ビジネスシーンの挨拶で使われることもある、「袖すり合うも他生の縁(そですりあうもたしょうのえん)」。人気のボーカロイド、初音ミクの曲の歌詞にも登場する有名なことわざだが、この言葉の意味を正しく理解している人は意外と少ないかもしれない。
そこで本記事では、ことわざ「袖すり合うも他生の縁」の由来と正しい使い方を解説する。
「袖すり合うも他生の縁(そですりあうもたしょうのえん)」の意味
まず、「袖すり合うも他生の縁」の正しい意味を解説したい。もともとは仏教の教えが由来のことわざだ。
「袖すり合うも他生の縁」の意味は
「袖」とは着物の袖のこと。道を歩いていて知らない人とすれ違った時、お互いに着物の袖が擦れ合ったり、触れ合ったりすることがある。そんな少しの触れ合いでも、前世からの深い因縁(いんねん)があることを表す。つまり、「どんな出会いでも単なる偶然ではない。この世に生まれる以前からの深い縁によって生じるものなので、大切にしなければならない」ことを説いた仏教的な教えだ。
「袖すり合う」の部分が、「袖擦り合う(そですりあう)」「袖触れ合う(そでふれあう)」「袖振り合う(そでふりあう)」と言い回しが異なる表現がいくつかあるが、どれも意味は同じ。
「他生(たしょう)」と「多生(たしょう)」の違い
このことわざには、「他生」と「多生」の二つの表記が使われることがある。「他生」とは、現世である「今生(こんじょう)」に対して、「前世・来世」を指す仏教用語。つまり「他生の縁」は「前世からの因縁」を意味する。
「多生」もやはり仏教用語で、「何度も生まれ変わること」を表す。仏教において、人は「六道(地獄道、、飢餓道、畜生道、修羅道、人間道、天道)」の間を何度も生まれ変わると考えられている。この六道の間を何度も生まれ変わる輪廻(りんね)のことを「多生」と呼び、「多生の縁」とは、「何度も生まれ変わりを繰り返している間に結ばれた深い因縁」のことを言う。
辞書によっては「多生」が正しく、「他生」が俗語とされているが、「他生」が一般的に使われることが多くなり、どちらも許容された表現になっている。また、「たしょう」を「多少」と表記することがあるが、これは誤り。
「袖すり合うも他生の縁」の正しい使い方と例
「袖すり合うも他生の縁」は、日常生活やビジネスシーンで使用する場合、初対面の挨拶だけでなく、偶然の再会や、思いがけない縁を感じた場面にも使える。
例文
では、実際にどのような場面で使えるのか、例文をいくつか挙げてみよう。
「袖擦り合うも他生の縁と言いますし、今後ともよろしくお願いします」
「袖振り合うも多生の縁ですから、こうやって社外であなたとお会いしたのも偶然ではないかもしれません」
「再会した彼と、一緒にビジネスを始めることになるとは、袖すり合うも他生の縁だ」
「袖触れ合うも他生の縁ですから、どうかお気になさらないように」
最後の例文は、初対面の相手から感謝された時に返す言葉として使えるので、ぜひ覚えておこう。
「袖すり合うも他生の縁」の類似表現、関連語
「袖すり合うも他生の縁」には、同様の意味を持つ表現がいくつかある。また、「縁」に関連した四字熟語も併せて紹介したい。
・「躓く石も縁の端(つまずくいしもえんのはし)」
「ふとつまずいた石でさえ数多くの中から選ばれたものである」という意味から、自分に関わるすべてのものは何かしらの因縁で結ばれていることを表す。
・「一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)」
見知らぬ人同士が、一本の樹木の陰で雨宿りをしたり、同じ河の水をすくって一緒に飲んだりすることも、前世からの因縁であり、おろそかにしてはいけないことを表す例え。
また、「縁」に関連する四字熟語としては、「一期一会(いちごいちえ)」、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」が挙げられる。「一期一会」は、「一生に一度の出会いである覚悟を持って、その出会いを大切にするように」という茶道に由来する教え。「一蓮托生」は、「どんな結果であっても行動を共にする、運命共同体とも言える深い縁や強い結びつき」を表している。「袖すり合うも他生の縁」とは意味や使い方が異なるが、どちらも人との縁や絆を大切にしていこうという心得だ。
「袖すり合うも他生の縁」英語ではどう表現する?
英語では「preordaind(あらかじめ定められた運命)」「destiny(運命・宿命)」の単語を用いて「袖すり合うも他生の縁」に近い意味を表現できる。
【例文】
「A meeting by chance is preordained.」(偶然の出会いは、あらかじめ運命づけられている)
「Even a chance acquaintance is decreed by destiny.」(偶然の出会いさえも、運命によって決められている)
文/oki