験が夢の中で展開し、苦しめられる。体験が強すぎて睡眠中に情動の処理ができないのだ。
悪夢はイヤだ。いい夢ばかり見ていたい。どうすれば快い夢を見られるのだろうか。
「うーん」私のそんな問いに、阿部先生はしばし考え込んで、
「逆に不快な夢を見る方法はある、これは学生の研究ですが、レム睡眠中に自分の好きな匂いを嗅ぐと、不愉快な夢を見るという仮説です。扁桃体という脳の部位は、レム睡眠中に情動的な処理をしますが、匂いにも扁桃体は反応します。扁桃体は夢を不快にする脳部位と考えられているので、レム睡眠中に匂いの刺激が扁桃体に作用し、不快な夢が現れるのではないか」
“夢は神のお告げ”って本当だろうか。
「また、勉強中にある種の匂いをかがせ、睡眠中に同じ匂いを提示すると、覚えた内容の脳への定着が促進され、成績が良くなるといわれています。これと同じ原理で、起きている時、快い情動の際にいい匂いを嗅がせ、睡眠中にその匂いを提示すれば、快い夢が現れやすくなるのではという仮説が立てられます」
例えば、初めてのデートの時に彼女の香水の匂いをたっぷり嗅いで、睡眠中に同じ香水の匂いを嗅ぐと、彼女との楽しいデートが夢の中で再現されるという仮説である。
――先ほどの金縛りとも関係するのですが、“夢は正夢”とか、“夢占い”とか、夢はスピリチュアルな世界と、関連付けられて語られることもあります。
「それは物語の域の話で、睡眠研究者はだれもその手の話を信じていません」
――“夢は神のお告げ”みたいなことも、全くナンセンス?
「夢は起きている時に、より良い行動をするためのシミュレーションだという仮説を唱える研究者もいます。可能性として考えられるのは嫌なことに遭遇した後、睡眠中に嫌な体験を回避したり、対処したりする行動をシミュレーションしている。その時、起きている時と同じ神経活動がリプレイされ、より夢をリアルに感じる。いずれにしろ、夢に興味がある人は自分の夢を意識していますね」
――なかなか寝付けない、途中で目が覚める等、私の睡眠障害も夢を意識しすぎることが一因でしょうか。
「夢への意識のし過ぎが睡眠障害につながるのか、わかりませんが」
――夢も見ずに熟睡したいと、寝る前のアルコールは欠かさないのですが、
「あっ、それかもしれない、あなたの睡眠障害は。アルコールは肝臓で分解され、アセドアルデヒドになりますが、この物質が中途覚醒を引き起こす。アルコールが睡眠障害を引き起こしている可能性は大きいです」
――……
「日本人の睡眠時間は、先進諸国の中でダントツに短い。短いレム睡眠やその中で見る夢が、人の心や行動にどう関係してくるのか。夢も含めて、日本人に足りない、睡眠を大切にする文化を構築していきたいですね」
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama